ようかんのちょっとひとくち

 季節は着々と春へと向かい、白菜が少しずつ値を上げ始めている。冬野菜の代表ともいえる白菜は、同じく白い野菜の大根と共に冬になると灯油代に苛まれる貧者の心強い味方で、この野菜たちが安くなってくると毎年ほっとする自分がいる。ふたつの白い野菜があれば、無理して色の付いた高い野菜を入れなくてもいい。豆腐や油揚げ、鶏肉や豚こまといった蛋白源を少量入れて鍋で煮れば、それは鍋物という立派な献立名を持つものになる。こちらの財布の事情を知らない人と会ったとき、話の種に前日に食べた物を聞かれたとしたら、鍋を作ったと答えるだけで大丈夫。たとえ白一色の鍋であろうと鍋物であることに変わりなく、鍋って温まるよね、と話もはずむ。鍋の具材を問われたときが鶏肉の鍋のあとだったら大意張りで鶏鍋にしたと答え、貧相な鍋のときだったら迷うことなく、野菜と豆腐でヘルシーにした、と言い切ることにしている。

 鍋物をした日は、次の日に鍋の残り水でお味噌汁を作って〆るのがこの冬の定番になっている。具材の出汁が出た夕べの鍋をかき混ぜ、野菜が多く残っていれば豆腐を足す。豆腐が多く残っていれば葱を足す。しゃぶしゃぶ風だった鍋に豚こまの脂身が浮いていればご馳走で、コクが増すようにと油揚げを入れたりもする。くたくたになった大根や白菜、豆粒みたいになった豆腐も味のうち。みんな、お味噌で閉じ込めて仕立てなおす。元が鍋物ならではの具沢山。残り鍋のお味噌汁は主菜となって、炊き立てご飯を引き立てる。鍋物の明くる日は、他のおかずは要らない。お椀をふたつ並べるだけの夕餉だけれど、ふたつのお椀から湯気が立つのを眺めているだけで温かな気持ちになっていく。

 寒がりなのに猫舌の私は、一杯のホットコーヒーを飲むのに人の倍は時間がかかる。おにぎりだけは何とか頑張って熱いのをハフハフ言いながら頬張れるのに、おにぎり以外のものは冷まさないと食べられない。食事に時間がかかるので、若い頃には恥ずかしい思いもしたけれど、最近では湯気を楽しむ時間を与えられたのだと開き直っている。食卓の上の荒ぶる熱が、猫の舌でも食べられるくらいに落ち着くのを待っている間、食卓に並べた器のうち、一番熱いのがどれかを競うように白い湯気が出ているのを見ることから私の食事がはじまる。

 鍋の蓋を開けるとき。ストーブの上で蓋を持ち上げている薬缶の白湯を急須に注ぐとき。薬缶の横でホイル焼きしたバナナをスプーンで食べるとき。もう食べられるかな、と思って茶碗蒸しをひとさじすくったときに新たに誕生する熱い湯気。まわりが寒ければ寒いほど湯気は鮮やかに現われ、私の顔を撫ぜていく。猫の舌から了解を貰えるまでの間、美味しい匂いが混ざった湯気を見ていると、つくづく、冬のごちそうは湯気なんだな、と思う。白い野菜が高くなり、我が家から鍋物が消える日も近くなってきた。かわりに出てくるのは、瑞々しい新キャベツや新玉ねぎに新じゃが。馴染みのスーパーの野菜コーナーに新という漢字が目立ち始めたら、春がそこまで来ている証拠。鍋を片付けたら、今度は新しい春のごちそうをみつけることにしよう。
よ

招きます 筆者紹介:ようかん
日本生まれ、国内在住。
図書館で出会った「貧乏神髄」に惹かれ、会長のサイト見たさにパソコンを覚え今に至る。
猫好きだが借家のため飼う事が出来ず、
二匹の招き猫と暮らしている。

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