ようかんのちょっとひとくち

 梅の季節には梅を、栗の季節には栗を生で食べたがる野生児を説き伏せ、二人でフリーマーケットに出向く。野生児は気に入るものが見つからないと何も買わずに帰ってくる私を知っているので、どうせ冷やかすだけだろうと笑っている。けれど、今回は違う。一週間前に遊び半分に手相占いを見てもらった友人の結果が当てはまりすぎているのに驚き、ただの付き添いだった私も見てもらった結果、直観力に優れているといわれた。左右の生命線が二重にあり、精神的にも肉体的にもタフで、殺しても死なないタイプだと言われたのは心外だったけれど、自分が持っている直観力とやらにかけてみたい。折りしも世は空前の物捨てブーム。今回を逃したら、このさき何度フリーマーケットに出向いても、欲しい品物にめぐり合わない、そんな気がしてならなかった。だから、もしものときに備え荷物持ちとしてついてきて欲しい、と頼み込んだのだった。

 予測どおり、いつもと違う出店数と売り物の数に圧倒されたけれど、シートに並べられた食器を目当てに、いつもどおり、ゆっくりと品定めしていった。あった、とうとう巡りあえた。とある喫茶店で出されたコーヒーカップ。木苺のモチーフが好みのノリタケのロイヤルオーチャードのコーヒーカップが五客そろって千円だった。フリーマーケットにつきものの値引き交渉は却下されたけれど、あまりの掘り出し物に胸が躍る。荷物持ちと化した野生児の「まだ買うつもりか」という言葉を無視して、次を見てまわる。
 人垣の中から、古びた箱に入った飴色に輝くガラスの器を発見する。昭和の昔、実家で使っていたものと同じ色だ。古びた箱は大切に保管されていた証し。懐かしさのあまり掻き分ける人ごみ。器は先に買ったのと同じ、五客揃いのカップとお皿のセットだった。戸惑う私。値段を聞いてみると、全部で二百円でいいですから買って下さい、と懇願される。どうしよう、野生児を振り返ると「欲しかったら買え」と太っ腹な返事をいただく。

 十客の器を洗剤で洗い、漂白すること二回。晴れてうちの食器として向かえることになった。早速、飴色のカップに似合う紅茶を淹れる。お茶請けに四つに切ってトーストした食パンを冷まし、蜂蜜を塗ったのを添える。春に買って寝かせておいた蜂蜜は深まる秋に冷やされて白濁しかかり、とろみが増して、しゃりしゃりとした糖の粒が舌をくすぐる私が一番好きな状態になっている。輝くカップと美味しいお茶請けに大満足しながら、己の直観力を確かなものにした私の一日が終わったのでした。

 ありがとう、多くのものに囲まれた人。ありがとう、片付けの魔法にかかった人。物を捨てることに感化された人よ、ありがとう。あなた方のお陰で今の私には到底買うことが出来なかった高価なカップと、二度と手にすることが出来ないと思っていた懐かしいカップをとても安く手に入れることができました。私は、これからも捨てる神様が増えることを願っています。拾う神となった貧者は、破格値で手に入れたものを末永く大切に扱うことを約束いたします。申し訳ないことに古びた箱は処分してしまいましたが、中身は貧者自身が使うことを約束いたします。高価なものが安かったからとか、懐かしいものを手に入れたからといって、オークションにかけたりレトロショップに持ち込んだりしないことをここに誓います。
よ

招きます 筆者紹介:ようかん
日本生まれ、国内在住。
図書館で出会った「貧乏神髄」に惹かれ、会長のサイト見たさにパソコンを覚え今に至る。
猫好きだが借家のため飼う事が出来ず、
二匹の招き猫と暮らしている。

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