ようかんのちょっとひとくち

 非常事態発生。一時は悲鳴を上げるほど堪能することができた無農薬の夏野菜が、連日の猛暑に負けたとかでパッタリ途絶えてしまいました。あれほど華やいでいた冷蔵庫も今はひっそり。台所に立つたび鮮やかに思い出す、完熟トマトの色、ナスの艶、きゅうりの瑞々しさ。しばらくの間、がらんとした冷蔵庫を開けては、野菜たちが与えてくれた満腹感と幸福感を思い出す日が続きました。あの夢のような日々はもう、戻らない。

 滅多に飲めない銘酒や、誕生日でもないのにケーキを頂いたりしたとき、それらの品物は私の中で『非日常的な贅沢』として区別され、特別な思い出となって心に残ります。けれど野菜は、おすそ分けに頂く機会が多く、私の中では『日常的なもの』として処理され、知らぬ間に、野菜に囲まれた生活が日々の暮らしに溶け込んでしまっていたのです。人はどんな環境にも慣れる動物である、とどこかで聞いた覚えがありますが、知らずに覚えた贅沢な暮らしを、もとの質素な暮らしに戻すまでの時間はとても長く感じられました。人は身勝手なもので、いい環境に慣れるのは早く、厳しい環境に慣れるには時間がかかる動物なのです。

 自分の畑を失った、と勘違いするほどに受けた衝撃からようやく立ち直りかけた頃、別の知人がコーヒーを持って訪ねてくれました。袋を開けたら、インスタントではなく粉のコーヒー。粉のコーヒーを貰うなんて、何年か前、水出しコーヒーに嵌まっていた友人に貰って以来のこと、しかも、今回は私が好きなモカブレンド。うちにコーヒーメーカーが無いのを知っているので、これだったら電気も使わないし、場所も取らないからと陶器のコーヒードリッパーまで買ってきてくれたのです。

 部屋いっぱいに広がるコーヒーの香り。いつになく話もはずみ、知人を見送った後、ふと、ドリッパーが目に留まりました。日に三度は飲むのでコーヒーを買うときには財布を気遣い、安いインスタントコーヒーを選んでいる、けれど、陶器のドリッパーが手に入ってしまった以上、心中穏やかでは居られない。手間がかかる分、インスタントコーヒーとは比べ物にならなかった味と香り。今まで、インスタントコーヒーは安いから、という理由で選んでいたけど、あれを選ぶってことは便利さも追求していることになるのかな。真夏には、水で溶いたのに牛乳を混ぜて飲んだりしているし。なんてったって‘‘インスタント’’だもの。久しぶりのドリップコーヒーにどっぷり嵌まった私、その舌は脱インスタントコーヒーを促しているのです。

 毎日欠かすことの無い嗜好品こそ、いいものを飲みたい。そうよ、コーヒーは嗜好品。美味しいほうがいいに決まっている。安いからと日に三度も飲んでいたけれど、日に一度だけ自分で淹れたものを楽しむのなら財布も許してくれるだろう。そのために、晩のおかずが一品減ってもかまわない。半ば無理やりな理屈で自分を納得させながら、日々の暮らしに「コーヒードリッパー」を加えることにしたのは言うまでもありません。

 不思議なのですが、ドリッパーで淹れたコーヒーはカタカナより漢字で「珈琲」と書いたほうが、味と香りが伝わるような気分にさせられます。今まではコーヒーを飲んでいたけれど、これからの私は違う、珈琲を楽しむんだ。私の大好きな珈琲を飲む時間は、『日常的なもの』や『非日常的な贅沢』に区別するのが難しく、『こだわり』に分類することに決めました。私の中で「こだわり」とは、オムレツを焼くときの香りつけのバターと同じ、贅沢の一歩手前の『日常と非日常の狭間』として区別され、心の贅沢を楽しむことが出来るものなのです。

よ

招きます 筆者紹介:ようかん
日本生まれ、国内在住。
図書館で出会った「貧乏神髄」に惹かれ、会長のサイト見たさにパソコンを覚え今に至る。
猫好きだが借家のため飼う事が出来ず、
二匹の招き猫と暮らしている。

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