ようかんのちょっとひとくち

 軟弱な腹に問う吾三品の僧のごときの料理如何にと

 食に対する不安が財布とは別の形でやってくる夏。人も食材もバテやすく、おかずの残りはもちろん、買いたての野菜さえ冷蔵庫に入れてあるから大丈夫だと侮ってはならないとき。艶やかだった肌が茶色く変色するナス。端から液体化してゆくキュウリ。つかみ所が無いくらいに熟してしまったトマト。見切り野菜だっだけど昨日買ったばかりだからと油断し、たった一夜目を放した隙に変貌している野菜たちの裏切り行為に落胆する貧者。別れの前に最後の悪あがき、手に取った野菜を一回転させ、少しでも食べられるところはないかと探してみる。例えキュウリ一本であろうとも別れはつらいもの。少々傷んだものを食べてもなんともない、むしろお腹の調子がいい、なんていう貧者の中の貧者とは違い、軟弱な下っ端貧者のお腹。そんなお腹の持ち主はいつも何かと不安を抱えているのです。野菜の傷みはお腹の痛み、特に夏には食材選びを慎重にしなければならないのです。

 ありがたいことに 昨年の冬から、知人が趣味で始めた無農薬野菜のおこぼれを戴けるようになりました。冬には大根と根がついたままの葱を数回戴いたのですが、味は格別。こっそりと夏野菜に期待をかけるほどでした。
 「冬野菜が順調にできたので夏野菜も頑張ってみた。」
訪ねて来た知人の顔が誇らしげに輝いている。待ちに待った夏野菜の到来に私の顔もほころぶ。トマトに小さいなす。きゅうりも入っている。ふふっ、艶々の赤いトマトを丸ごと食べられる。無農薬という安心感もあり、洗うのもそこそこに齧りつく。これがもぎたての味っ、トマトの青臭さも感じない。なすやきゅうりは漬物にしておかなければ食べきれないほどの量。

 夏野菜が採れはじめてから週に一度はレジ袋を下げてくる知人。袋の中身は見なくても分かるようになった。トマト、なす、きゅうり。この三品がびっちり詰まったレジ袋。他の知人に横流ししても届けられる野菜たち。瓜のように太ったキュウリを酢の物にして平らげるとまた届くキュウリ。豊作過ぎる。焦る私。今まで健康にいいからと頑張ってきた‘‘一日三十品目摂りましょう’’なんてこと気にしちゃぁいられない。一日の野菜を三品目で賄う食卓に他の野菜が入り込む隙がないんだから。たまに頭をもたげる南瓜への欲求を、ナスの天ぷらでグッと押し込める姿は修行僧のようだ。それでも、身体は至って元気。不思議とお腹の機嫌もいい。

 嬉しい悲鳴がただの悲鳴に変わりかけた頃、袋の底にゴーヤが一本。四品目目の夏野菜を素直に喜ぶ私がいた。ゴーヤをおひたしにして、今夏はじめての苦味を噛み締め味わいながら思うのは、本来、人の食事とはこういう形で良いんじゃないかということ。お店で見るありとあらゆる食材の羅列は仮の姿。飽食の国と言われて久しいけれど、それに甘んじるあまり健康を害しているなら本末転倒じゃない?もしどちらの食事がいいかと問われたら、間違いなく今の食事を選ぶと思うの。これから続くだろうゴーヤ入りの袋を考えるとちょっとだけ気が重くなったりするけれど、修行僧のような食事が決して粗末なものでなく、貧者にとって贅沢この上ない美食となっていることを、この軟弱な身体とお腹が証明してくれたのだから。

よ

招きます 筆者紹介:ようかん
日本生まれ、国内在住。
図書館で出会った「貧乏神髄」に惹かれ、会長のサイト見たさにパソコンを覚え今に至る。
猫好きだが借家のため飼う事が出来ず、
二匹の招き猫と暮らしている。

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