ようかんのちょっとひとくち

 本来なら、贅沢とは縁の無い生活を送ってる者の家は、物が少なく、すっきりと整頓され、「清貧」「簡素」「シンプル」など、本のタイトルそのままに、清々しい暮らしを彩っているように見えるものです。けれど、物が少ない暮らしに甘んじるあまり、手を抜いた生活を送ればその家は貧乏そのもの。貧乏に『くさい』がついても恥ずかしいのに、そのうえ『におい』がつくようになってはいけないのです。物が少ない分、部屋の掃除を少々手抜きしても見かけは綺麗かもしれませんが、手を抜けば抜いた分だけ汚れてしまうのが台所なのです。

 これが筆者の実体験なのかどうかは強く伏せたいところなのですが、想像してみてください。夕飯を食べ、後片付けをしないまま迎えた朝を・・。
 休日の前夜、久しぶりの飲酒に身体もだるく、睡魔に勝てぬまま流しに食べ終えた食器を積み重ねて就寝。朝、すっきりと目覚め台所に立つと、カサカサと逃げるごきぶり数匹。慌てふためく奴らを、箒の先でごきぶりハウスに追い込もうと早朝から大奮闘。ことごとく逃げられた挙句、食器の周りには明らかに見て取れる奴らの宴の跡。

 前夜、食器を片付けなかったばかりに、奴らのフンの後始末までさせられる。壁の隙間から覗く、触覚を見つけただけで鳥肌が立つほど嫌っている奴らに酒池肉林の場を与え、繁殖させているのは、家主の怠惰に満ちた生活そのものなのです。自分が食べていくだけで精一杯の生活の中、奴らにまでエサを与える必要はありません。晩御飯が済んだら、さっさと片付けてしまいましょう。

 流し台に目を向ければ、水あかで輝きを失った水道の蛇口。油が飛び散った壁にガステーブル。頭上にはギトギトになった換気扇が、油を滴らせんばかりになっている。これは日頃、貧乏だと謳っておきながら、油をたっぷり使った食事を作っている証拠でしょうか。貧者だてらに、換気扇をギトギトに汚すほど頻繁に油を使うとはなんたる贅沢。

・・いえ、違いましたね。貧者だからこそ、油に頼ってしまうことはよくあることです。 買い物に行けない日が続いても、残り野菜を刻んで天ぷらにすれば、お弁当に入れても見劣りしません。私も何かと油には助けられていますから、台所が汚れるからといって油を敵視しているわけではありません。少ない食材を最大限に活かし、少しでも「腹持ちをよく」させるためには油を使うのが一番手っ取り早い方法なのは良くわかります。貧者にとって油もまた貴重なカロリー源なのですから。
 ただ、心のたるみが身体のたるみとなって現れるように、ギトギト汚れをほっておくと、心までギラギラしてきて、煩悩だらけの人生をおくってしまうようになりはしないか、と心配になるのです。

 家の中で、お手洗いと一、二を争うくらい清潔に保っておきたい台所。換気扇を汚したままにして、油をたっぷり使っているのを誇示するのはやめ、夕餉が済んだならキッチンをきちんと片付ける。床に落ちた野菜くずがあれば速やかに拾い、汚れを見つけたらその場で拭き取る。この小さな繰り返しをするかしないかが、年末に大きな跳ね返りとなって現れるのです。
 貧乏に甘んじることなく、こまめに手と身体を動かすなら身も心もすっきり爽やか。蛇口や鍋、薬缶など光るもの全てが輝きを放ち、本のタイトルは欲しいまま、文字通りの清々しい生活スタイルが貴方のものとなることでしょう。

よ

招きます 筆者紹介:ようかん
日本生まれ、国内在住。
図書館で出会った「貧乏神髄」に惹かれ、会長のサイト見たさにパソコンを覚え今に至る。
猫好きだが借家のため飼う事が出来ず、
二匹の招き猫と暮らしている。

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発行:全日本貧乏協議会
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