ようかんのちょっとひとくち

 お肌の曲がり角は遥か彼方に過ぎ去った。絹のようだった肌は歳を追うごとに木目が粗くなり、木綿のような手触りになっていく。笑うたびに増える縮緬じわもやがて顔全体を覆い、私から笑顔を奪う日が近いのかもしれない。頬が垂るみ、顎が二重になって下っ腹もぽっこり、やがてお尻も力なく下がってくることだろう。そうでなくてもメリハリの無いこの体。全てが重力というものに負ける前に何か打つ手を考えなければならない。

 何か運動をすればいいのよ、人は簡単に言う。汗を流すことは肌にもいいのよ、と。
 ところが恥ずかしいことに生まれながらの運動おんち。体力も瞬発力も持ち合わせていない。50m走の自己最高記録は、息を止め、死ぬ気で走った9、8秒。走り終えた私がゼイゼイしていたら、体育の先生が慌てて駆けつけたという、あまり大きな声で言いたくない思い出付きの記録だ。おまけに今は、食べるだけで精一杯の財力。泳ぎも駄目で、瞬発力や持久力が無くても出来そうな「プールで歩く」ことだけでもお金がまとわりついてくるこのご時世。お金がなくて運動おんちの私にも簡単に出来て、尚且つ、気長に続けられるもの。答えはひとつ、歩くこと。歩くのだったら一人でできるし、お金もかからない。靴はちゃんとしたのを持っている。

 「人間はもともと歩くことを厭わない動物でした。」と、何かに書いてあったのを思い出す。江戸時代のように、交通手段の主流が自分の足だった頃ならいざ知らず、今の私は何かにつけて自転車に頼る毎日。自動車の運転免許でさえ、持っていないと言うと珍しがられる時代。二十歳過ぎて自転車に乗れるようになってからは、スーパーへ出かけるのはもちろん、近くの古本屋でさえ自転車。買ったものも前カゴにポン!では、脚力も腕力も衰えてしまう。私はもう、歩くことを厭う動物に進化してしまったのではないのか。いや、まだ間に合う。歩こう。ひたすらに歩くのだ。

 手始めに行った早朝の公園では、完全に打ちのめされた。私より年配の方々が黙々と歩いていらっしゃる。擦れ違う時にはにこやかに挨拶していただけるのだが、とにかく歩みが早い。競歩みたいだ。公園の奥は小高い丘のようになっており、神社へと続く階段がある。その階段を、息も切らさずのぼる姿を見せ付けられては、自分の若さが恥ずかしいくらいになってくる。
 「若いもんに世話をかけると迷惑やで、足腰を鍛えんとな。」歩みを止めずに語り、足早に去っていくご老人は爽やかだった。家庭を築き、家族のために働き通したであろう体の動きには無駄が無く、神社でキビキビと一礼し、駆け下りるように階段を後にした。

 肉体的にも精神的にも私はまだ、早朝の公園で先輩方に混じって歩けるレベルではないらしい。もう少し脚力と体力をつけてから公園デビューを果たそう、と、しばらくはのんびり、自分の脚力に合わせて歩くことにした。歩きはじめて一年余り。歩きながら空を眺め、ついでに塀の上で香箱をつくる野良猫を見たりと、あっちへふらふら、こっちにふらり。始めの意気込みは何処へやら、すっかり、楽しみ優先の散歩になってしまった。先の公園も昼頃に出かけると人影が少なく、枝からリスが降りてくることがある。リスを見つけてから、昼に歩く時にはポケットに、ピーナッツやビスケットを忍ばせて出かけるようになった。秋には金木犀の香りに誘われ、冬には山茶花の咲くすてきな垣根の庭に導かれ、と、季節によって好きな道も出来てきた。日を追うごと、歩くたびに、私のささやかな観光スポットが増えてゆく。

 帰り道にはお土産の草花まで手にして、歩く楽しみを満喫している私のようすを見た人から、
「ようかんさんは、道に匂いをつけて歩くよね。」と、言われて笑ってしまったのだけれど、細い路地を好んで歩く、私の歩みはのろいままだ。脚力や体力は何時になったら付くのやら。早朝の公園デビューの日は遠い。


くつ


−− 猫のマーキングじゃあるまいし、臭い匂いは出していない −−
よ

招きます 筆者紹介:ようかん
日本生まれ、国内在住。
図書館で出会った「貧乏神髄」に惹かれ、会長のサイト見たさにパソコンを覚え今に至る。
猫好きだが借家のため飼う事が出来ず、
二匹の招き猫と暮らしている。

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ようかんのちょっとひとくち 耐乏PressJapan.
発行:全日本貧乏協議会
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