祖父が私に大工道具の使い方を教えてくれたのは小学三年生の頃だった。
そしてそのたびに言われたのが後ろへまわれ、だった。
「人にものを習う時にはその人の後ろにまわって見ないと何もわからんぞ。」
祖父曰く、真正面から見ていても何も見えない・・らしい。
後ろへまわらないことにはその人の腕の運び方や力の入れ具合、道具の持ち方などが見えてこないのだと言う。私はそれを言われるたびに慌てて祖父の後ろへまわり、(後ろに回ったって、おじいちゃんの背中で何も見えないよぉ)、なんて思いながら、祖父の動きにあわせて右肩から覗いたり左肩から覗いたりしてくぎの打ち方や、かんな、のこぎりの使い方を教わった。
左利きだった私に無理やり右手で道具を使えと言わなかったのは家族の中でおじいちゃんだけだった。
「利き手じゃないと力が入らんでな」
・・「ようかんは筋がいいなぁ」くぎをまっすぐに打てたからと目を細め、のこぎりやかんなが上手く挽けたと誉められるたび、もっと上手になって誉められたい、と張り切っていたあの頃の私。祖父の道具箱には沢山の道具が入っていて、これは何、じゃぁこれは何?と聞くのも楽しかった。
私が墨壺に興味を示すと祖父は大得意。墨壺から墨をつけながら出てくる糸を引っ張りながら、ようく見ているように言い聞かせ、ぱちんと糸を打ち一瞬で長い直線を引いて見せるのだ。
「これはようかんにはまだ難しいな」
手や指に棘が刺さると祖父はピカピカの『のみ』で自分の指をスパァッと切り、棘を取り除いていた。「痛くないの?」と聞くと、痛いと思えば痛くなると悟りを開いた修行僧のような言葉を吐くのだった。
姉が買ってもらった自転車に乗りたくて駄々をこねた私が泣きながら、
「お姉ちゃんなんか自動車に轢かれちゃえ」と、言った時、はじめて大きな声で怒鳴った祖父。口が裂けても言ってはいけないことがあると教えてくれた。
ついでにつねられたお尻はしゃくりあげる度にじんじん傷んだ(笑)。
自分の妻にも洗わせられん、と毎朝自分の下着を手で洗っていた祖父。
大工だった祖父は我が家を一人で建てた後、私の母にこう言ったそうだ。
「これでおまえ達の代まで充分住めるでな、建て直しせんでもええぞ。」
大工として、また男としての誇りを持った人だった。
そんな祖父がいなくなってから、何年も経った。
先日、実家の倉庫の整理を手伝いに行ったとき、祖父の道具箱に薄汚れたビニール袋を見つけた。袋には見慣れた文字で姉と私の名前が書いてあり、中には祖父が作ったであろう、まな板が四枚。足つきのものとそうでないものが二枚ずつ入っていた。孫娘たちがいつか使うからと母も知らぬ間に作ってくれていたらしい。袋の下に懐かしい『墨壺』を見つけ、糸をそっと引いてみたら、プツンと切れてしまった。
「もう、何にも教えてやれん。」祖父がそう言ったような気がした。
−− 糸が切れ、役目を終えた『墨壺』は 今
花入れとして生き返り、私の文机を飾っている −−