ようかんのちょっとひとくち
セピアな色に染めないで

平成も十八年目を迎え、昭和の時代を懐かしむ声さえ聞こえてくるようになったのというのに、昭和生まれで昭和育ち、昭和にどっぷりと首まで浸かり、昭和に青春を捧げた(?)私の中にはまだあの時代が息づいている。周りがどんどん平成化していく中、昭和を引きずり、昭和を背負って生きている私の持ち物の中には共に昭和を生き抜いてきたものたちが多い。
だからといって、特別レトロ好きでもないし懐古趣味があるわけでもない。
縁あって私の手元に来たものたちを大切に使っているだけ。 今回から数回、今も手元に残っている私の『昭和』を紹介していきます。

ちょっとのどが渇いたからと自販機に入れるコイン
欲しいものが見つからない時にはインターネットでショッピング
飽きて要らなくなったらすぐ処分
・・物の飽和状態で身動きできない平成とは違い、物が少なかったあの頃。

 テレビの海外ドラマではじめて垣間見た外国、
ブラウン管の中のお洒落なベッドルーム
ソファの横に置かれた背丈ほどもある電気スタンド
シャンデリアやレモンパイ、かっこいい自家用車
ハンバーガーも 冬に食べるアイスクリームのおいしさもわからない
すてきなパパと広い庭の青い芝生に憧れた頃
 あの頃の大人たちの口癖は「我慢」と「勿体無い」だった。
何かにつけて「我慢」と「勿体無い」を呪文のように繰り返した。
お茶碗についたご飯粒もきれいに食べないと勿体無いことしていると目がつぶれるよと脅され、怪我をしても我慢すればそのうち治るといわれた。
擦り傷なんか見せようものならツバでも塗っておけと言われ、絆創膏なんて貼ってもらえるはずも無く、赤チンを塗ってもらえただけで喜びを感じ、風邪をひいても我慢して寝ていればそのうち良くなると言われ、医者に連れて行かれるともう、死ぬんじゃないかと思ったほどだ(笑)。
 おもちゃが欲しいと言っても我慢、服が小さくなってもお姉ちゃんのがあるからこれを着なさいと古着を出されたり、と、我慢我慢を教えられてきた私が初めて自分の持ち物を選んだのはお弁当箱を買うときだった。
保育園に上がるための準備品として母とお弁当箱を買いに行ったときのこの上ない喜びをわかっていただけるだろうか。
金物屋さんでアルミのお弁当箱を探す時の幸せな時間。
急かす母など目に入らず、頬を紅潮させながらゆっくりと品定めをして選び抜いたものは蓋に花の絵がついたお弁当箱。
薄金色に輝くお弁当箱についている濃いピンクの牡丹の花の模様をずう〜っとれんげの花と間違えていたのも今となってはいい思い出。
牡丹の花とは知らずに「れんげのお弁当箱」と呼んでいた幼い自分が可愛い。

 以来、このれんげのお弁当箱は保育園、小学校、中学校、そして高校と事あるごとに私の鞄やリュックサックに入れられた。多感な中学生の頃にはちょっとした浮気心で違うのを使ったこともあったけど、このアルミのお弁当箱だけは私の手元にしっかりと残った。

 このお弁当箱を見る度に保育園のおやつの時間に配られたゼリービーンズや、色のついたお砂糖でコーティングしてあるアルファベットのビスケットの残りを入れ、だいじに持ち帰ったこと、おかずの汁がもれて漫画のついたハンカチや鞄の底に染みがついてしまったことなどを昨日のことのように思い出すことができる。

   初めて自分で選んで買ってもらった持ち物だけに格別愛着があるのは否定できないが、小さい頃からお金に縁が無く、また、物の無い昭和時代を生きてきた私には壊れてないものを捨てることはできないという、ただそれだけの理由でお弁当箱として使うのはもちろんのこと、寒天や羊羹を作る際には蓋も容器として活躍してもらいながら今現在も使いつづけている。

・・ものにも命があり、その命を全うさせるまで使い切ること。

 古臭いと笑われようがかまわない。私が生きてきた時代よりももっと過酷な時代を生きてきた祖父や両親に叩き込まれた、物へのありがたみ・感謝の心を忘れることなく暮らしていきたいと思っているだけなのだから。

“れんげ”のお弁当箱

−− お弁当箱についた細かい傷は痛々しいが
牡丹の花は今も鮮やかに咲きつづけている −−
よ

招きます 筆者紹介:ようかん
日本生まれ、国内在住。
図書館で出会った「貧乏神髄」に惹かれ、会長のサイト見たさにパソコンを覚え今に至る。
猫好きだが借家のため飼う事が出来ず、
二匹の招き猫と暮らしている。

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ようかんのちょっとひとくち 耐乏PressJapan.
発行:全日本貧乏協議会
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