今年の初夢はパン屋の行列に加わるところから始まった。
パン屋の店員が声を嗄らし叫んでいる。
「ただいま無料でパンをお配りしていま〜す!」
おお、無料でパンが貰えるらしい。夢の中でも心はわくわくしている。
先が見えないくらいの人が並んでいるのにおとなしく待ちつづける私。
夢じゃなかったらとっくに諦めて帰っているだろうに延延と待っているのだ。
店員さんにデニッシュパンをひとつ頂き、家路を急ぐところで目が覚めてしまった。
今年はいつものお正月よりも寒い、ふとんの中で寒い寒いと言っていてもしょうがないので、えいっと跳ね起き、火を熾す。
ガス台にかけた火熾しを見つめながらも先ほど夢で見たパンのことを思い出すのは卑しい証拠か。
新年のしょっぱなに見た夢がただで貰えるパンの行列だったなんて。
貰ったパンを大切に胸に抱え込み、家路を急ぐ己が姿を思い出してはひとり恥じている。
貧者ながら曲がりなりにも三食きちんと食べ、甘いものも楽しんでいるのにね・・。
じ〜っと炭火を見つめながら火が熾るのを待っていた。
そういえば火熾しに慣れるまでは木炭や豆炭に火が移るのが待ちきれなくて失敗したっけ。
炭の端っこが赤くなったからもういいだろうと火鉢に入れるたびに火が消えてしまい、一度消えた炭火が勝手に熾るはずもなくまた最初からやり直し、の繰り返し。
最近は火鉢初心者だった頃とは違って火熾しが上手になったと思う。
夢に見たパン屋の行列のように辛抱強く待てる。
そう、私は待てる女に成長したんだ。
火鉢生活が時の流れをゆっくりと感じさせてくれるようになったと思っていたけれど、そう感じさせてくれているのは待てる女になった私自身なのかもしれない。
ん、 んんん? ちょっと待って、
ということは、あの初夢は我が卑しい心を戒めるためのものではなかったの?
静かにじっと待っていればいつか必ず良いことがやって来る、というありがたいお告げなのでは?
そうそう、きっとそうよ。
パンを手にした時に感じた得も言われぬ幸福感がよみがえって来る。
(このパンは誰にも渡せない)確かにそう思っていた。
あのパンが何を意味するかはわからないけれど、私にはとても大切なものなんだ。
初夢のお陰で私の今年の目標が決まった。[待てる女]だ、今年はこれを目指そう。
折しも、今年は戌年。
えさを目の前にしての「おあずけ」はちょっと嫌だけれど、
「待て」を覚えるのには最適な年になりそうだ。
−− いい初夢だった、今では心からそう思っている
指一本で事が済む環境では待つ楽しさが味わえないもの −−