ようかんのちょっとひとくち
この時季のひんやりとした朝が好き。
太陽と交代する直前のやわらかな月明かりを窓越しにそっと眺めるのが好き。

今朝なんか目が覚めたらまだ四時だった、物音一つしない静かな朝、窓からは薄っすらと月明かり。
うーん、きれいねぇなんてボーっと眺めていたら嫌なことを思い出しちゃった。

・・今日は歯医者の予約日だった。途端に目が冴える。ごきぶりに匹敵するくらい歯医者が苦手な私。

七歳の時に施された「上唇小帯切除術」、私にとって初めての歯科体験がこれだった。
上くちびると歯ぐきの間の「すじ」がつながったようになっていてそれを切り取る手術だったの。

いまでも憶えている、父と離れ、独りで入った治療室の消毒の匂い。
治療台へ這い上がると先生が来てこう言った。「すぐにお家へ帰れるからね、怖くないからね」
うん、と頷く幼い私。心は不安でいっぱい、目は涙でいっぱい。早くも泣きそうだ。
泣きそうになっているのに唇と歯ぐきの間に綿を詰め込まれ、麻酔・麻酔・麻酔。
カリカリ、ガリガリと手術が始まった。何かを削り取るような音。(切るだけって言ったのに、嘘つき!)
怖い、声を上げて泣きたかった。けれど詰め込まれた綿がそれを許してくれない。

ひとすじの涙が頬の上で乾く頃、手術は終わった。ほっとする間も無く、先生がこう呟いた。

「血さん、なかなか止まってくれないね」
(血が止まらなかったらお家に帰れないじゃないの!)心の中で叫ぶ私。

血が止まらない・・この一言で震え上がり、歯医者に対する恐怖度は最高値。
(厳密に言えばこのときは口腔外科だったと思うんだけれど。)

それからというもの、学校で[歯科検診がある]って聞いただけで怯え、運悪く虫歯が見つかろうものなら、
その年の夏休みなんてちっとも楽しくなかった。

そういえば、小学生の頃には給食を食べるのも苦手で、特に鶏皮なんて出た日にはいつまで噛んでいてももにゅもにゅしているだけでちっとも噛み切れず、おまけに当時の鶏肉は匂いも強く本当に嫌いだった。
完食するまで許してもらえず、五時間目まで食べつづけることさえあった。
途中で悪知恵までついて普通に食べるふりをして鶏皮だけを避けて置き、「ごちそうさま」をするときに口一杯に頬張って、ごちそうさまと同時にトイレに直行。 必死だったんだから(笑)。

嫌だった給食時間も義務教育の終了と共にお別れ。
もちろん好きなおかずが出た時もあった、嫌な思いもしたけれど済んでしまえば懐かしい気もする。
でもね、歯医者は違うの、虫歯を一本治してもらっても数年後にはまた虫歯。・・逃げられない。
いつまでたっても逃げられない、虫歯が追いかけてくる(笑)、おまけに歯周病までついてくる。

繰り返される歯医者との戦い、痛みには涙を浮かべ、あの耳を劈くような研磨機の音にも耐えた。

大人になり、羞恥心が出てくると戦う相手も増えてくる。
お医者様とはいえ、人様に自分の口を覗かれるという恥ずかしさ、ああ、衛生士さんまで覗いてる。
いつもより丁寧に歯を磨いて歯医者へ赴くのは当たり前、口周りのうぶ毛やら鼻毛まで気になる始末。

・・「気にし過ぎなんだから、歯医者だから歯しか見てないって」と、友人が言う。
彼女はちょっと前に体の不調を感じ、精密検査を受けていた。
胃カメラを飲み、直腸検査まで受ける羽目になったらしい。
辛かったであろう検査の一部始終を淡々と語った後、ぽつりと一言。
「もう、恥じらいなど無くなってしまった」そういいながら、遠い目をしていた。

そうね、戦う相手は歯医者だけじゃないものね。幸いなことに友人の身体に大きな異常は見つからなかった。
「今回は運がよかっただけ」「ようかんも何かあったら怖がらずに検査を受けなきゃね」
何かが吹っ切れた友人は私よりも大人びて見えたっけ。

・・こんな事を思い出しつつ、ゆっくりと自転車を走らせ歯科医院に到着。
今はもう、順番が来て名前を呼ばれるだけで飛び上がったり、泣いたりはしないけれど怖いものは怖い。
ときおり歯科医のお腹から聞こえてくる腹の虫のささやきを唯一の楽しみにして、目はしっかりと瞑って歯科治療に挑んでいる。

−− 人は小さな戦いを繰り返しながら少しずつ大人になってゆく
けれどその相手は他人ではない、全ては自分との戦いなのだから −−
よ

筆者紹介:ようかん
日本生まれ、国内在住。
図書館で出会った「貧乏神髄」に惹かれ、会長のサイト見たさにパソコンを覚え今に至る。
猫好きだが借家のため飼う事が出来ず、
二匹の招き猫と暮らしている。

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