耐乏PressJapan.
MAY.
2003
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 2003年5月号目次

特集
貧乏人、大学に出向く

〜 一日だけの非常勤講師(ただし任期は一年間) 〜


 連載記事

  特別寄稿牛久沼の鰻(鯖吉老人)
  これ、もらいました(感涙)(13)


 投稿記事

  貧評会
  貧者の知恵
  貧乏料理
  読者の声
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  編集後記/次号のお知らせ


 特集

貧乏人、大学に出向く
一日だけの非常勤講師(ただし任期は一年間)
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学習院大学に行って、講演をしてきました。そのときの様子と講演内容を、ここでひっそりと公開してしまいます。申し訳有りません、時間が無くて、もう少しきちんと書きたかったけれどあらましだけで特集にしてしまいました。

「騙されるのも面白いかも」と

 皆さんの所に、大学の教授からメールが届いたことはあるでしょうか。
 少なくとも、僕の所へは来たこともなかったし、そもそも工業高校卒業なので大学教授の知り合いも居ませんでしたから、そんなことは予想も想像もしておりませんでした。
 まして、大学教授から「講師のお願い」なんてタイトルのメールを貰うなんてことは完全に想定外です。

 でもまあ、Webでの情報発信をしている身ですので、どんな職業の方からメールが来てもおかしくはありません。実際、海外にお住まいの方から感想を頂いたりもしております。
 大学教授から感想のメールが届いても、これは不思議ではありません。

 けれど、「講師のお願い」ってのは、どうかと思います。

 このメール、男性の名前で送られてきたのですけれど、メールのFROM欄には、名字こそ同一なれど、明らかに女性の名前が記されています。
 こういう細かいところをチェックするのもインターネットという場で4年近く情報発信していると勝手に身に付くのですけれど、少なからず、怪しいなあ、という気はしました。

 でもまあ、最近は若干ですけれど肝も据わっておりまして、別に海外に送られて臓器を抜き取られることもないだろうという楽観的な気分でお返事をしました。

 これが、1月のことだったのですけれど、それ以来、まあ、連絡は途絶えておりまして、個人情報を伝えたことに一抹の不安はありましたけれど、まあ、どうでもいいやってな気分で降りました。

 このことも3月末にはすっかり忘れていたのですけれど、ある日突然、郵便受けに茶封筒が無理矢理押し込められているのに気がつきまして、その封筒には「学習院大学」の文字が。

 人事発令書が入っていました。
 平成15年4月1日から平成16年3月31日まで、僕は「学習院大学講師(非常勤)」という肩書きを持ってしまったようです。

 本当だったんですね。

M教授との対面

 で、大学に行って何をやるのかと言いますと、5月8日に授業のひとこまを割り当てられまして、そこで講演をやるだけ、ということです。
 たった1日の講演のために非常勤講師の人事発令書を出すってのも実にお役所仕事的な発想ですけれど、貰って困る物でもありません。

 しかしまあ、なにせ講師も講演も、それどころか大学と言うところに足を踏み入れることすら初めての経験でしたから、準備と言ってもなにをすればいいのか、皆目、見当もつきません。とりあえず、連絡をくださったM教授とお会いして、お話を伺おうってなことになりました。

 なんと、わざわざ石下町までお越しくださった上に、お米とお酒まで頂いてしまいまして、当時、パソコンの調子が非常に悪かったのですけれど、予備機としてIBM PC/AT互換機まで貰えることになってしまいました。
 本を出して以来、取材のために石下町までお越しくださるライターや記者の方が何人もいらっしゃいましたけれど、お土産をくださった方はほんの一握りです。

 あまりに突飛な内容に少しばかり疑っていた自分が恥ずかしくなりましたけれど、これまた驚愕の事実も隠されておりました。
 僕の元へ届くメールのうち、HotmailからのものはほぼSPAMメールでしたから、無条件でゴミ箱行きという設定をしておりまして、それをWeb上でも明記してあるのですけれど、M教授のメールアドレスはHotmailだったのです。
 M教授、おそらくはご家族のメールアドレスを使ってメールをくださったのです。

 メールでの問い合わせも多く頂いておりますけれど、耐乏PressJapan.のトップページにあるお問い合わせについてを読んでくださる方などほとんどいらっしゃいませんし、Microsoft Wordの書類を添付してくるような方もあるくらいです。
 こんな貧乏人に対してそこまできちんと対応してくださる方もめずらしいですから、ここはひとつ、はりきってしまおうと心に誓ったのでした。

 なにしろ貧乏人を釣るなら、喰い物と心配りです。

原稿用紙一枚三分

 初めての講演、しかも大学という未知の場所でのことですから、しっかりと準備をしなければなりません。
 とりあえず、どのような準備をすればよいだろうかなあと必死に考えました。

 準備のアイデアとしては、要点を箇条書きして時間配分を書いたメモ方式と、一字一句を原稿に書いてニュースキャスターみたいに読み上げる方式のどちらかというところに絞りまして、なにせ初めてのことなのでメモ方式では緊張して頭が真っ白になったときに取り返しがつかないだろうということから、原稿方式を採用しました。
 今にして思えば、両方準備して、真っ白になったら原稿に切り替えるという方法がいちばんだったと反省しておりますけれど、なにせ初めてですからそんな経験則など持ち合わせておりませんでした。

 試しに挨拶の部分を書きまして、ゆっくりと読み上げてみましたところ、だいたい、原稿用紙一枚は三分に換算できることがわかりました。
 ならば、九〇分の授業で教授からの紹介と質疑応答にかかる一〇分を覗いた八〇分を喋れば良いということになりますので、原稿用紙約二七枚を書き上げれば良いことになります。

 ちなみに、著書である貧乏神髄一ページが原稿用紙約一枚半ですから、単行本一八ページ分を書けば良いことになります。貧乏神髄に収録されている「本当に捨てるために」が丁度、この分量になりますから、まあ、大したことはないだろうと気楽に構えておりました。
 僕の場合、過去の苦労は忘れてしまう傾向にあるようです。
 お気楽楽観主義的な、期日が迫らないと本腰を入れられないという弱点は、一向に改善される気配もありません。

 こうして、五月八日までに四百字詰め原稿用紙二七枚を書き上げるという作業が始まりました。
 これをもちまして、四月号を発刊できなかった良いわけとさせていただく所存でございますれば……。

短くまとめる難しさ

 講演用原稿を書いていて、一番に苦心したのは「短くまとめる」ということでした。
 貧乏についてを語るというのは、それは本一冊になるくらいのテーマというか、僕にとっては人生のテーマです。
 物を捨てることを原稿用紙二七枚にしろというなら可能でしたけれど、貧乏を二七枚にまとめ上げるのはやっぱり大変でした。

 大学ノートに走り書きしたり、アウトラインプロセッサと呼ばれるパソコンのソフトを駆使したりして、書いては骨格を組み替え、書き直しては頓挫し、なんてことを繰り返してしまいました。
 いやあ、これは間に合わないかもしれないなあ、なんてことを思いながら、四月はあっという間に過ぎていったのです。
 なんとかかんとか仕上がったのは、五月一日でした。
 なんだ、一週間も前に完成したんじゃあないか、と思われるかもしれませんけれど、一週間で原稿用紙二七枚を頭にたたき込む作業が残っています。

 結局、丸暗記なんて不可能でしたし、ええい、どうにかなるだろうと本番に臨んだ僕は、お世辞にも良くやったと誉められそうにもない講演をぶちかますこととなったのでした。

これで難しすぎるって!?

 さて、原稿もまとまりましたから、一度くらいは予行演習をしておこうということになりまして、たまたま知り合いに大学での講演経験を持つ人が居ましたから、聞いていただくことにしました。

 いやあ、どうにも棒読みになりがちで、「えー」「あー」「うー」と余計なことを口に出しながらという酷い出来でしたけれど、ぴったり八〇分に収まるという、時間的には満足のいく予行演習となりました。

 けれど、黙って聞いていた講演経験者からは、とんでもない感想が飛び出したのです。

 「お前、こんな難しい話を今の大学生が理解できると思っているのか」

 え?
 大学生って、大学生でしょ?

 「大学生なんだからせめて新書くらい読めるように、なんて言われる時代だぞ」

 し、新書……。

 いや、まさかそんな馬鹿なと思いました。
 いくら数えで三〇歳となる僕とはいえ、所詮は工業高校卒業の、今ではしがないアルバイト店員です。
 お前のような奴が居るから景気が回復しないんだと言われれば、もう本当にごめんなさいそれでも生きているんですってな人間です。
 僕が精一杯に背伸びをしたところで、大学で勉学に勤しむ若人にしてみれば、なにを今更的な話に聞こえかねないだろうなあくらいに考えていたのですけれど、どうも、不安になってきました。

 でもまあ、単純思考がモットーの僕ですから、たとえ仮に難しい話になったとしても、だったらレポート提出率最下位を目指せばよいだろうくらいの気持ちで、そのままやってしまうことにしました。

 いやその、ただ単に原稿を書き直すのが面倒だっただけという話もあるのですけれど。

いざ、大学潜入

 ぐずついたお天気の中、関東鉄道常総線は、いつもの調子で車に追い抜かれていきます。
 大学で講演という、おそらく二度と訪れないであろう舞台に立つために東京へと向かう僕は、一張羅の作務衣を身にまとっていました。
 思いっきりいつもの調子です。

 目白駅には、待ち合わせ時間の一時間ほど前に着きましたので、駅の、驚くほど奇麗なトイレに腰掛けて一休みし、手をかざすだけで水の流れる様子に驚き、駅構内を出る頃には、雨が降り始めていました。
 コーヒーショップで煙草を吸い、待ち合わせ時間に再び駅へ。

 大学の方から、M教授が歩いてきました。
 挨拶を交わし、そのまま大学の門をくぐりますと、都会の一角にも関わらず、なんとも緑が多い。  もっとも、M教授が学生として大学にいた頃には、今の倍は緑があったというのですから、さぞかし素敵な環境だったことでしょう。

 丁度、お昼時でしたので、学食で御飯、ということになりました。
 ああ、大学構内の学食で昼御飯だなんて、これはいわゆるキャンパスライフってやつでしょうか。
 けれど、僕は一応、講師ということで来ているわけですから、キャンパスライフってのは違うのかなあ……なんて考えながら、学生達でごった返す学食で、M教授とお話をしながらきょろきょろと周りを伺っておりました。
 食事中にあっちこっちを向くというのも変ですから、実際は、気配で感じていたわけですけれど、まあ、大学というのはひとつの街のようですね。

 だいたい、学習院大学の人口は九千人だそうで、これは、僕の住む石下町の隣村である千代川村に匹敵します。人口密度ならば、石下町なんて軽く越えるでしょうから、やっぱり凄いところです。

 それだけの人数が、学問のために一箇所に集まる。
 凄いことだと思わずにはいられません。

 工業高校とはわけが違うのでした。

本番前に授業を見学

 そもそも、僕の出番は午後四時過ぎでしたから、お昼にやってくる必要もなかったのですけれど、M教授のご配慮により授業を見学させていただけることになっていたのです。
 僕が見学したのは、パソコンを組み立てるための授業でした。

 何人かでチームを組み、仮想会社として稟議書などを提出しながら予算内でパーツを購入し、IBM PC/AT互換機を組み立てるという内容の授業は、少人数が集まって教授と和気藹々としながら、という、まあ僕が想像していた大学の授業とは違うものでしたけれど、組織のことを学びながらパソコンを組み立てるという所がいかにも大学っぽいところです。

 ……しかしまあ、ちょっと感じてしまったことがありました。
 僕がパソコンを組み立てていた頃は VESA Local bus なんていう規格のあった頃ですから、ずいぶん昔の話です。
 けれど、基本的なことは変わっていません。
 僕ですら、本を数冊読んで、詳しい人から話を聞いたりしながら組み立てて動かしていたわけですから、それほど難しい物でもありません。
 そういう授業を受講するのであれば、あらかじめ本を読んで知識を得ておくだけで、僕が実際に目にした授業の何倍も詳しい知識を、教授から吸収できるチャンスが広がるのですけれど、そういう学生は、どうやらおりませんでした。
 まあ、必須科目でないとすれば、詳しい人間は受講していないのかもしれませんけれど、もしかしたら、大学生というのは本当に本を読まないのかなあ、と、ちょいと不安になるひとこまでした。

 けれど、油断はできません。
 なにしろ、大学生というのは僕には読み方すらわからないような記号の出てくる計算式をあっさりと解いて合格した方々です。
 それを相手に講演をするのですから、緊張も高まるってものです。

本番前のひととき

 授業の見学も終わりまして、本番までの時間は、M教授の控え室で過ごすことになりました。

 ……。

 窓の外には池袋の街並み。
 広々とした部屋の両側には、僕の蔵書をすっかり並べてもまだまだまだまだまだまだまだまだ余るだけの膨大な棚。

 そこに、机がぽつんとあって、パソコン端末がひとつ。

 これなら、住めます。

 布団も敷けます。
 キャンプ道具を持ち込めば自炊できます。
 東京の夜景を眺めながらトリスの水割りだって呑めます。
 なにより静寂です。
 畳さえ持ち込めば、困ることはなにもありません。
 工業高校の職員室とはまるで違います。

 大学の入学金やら授業料が高いのも、わかる気がしました。

本番

 なんとも馬鹿なことを考えているうちに、あっという間に本番がやってきてしまいました。  石造りの気品ある建物の奥にある教室に向かい、いざ、人生初の講演を行うときが来てしまいました。

 しかも、自分だって受けたことのない大学の授業でやるってんですから、そりゃあ緊張もします。  五、六〇人くらいの学生を目の前に、緊張のあまりにぼろぼろ、かつ、思いっきり時間オーバーをしてしまった講演が、始まってしまいました。

 講演の内容は、別ページを用意しましたので、暇なときにでもお読みください。
 (原稿を読むには、ここをクリックしてください

 実は、録音機を用意して臨んだのですけれど、見事に録音失敗をしておりましたので、用意した原稿を掲載しておりますけれど、本番は、とにかく惨憺たる結果でしたので、本人にもわけがわからない状態でしたことを付け加えておきます。

夜は続く

 どうにかこうにか講演を終え、M教授が夕飯をご馳走してくださることになりました。

 M教授がぽろっと、「学生達には難しかったかもしれませんね」と仰いましたから、予行演習に付き合わせた大学講師経験者……まあ、実は鯖吉老人なのですけれど、彼の感想は当たっていたということになるでしょうか。

 世の中って難しいなあ、なんて、メニューはすべて四桁以上というホテル内の中華料理を食しながら、ぼうっと考えてしまいました。

 もし、僕が大学に通うことが有れば、きっと四年では物足りないと感じるだろうなあ。
 あれだけの環境が揃っているのですから、学問に関してはやりたいことはみんなできてしまうだろうしなあ。

 残念だけれど、僕には大学入試を突破する学力も、大学に通うだけのお金もありません。
 もし、これを読んでいる現役大学生が居たならば、勿体ないから大学をフル活用して欲しいと願うばかりです。

 大学内のベンチに腰掛けてキャンプ道具で御飯を作ったら、やっぱり怒られるかなあかなあ。
 芝生の上にテントを張れば、充分に住める環境だったんだけれど……。

 連載記事

特別寄稿 牛久沼の鰻

 「いやぁ、吃驚しましたよ。河童ですよ、河童、信じられますか? 橋の欄干に腰掛けて沼の面をじぃっと見つめていたんですよ。いや本当なんですから。」
 儂の若い友人が先日そんなことを言っていたのをふと思い出したので久しぶりに出かける気になったのじゃよ。
 ふふ、牛久沼へな。
 腰の重い儂がどこかに行くなどとはめずらしいことではあるが牛久となると話は別であるな。
 なにしろ牛久といえば、河童で有名な小川芋銭。そしてそして明治十八年日本で初めてワインを産み出した牛久シャトー。そして極めつきは鰻丼発祥の地が牛久沼であると云うことなんじゃよ。
 勘の良い会長のことだから儂が何を云いたいのかそろそろ判ってしまったかな。
 まあ、それはそうと何故牛久沼というか知っとるかな?

 それはそれは昔のことじゃった。
 沼のすぐ近くに金竜寺と云う古い寺があってな、そこの小坊主は飯を喰うた後にごろっと横になって寝る癖があったのじゃ。
 ある時、いつものように目覚めると、ありゃ不思議。小坊主は牛に姿を変えておったのじゃ。これは情けなやと沼に飛び込んだと云う話があってな、牛喰沼が転じて牛久沼となった訳なんじゃ。めでたしめでたし。

 そんなこんなで、春雨が降る中をふらっとでかけたのじゃよ。
 国道六号沿いには、○○亭とかXX家等、老舗がずらっと並んでいるが、儂にはその様な店は似合わないので、沼の対岸にある鄙びた昭和の匂いのする□食堂に入ったのじゃ。
 この店は岬の先端にある弘法大師堂の隣ににあってな、なかなか風情のある店なのじゃよ。
 入れ込みの一番奥に陣取って外に眼をむけると、沼の対岸が雨に霞んで見えると云う、鰻で一杯飲るには実に絶好の風景ではあったな。
 ここで見目麗しい和服姿の女性が「ご注文はお決まりですか。」等と優しく微笑んでくれたらまるで小説の世界なのだが、そんな事は世の中めったに、いや、絶対に起こらない事は老人である儂には厭と云うほど解っている。……案の定ではあるな。
 愛想のない無いばばぁに、麦酒一本、肝焼二本、それと鰻重<並>(一〇〇〇円也)を頼む。
 鰻丼の並とか上、特上と云うのは質ではなく蒲焼きの量であるから、儂のような老人は並で丁度良いんじゃよ。
 いや、これは弁解とか言い訳とはちがってだな、年を取るとだんだんと食が細くなってだな、…………。

 まずは麦酒が卓の上に置かれるな。
 とくとくとく、きゅうぅぅぅぅぅっ、とグラスを空けたと思いなさい。思いたく無いと思っても、無理してでも思いなさい。
 そこでおもむろに麦酒壜をこう持って二杯目を注ぎますな。
 二杯目をぐびぐびっと飲ったところへ肝焼二本の乗った皿が目の前に、とん、と置かれたと思いなさい。こほん。素直で宜しい。
 一串目を手に取って一口こう横にしごきますな。すると口の中に甘じょっぱい味が広がるじゃろう? 歯で噛み締めていくと次にはほろ苦さがじわっとひろがるんじゃよ。な?
 そいつをぐびっ、ぐびっ、と喉の奥に流し込んだ時の快感と云ったら、もう笑うしかないじゃろうて。ぐふっ、ぐふっぐふっ、
 いや失敬。年甲斐もなく妙な笑い方をしてしもうたな。
 その後が問題なのだよ。
粉山椒をふるか、はたまた七味を振るかで、麦酒と肝焼を前に、一寸迷っている儂の格好をチラッと見て、都会のOL達が、
 「ねぇ、ちょっと。あの方渋くてイカシてるとおもわない?」
 「本当!ビールと肝焼きを前に煙草だなんてあのくらいの年にならないと似合わないわよねぇ。」
 「そうよ、肝焼きとビールだなんてキモイわよねぇ。」
 「ナイスなおぢさまって、ああいう方を謂うのよねぇ。」
 等と「わぁわぁ、きゃぁ、きゃぁ」やられた日は、煩くて仕方が無いじゃろうて。

 こほん。
 まあ儂は軽く山椒を振って口に運んだ訳じゃよ。山椒と垂れと云うのは、一寸色っぽい年増女が春風に吹かれていると云う感じじゃな。
 七味を掛けると、お侠な若い芸者と云うところかな。
 そんなこんなでちびちびと飲っておったのじゃ。

 そこへ鰻重(並)と味噌汁、香の物が三人連れでやって来るんじゃよ。
 蓋を取ると小振りの蒲焼き二枚鎮座ましまして居るんじゃな。ここでひっくり返して品定めをしてもむだじゃよ。この値段じゃどう逆立ちしても天然物等出てくる訳が無いではないか。
 東京の老舗中の老舗、東麻布の「N」とかならいざ知らず、近ごろでは、南千住の「O」浦和の「M」「Y」等の名店や、川越辺りの名店でもそうそう天然物にはお目に掛かれないじゃろうなぁ。
 まあ儂も万が一と思って、引っくり返してはみたが、残念ながら黄色くは無かったな。
 天然の鰻は胸が黄色いんじゃよ。
 胸が黄色じゃから「むなぎ」そいつがちょっと訛ってうなぎに成るわけじゃな。
 ものの本に拠ると、鰻の蒲焼こそが江戸の自慢であったそうな。鮨とか天麩羅よりも鰻であったらしいな。
 また、長崎にては、浦上のうなぎを、酢味噌にあえて喰ふもをかし。などとあって、一寸旨そうだが、鰻に酢は毒なりと関東にては云うに…。とあると、鰻の酢味噌和えで一杯飲って苦しむのも、この歳ともなるとのう。

 何はともあれ、ほくほくのやつを頬張り、沢庵の千切り等で、ちびちび飲っていると、肝焼二本と鰻重半分で麦酒一本が丁度空いてしまったのじゃ。
 そこで残った鰻重に、熱いお茶を貰ってだな、鰻茶でチンチロリンのサークサクと、仕上げに掛かった訳じゃよ。
 程よい満足感に包まれて傘を開くと、沼の面を渡る風が良い気持ちじゃった。

  色男七味か山椒で迷い居り  鯖吉

 帰りがけに例の橋を渡ったのじゃが、居ったよ。河童が。雨の中でじっと遠くを見つめて居ったな。何となく声を掛けそびれてしまったのでな、そのまま帰って来てしまったと云う訳じゃ。
 そのうちに行ってみるか?
 鰻を奢るんじゃない。河童に間に行ってみるかと云っておるんじゃわい。

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 記憶その13 3・4・5月の貰い物

貰い物
貰い物
貰い物
読者のA様より、ビール、柑橘類、お菓子、生活雑貨などなど、大量に頂いてしまいました。家に帰ればビールのある生活を堪能させていただき、とっても感謝しております。お菓子も美味しく頂かせていただきました。ありがとうございました。
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読者の風来坊様より、シゲ君宛に北海道の情報誌を頂きました。到着後、すぐにシゲ君に渡してしまいましたので写真を取り忘れてしまったのですけれど、本人も喜んでおりました。さすがは”マニア本”だけあって、あれだけの情報が有れば、シゲ君の北海道珍道中の助けになるはずです。ありがとうございました。
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貰い物 読者のI様より、ゴディバのチョコレートを大量に頂きました。夜中に原稿とにらめっこの際にも、傍らに甘い物があると幸せです。脳への栄養補給に役立てさせていただいております。ありがとうございました。
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貰い物 読者のH様より、北海道名物と……なんと、一眼レフカメラ「Canon AE-1」を頂戴しました! なんてったって、自称写真家ですので、カメラを頂けるなんてのは嬉しすぎて荷ほどきでひとり声をあげてしまいました。昆布、さっそく締め鯖にて活用させていただきました。
貰い物 こちらが、頂戴したカメラ。大切にされていた物らしく、良くありがちなレンズのカビもありません。ピント合わせも滑らかで、内蔵露出計も生きています。私が2歳の時に発売になったカメラですけれど、なにせ手持ちの機材はみんな古くて数も少ない状況ですので、現役で活躍してもらいます。本当にありがとうございました。
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このコーナーは、皆様からいただきものを頂戴したときだけの不定期連載です。いや、その、定期連載にできればこれほど嬉しいことはありませんので、お気軽にお問い合わせください。いやあ、なんだか図々しいですけれど、まあ、その。
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 投稿記事

 
貧評会

食住に関しては会長に大脱帽ですが、衣に関しては自慢できます。
私はここ数年パンツ以外買ったことがありません。
ブラジャーはしません。
Tシャツの時はアップリケでごまかします。
(乳首に星のアップリケというデザインではありませんよ。)
女性は結構タンスの肥やしになってる服がありますが好みやサイズなどで人にはあげにくいようです。
日頃から貧乏ぶりと服の頂き物がありがたいことをPRすると上はおばあちゃんから下はコギャルまで色んな方から服をいただくようになり今では95%頂き物で成り立っております。
あげる人にも自分にも地球にもやさしい技です。
・・・が、女性ならではの技のような気がしてきました。
カズミ
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 貧者の知恵 「ポーランド産ウオッカ「Spirytus Rektyfikowany 96度」と全く同じ味わいで評判の消毒用アルコール(1ビン500ml入り約800円)ですが、2001年11月号「トリスを楽しむ」で紹介されていたカラメルを入れると、こりゃまた違った味わいで楽しめます。
また、「男」を感じさせる飲み方としては、本物のトリスに消毒用アルコールを入れて度数を60度前後にし、ストレートでグイッ。濃厚なアルコール混じりの息を吐く瞬間に人生に関わる何かが見えてきます。
渋谷智弘
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 貧乏料理

すでにご存知でしょうが、ノビルの酢味噌和えはいかがですか。鬼怒川ベリに生えているかも。見分けるコツはネギ臭がすればOK。意外や私の住む都内の公園や緑地に多く生息しています。さっとゆがいてから食したほうがよいでしょう。
ユキコ
 もう、ノビルの季節も終わりですね。
 本当は加熱した方が良いのでしょうけれど、泥をぱっぱとはらい、そのままぱくっとやるのがいちばん好きです。
会長
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 読者の声
 〜お聞かせください、あなたの声〜

会長、やっぱり発行部数上位3冊は面白いですよ。難しいことはたまにチクッとやればいいと思うんですよう。そのほうが効果的ですし。ユルくいきましょうよユルく。会長の貧乏カーライフとか、貧乏日用品獲得作戦とかでいきましょうよう。
渋谷智弘

 ごめんなさい。なかなか特集を書く時間がありませんで、ずるずるとしております。
 来月は、それなりにおどおどした特集を企画しております。
会長

こんにちわ、秋葉原デパート内書店にて本を発見し、HPを探し当てました。(逆?)
楽しく読ませて頂いています。

さて、協議会本部の光熱費を拝見いたしまして、電気料金について思ったことを書きます。
神奈川県内ボロボロアパート在住、一人暮らしの自分と使用量がほぼ同じなのになぜ高いのだろう?と思ったら「従量電灯B・20A」で、基本料金は520円とありました。
うちは従量電灯B・10Aで、基本料金が260円です。

何よりも、協議会本部の電気使用環境から察するに、10Aで十分と思われるからであります。

mizu

 まずは、ご投稿いただいた文章が文字化けしてしまっておりましたので、勝手な修正、削除を行わせていただきましたこと、お詫び申し上げます。

 契約アンペアについては、パソコンの関係上、万が一を考えても15A契約で十分ですけれど、借り物ですからあまりいじらずにおこうと考えております。

会長

「鴨」の解体お疲れ様でした。
そういえば、先日道で車にはねられて死んだ狸を見つけました。持って帰って食べようかと思いましたが入れ物が無く、一度家に帰り再度見に行くともう有りませんでした。
残念ですが、早いもの勝ちですから・・・。
狸はやはり「狸縛り」にして焚き火で焼けばいいのでしょうか?
現代人は生きる知恵がなくて駄目ですね(笑)
もし「狸」を拾ったら「解体作業」に挑戦します。
こけもも

 お出かけの際は、ビニル袋は必須ですね。
 内臓だけ取り出し、掘ってきた粘土でくるんだら、熾火と一緒に土に埋め、その上で焚き火をすれば1時間くらいで焼き上がりだそうで。
 これは、まだ試したことがないのですけれど、活きの良い轢かれ狸が手に入ったら試したいところです。

 でも、野生の狸は今、ちょっと勇気が必要ですね。

会長

本はいい。
いろんな出会いがあるからね。書店に並ぶものすごい数の本の中から、あらかじめ買おうという意志のない本との出会いはおもしろい。
最近はもっぱら百円本を購入するけど、なにげなく入った本屋でこれを購入(それも新刊!で)。
心にしみた。貧乏という言葉はきらいだけど、著者の「感覚」は好き。
なんか、「げすな男は嫌いだけど、下品は許せる」という個人的な好き嫌いに通じるものがあって、楽しく気分よく読ませていただいた。
ちゃんと書いてくれて、ありがとう。
蝶子

 こちらこそ、ありがとうございます。
 もうすこし書きようがあったなあ、なんて思っていますので、また本を出す機会があれば、反映させたいところです。
会長

鴨の解体を見ていて、小さい頃、おばあちゃんの実家に行った時の事を思い出しました。
昔の田舎では客が来ると、鶏をさばき、夕食にご馳走を振舞いました。
首を切って血抜きをしたり、羽をむしったりしている所も見た事があります。

春に行くと、おばあちゃんのお母さん(曾おばあちゃん)と裏山に行き、ワラビなどの山菜を取り、お昼のおかずにしました。

牛もいてミカンなども作っていました。
お風呂は五右衛門風呂でちょっと恐かったですが、今思うと野趣に溢れた生活でした。

私は街の子だったので、メダカもレンゲソウも素敵な思い出として残っています。客としての滞在なので日常生活の大変さは知らず、いい思い出ばかりですが、小母さん(おばあちゃんの弟のお嫁さん)は大変だったと思います。

最近は核家族で少人数の生活が多いと思いますが、昔は祖父母、両親、兄弟、親戚のお兄ちゃん、お姉さん、居候などがいて大人数でした。
記憶を辿ると確か13人いたような...。もちろん、子ども部屋もなく、小学校に入学した時、父の古い机を貰い、廊下の片隅に私のコーナーをつくってもらいました。

あの頃は子どもだったので甘い思い出のみ残っていて、幸せな子供時代をおくらせてもらったと両親に感謝です。

つのようこ

 私の小さい頃は、まだ、各家庭で鶏をさばいて食べるということは良く行われていました。
 縁日で買ったひよこが大きく育ってしまい、親戚の家に預ける。すると、当たり前のように食べられてしまうんですね。
 日々の生活風景や、受けた行為が思い出として残るのは幸せなことですね。
 子供の頃の思い出が、物の記憶ばかりというのでは、ちょっと寂しい気がしますから。
会長

仕事でストレスがたまり、お金を湯水のごとく、使いました。会長をみならって明日からは,しめようと思います。
まりあ

ストレスの源を断ってしまうというのも、なかなか効果が期待できるかと思います。
会長

最近、生活水準上がっていませんか?(^i^;)

いきなり堅い話で申し訳ありませんが、将来どうなさるおつもりですか?
20代って貧乏でもなんとかなってしまうものです。
30過ぎたらアルバイトすらどうなることやら・・

僕には何の才能もないので、ただ働くだけになりそうです・・

みや

 いやあ、旨いもんを呑んだり喰ったりさせていただいておりますけれど、自分で買ったわけじゃあないですから。

 明日は明日の風が吹く。
 将来を心配するだけの人生なんて、まっぴらです。

会長

こんばんは。3月号、鴨の解体話、おもしろかったです。
昔、中華料理屋でバイトしていた時、アヒルの足をビニール袋に大量にもらったことを思い出しました。高級店だったので北京ダックにされたアヒルの足だったんだろうな。店長は「アヒルの足なんかでもバイトの子が喜ぶのを見ると、いいことをしたような、でも複雑な気持ちだね」と言っておりました。たぶん彼はアヒルの足を「みじめな食べ物」と見てたのでしょうね。私は単純に食料が手に入ったことを喜んでたのですけど。
それと同様に、スイカの皮の漬け物がみじめったらしいと言う人もいました。捨てるところをああまでして食うなんて貧乏なんだな、と言われました。これまた私は単純にこの漬け物が好きで、夏になると母親にわざわざ漬けてもらったくらいだったのですが。いろんな見方をするんだな、と思ったものであります。私からしてみれば、まだ食べられるものを捨ててしまう方がみじめですけど。
会長はスイカの皮を召し上がりますか?
にん

 アヒルの足なんて、そりゃ大喜びですね。
 そういうものは、中華料理屋だったら余さず始末するのかなあと思っていましたけれど、最近のお店は、そうでもないのですね。
 スイカは、買うことはないし、ご馳走になることはあっても貰うことはないなあ。
 油で炒めて喰うのが好きなのですけれど。
会長

いや、今日本屋で朝あそびの本を見て、会長の写真いいなあ、と思ったもので、それをお伝えしようとしたのでした。
夜明けの写真きれいでした。いつものサンマとかごはんの白熱灯シリーズも好きです。
sekimoto

 どうもありがとうございます。
 あの日の出写真は、石下町の陸橋から撮影した物です。
 まだまだ大地も凍る午前4時半からスタンバイし、風邪の治りかけだった私は……。

会長

去年、大学生協書籍部で「貧乏」の字に反応して立ち読みしてしまい、翌日バイト代で『貧乏神髄』を買ってしまった者です。
かなり楽しく面白く、うなずきながら一気に読んでしまいました。
実は古本屋で日本在住イギリス人のエレン・ジェファーソンの『なぜか「お金が貯まる人」の習慣』という本を買ったのですが、『貧乏神髄』を読んでてこの本を思い出しましたよ。
会長さんほどの思い切った貧乏暮らしはできひんという人、あるいは多少お金をかけてでもおしゃれな暮らしがしたいわという人には、エレン・ジェファーソン方式がおすすめだと思います。
ところで思ったのですが、女の人の貧乏生活というのは、男の人とはまたちがったテクニックや苦労があるのではないでしょうか。
投稿を募ってみるのも面白いと思います。
残念ながら私は化粧をしないので、あまり参考にはなりませんが…。
トリ

 お買い上げ、ありがとうございます。

 性別の違いによる貧乏生活の差異ってのもあるでしょうね。
 まあ、とりあえずは性別に関わらず、投稿していただければ掲載させていただきますし、そういう方向で盛り上がりがあれば、コーナーを新設するというのもありですね。 

会長

私も『東京新聞』で知り、本を読ませていただきました。ちなみに『東京新聞』は貧乏が似合う新聞ですね。決して貧乏臭くもなくて。
本を読んで感じたのは、私たちがいかに「消費社会」に巻き込まれ、鈍感になっているかです。モノだけでなく関係等も自ら作り出さず、消費的に解決していく。そういう受け身的な生活を続けると愚痴や悪口も多くなってしまう。私は障害者施設に勤務していますが、障害者の豊かな生活を消費することによって実現しようとする職員が余りに多いのではないでしょうか?作ること、作る喜びを忘れてしまった私たちは、表面的で消費的な生活に幸福を感じ、相手の消費水準や消費したモノにばかり目がいっているのではと思いました。自分を見直すために余分なモノを剥ぎ取ることの必要性を感じさせてくれた良いきっかけになりました。
平井 勝

 なにかをつくることで得られる喜びってやつを教えてあげることというのは、難しいものです。
 ものづくりに取り組むとき、誰にでも壁とかスランプとかの障害は訪れます。
 生活における不便などは大きいと思いますけれど、つくることに関しては、障碍者であっても同列にあるのではないかなあ、なんて思ったりします。

 つくる喜び、伝えられると良いですね。

会長

こんにちは。貧乏真髄を下京図書館から借りました。とても おもしろかったです。今 大学で 少ないもので豊かに暮らすこと についてのレポ-トを書こうとしている所です。私も炊飯器を使っていません。さらに冷蔵庫もガスも使っていません。ということは お鍋も使いません。(もちろん ちゃんと お料理しているのは大前提ですよ。)かつては あったのですが使わなくてもいいことが分かったので お鍋は 隣のお部屋の1回生にあげてしまったので 未だにコンロは寮に存在していますが 実質的にはないのと変わらなくなったのです。では私はどうやって 暮らしているのでしょうか。それは電子レンジと冷凍庫です(さらにオ-ブンがあれば理想的)。ご飯をいれるお茶碗(私はお抹茶茶椀を使っています)でご飯がちゃんと炊けます。お鍋での炊き方と変わりません。味については 炊飯器よりも遥かにおいしいです。(土鍋では炊いたことはなくて 比べることは出来ませんけども。)人参 玉葱はレンジで茹でてから 冷凍し使う時お汁にいれて レンジします。お味噌汁から カレ-から 焼き芋まで簡単に作れます。それなのに 茹で汁に栄養が流れることも ガスみたいにエネルギ-のロスも 殆んどないのです。だから あきらかにじゃがいもなどは あまく おいしくなるのに 安くて 楽で(お皿を入れっぱなしでいいし あの重いお鍋を洗わなくていいなどと)いいことばかりなのです。ただし 熱のあたりが外からではないので 始めは失敗されることもあるでしょうが これはぜひ。尚 レンジ料理の本はたくさん出ていても 今のところ あんまりいい本がありません。基本的なル-ルさえ 読めば後は自分で応用というのが 現実だと思います。(私がかきたいくらいですもの)私に分かることならお教えしますので分からないことがあれば また聞いてくださいね。
築40年 優雅にくらす寮生

 私の場合、国のエネルギー政策をあてにしておりませんので(笑)。
 日々の自炊にも、焚き火でも炭火でも使える道具を使用するというのが有事の際の備えになっております。

 電子レンジのテクニック、またお寄せください。

会長

はじめまして。「貧乏真髄」発売と同時に購入しました。
私は石下町の在出身なので、何でまた石下町に!とおかしくて。私は現在、貧乏でもない、まぁ「中の下」ですが、年金生活になったら、月10万円貰えそうもないので「貧乏真髄」をバイブルに生きていこうと思います。
最近両親と温泉に行き、会長のことを話題にしましたが、全然知りませんでした。うちの両親は美食飽食のあげく、父は通風予備軍、母は糖尿病です。けっこう貰い物が多い家なので、食べきれない時は、会長宅に届けるよう言いましょうか。その前に「貧乏真髄」読ませなくては。
ユキコ

 長塚節に興味を持ちまして、ぜひとも彼の故郷で暮らしてみようかと……なんてことが嘘であることは、今月の特集をお読みいただければばれてしまいますね。

 蛙の合唱も、日を追うごとに厚みを増してきますね。
 夜なべ作業のバックミュージックには最適です。

会長

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 編集後記/次号のお知らせ

 編集後記
現在、5月31日の午後11時です。もうすぐ6月。おそらく、残り数分と言うところで、辛うじて5月中に5月号を発刊できたかと思います。最近は、「もし遅れたときはタイトルを耐乏PressUSA.とでもしてしまえば数時間は稼げるなあ」なんて、ろくでもないことばかり考えていたり。まあ、コラムを書かせて頂いたり、講演をしたり、出版社との打ち合わせに向けて準備をしたりと、多忙であることは確かです。けれど、やっぱりここでの活動が、いちばん自由に動けます。6月号は、ひさしぶりに時間を掛けて作れたらいいなあ、と思っております。……信用のならない宣言だと思われた貴方、すでにわかっていらっしゃるようですね。とほほ。(か)
 次号のお知らせ
耐乏Press Japan.月号(6月下旬発刊)
特集:未定 連載記事:未定 投稿記事:皆様からの投稿をお待ちしております
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耐乏Press 耐乏Press Japan. 2003年5月号 発行:全日本貧乏協議会(taku3@jh.net) 発行部数:16853 冊
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