耐乏PressJapan.
JAN.
2003
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 2003年1月号目次


 特集

とりあえず書いてみました
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長い沈黙という名のさぼりを経て、耐乏PressJapan.が帰ってまいりました。かといって、なにかやるにも準備が足りず、リハビリテーションと銘打ってのお手軽手段・書くだけという特集でごめんなさい。
特集タイトル写真

なんというか、その……

 大変にご無沙汰をしておりました。

 いやあ、その、なんと申しましょうか、本格的な冬に突入してからというもの、書けない毎日が続いておりました。そんなことを書きますと、「忙しくなったんだね」とか「ああ、スランプだったのですか」なんて思われるかもしれませんけれど……。

 怠けていただけです。

 まあ、毎日が貧乏であることに変わりはなく、従いまして、ネタが尽きるということも起きてはいないのですけれど、ノートを目の前にしても、パソコンでエディタを立ち上げても、その前でボーっと汽笛の音がする、という毎日。
 貧乏日記だけは、一月からなんとか書くようには心がけておりますけれど、どうにもこうにも特集が書けない。どうも、昨年の内に頑張りすぎてしまったのかもしれません。

 しかしまあ、このままじっとしていても忘れ去られてしまうだけですから、そろそろ、かかりの悪いエンジンをオーバーホールして再始動。
 そんなリハビリテーションを兼ねまして、今月の特集はテーマ無しに思いつくままを書いてしまおう、という逃げの一手をお贈りいたします。
変わらぬ日々
 本を出すっていうことは、いったいどういうことなんだろう。
 幸い、僕は去年の九月に出版という経験をさせていただきました。本を出すと言うことがどんなことなのかをぼんやりと考えていた僕。実際、どんな変化があったかについて、まずは書いてみます。

 貧乏神髄を無事に送り出してから数ヶ月、ふらりと東京に出かけ、いまだに大きな本屋さんで積まれているところなんかを見かけますと、まるで親しい友人が出した本を見るような感じ、とでも申しましょうか。自分のこととして捉えることは、もう、できないのですね。
 たしかに、本を出したことによって取材を受けたり、出さなければ出会うことの無かったであろう人々とお話をする機会があったりしたことは、楽しい出来事と言えます。
 けれど、それはどれもこれも非日常であって、日常というやつは、なんら変わることなく日常だったりするのです。さて、ここで日常と申している日常というのは、日々、前進している……もしかしたら後退しているかもしれないけれど、とにかくも毎日同じ花を見たって違う感想を抱くというような、たとえ数ミリメートルでも動いている自分ということになるのでしょうか。
 でしょうか、というのも無責任な話ですけれど、なにかしっくりくる表現を探す、というのも、日常の一齣なのです。

 けれど。

 貧乏神髄によって僕のことを知り、取材をしてくださる方々というのは、貧乏神髄というひとつの点を元に訪れます。この、貧乏神髄という名の点は、僕にとっては既に過去の出来事、ということになります。
 取材をしていただく、という非日常は、どれも楽しいものでしたけれど、どこか後ろに引っ張られるような違和感があって、もどかしい気がしてしまうのです。いつまでも過去に縛られているような感じ、とでも申しましょうか。これはなんとも、不思議な気持ちになるものなのです。

 自分が過去に行ったことというのは、それによって何かしらの責任問題が生じた場合、もちろん今の自分に降り懸かってきます。強制的に連帯保証人にされてしまう一番親しい他人、それが自分の過去、過去の自分なのでしょう。貧乏神髄に関する取材を受ける際、どうしても、連帯保証を快諾したら逃げられてしまった情けない債務者という気分で望んでしまうのは、気持ちが急ぎすぎているだけなのでしょうか。

 というわけで、非日常という慣れない時間は増えましたけれど、日常は、相も変わらず流れております。
 本で得た収入がアルバイトの賃金を上回れば、「職業:作家」と書けるのでしょうけれど、現時点では、「職業:アルバイト」。少しだけ、アルバイトの時間を減らせるようになったのは嬉しいですけれど、アルバイトをしないと暮らせませんから、テキトーに励んでおります。
 冬の始まりと共に思い切って豚肉のブロックを買い、塩漬けにして一月ほど熟成させてから干し肉を作り、それを一年間、ちびちびと削って使う。なかなか卵の安売りに巡り会えずに通常価格で買うか、でも、百円の差は大きいなあ、と購入を躊躇する。納豆で元気を得る。食べ物を貰うと嬉しくて仕方がない。
 そんな日常は、細々と続いているのです。
イット革命っちゃあ、なんだ?
 かつて森という総理大臣が存在した頃の日本では、IT革命という言葉が誉めそやされていました。そんな当時の補助金がやっと下りたのか、それともNTTの意地なのかはわかりませんけれど、小泉という総理大臣が崩壊していく様をラジオで聴けるようになった頃、僕の住む町にもADSLというやつが来ることになりました。
 ダイヤルアップ接続で月に一万円ほど使っていた僕にとっては、絶対に来ないだろうと思っていたADSLの到来は嬉しいニュースでした。予約開始当日に申し込みをしたのは言うまでもありません。

 これによって、僕のインターネット環境はどう変わるのか。
 何時間使っても料金は定額だし、今までに比べれば低額。時計を気にせずに調べ物ができます。有り難い話です。
 以上。

 ……これではブロードバンドに大して失礼かもしれませんから、もう少しだけ考えてみましょうか。

 テレビを捨てた人間ですから、インターネットでテレビを観ようなんて気もありませんし、十二メガビットパーセコンドという速度にしたって、そんな大きなデータを持ってくる用事もありません。第一、パソコンが古いので、今のモデムだって読み込みが終わってからもブラウザの処理待ちで数分間、ということも珍しくありません。大容量の回線を活かせるだけの設備は持ち合わせていないのです。
 貧乏神髄の原稿は全てメールで送信しましたけれど、今度からは、写真データも送れるようになる、という程度でしょうか。まあ、これは二冊目の声がかからなければ活かしようのない話です。
 結局、使い放題の低額な定額、という以外の変化は無いのかもしれません。むしろ、ブロードバンドが日本に浸透していくことの方に、意味がありそうです。

 今となっては懐かしい響きさえあるパソコン通信。あれからどこがどう変わったのかを考えると、それほどの進歩はないのではないかと感じられます。
 パソコンをネットに繋ぐという行為がパソコン通信を指していた時代だって、電子メールはありました。現在、インターネット上で盛んに行われている掲示板でのやりとりも、パソコン通信だって行われていました。
 けれど、パソコン通信時代に比べれば、パソコンの普及率も、ネット人口も、比べ物にならないほどに増えています。パソコン通信時代の電子メールは、同じ通信サービスに加入している人にしか送ることができませんでしたから、送れる相手は限られていました。掲示板だって、パソコン通信と比べればその数は桁違いだし、規模も様々。一番大きいとされている掲示板群などは、たびたび、ニュースに話題を提供するほどの影響力を持つようになりました。使う人が多くなったことこそが、インターネットのもたらした最大の革命と言えます。

 IT革命と言ったって、その上に乗せるものが無ければ意味はありません。テクノロジーを用いてインフォメーションするべきものがあったとしても、それを見てくれる人が居なければ、やはり無意味なものになります。
 ネット人口の増加は、僕が本を出版したことにも大きく関わっています。ネット上の会報誌といったって、読者の皆様が居なければ無意味ですし、サーチエンジンの発展が無ければ、出版社の人間に発見され、掘り起こされることも無かったでしょう。利用者の多さ、規模の大きさは、インターネットというメディアのこれからを左右すると言い切れます。
 では、なんでインターネットがここまで発展したのか、となると、おそらくは、見た目の奇麗さなのだと思います。ホームページというものの存在を知ったとき、僕も少なからず驚きました。これは、世界中のコンピュータが繋がっている、という以上のインパクトでしたし、当時会社勤めだった僕がボーナスを吐き出してマッキントッシュを買うきっかけにもなったくらいです。
 いっくら通信速度に向上がみられたとしても、世界中の人々とメールのやりとりができるという利点があったとしても、文字だけの通信で有り続けたならば、パソコン雑誌以外で取り上げられるような状況は訪れなかったでしょうし、ADSLなんてものが登場することも無かったでしょう。世界中と繋がっている、という利点なんて、見た目の派手さよりは決め手に欠ける部分だと思われます。たとえ、インターネットが日本だけの閉鎖されたネットワークになってしまったとしても、それによってインターネットを利用しなくなる人の割合は、少ないように思えます。少なくとも、僕にとっては海外からの宣伝メールが届かなくなる、という利点の方が大きいくらいです。英語がまったく出来ないと言う事実は、与えられた技術を使いきれないという事実でもありますけれど、それでも、メディアとして役に立っているのですから優れ物です。

 まあともかく、電話線とパソコンがあれば、色々な情報にアクセスできます。カタログとして使うこともできるし、料理のレシピだって写真入りで見られます。買い物もできるし、最近のブロードバンドというやつならば、テレビやラジオを楽しむこともできる。−−最近、パソコンも安くなってるし、ADSLなら何時間使っても料金は一定だし、あなたもやってみれば?−−。こうして、もっと多くの人々を巻き込むことができれば、インターネットはメディアとして更に力を持つようになります。個人のメッセージがより多くの人々に届くようになるならば、これは嬉しいことです。
 ただ、問題も残っています。インターネットというメディアを利用する人間は、パソコンを使える環境にある人に限られてしまっています。利用者の偏りというのは、デメリットかもしれません。利用者が増えれば増えるほど、偏りも大きくなる可能性がありますから、インターネットに頼り切ってしまうことで新たな問題が生じることもあり得ます。ラジオやテレビ、紙媒体メディアとの最大の違いは、技術を要するという点であり、これは案外、大きなデメリットだなあ、と感じる次第です。

 富士山でも携帯電話が繋がるというのも、IT革命と呼べるのでしょうか。ジャンパー姿で真冬に富士登山を試みた二人組が携帯電話で救助を求めた、というニュースには、ITという言葉の脆さを感じます。
 何の装備も持たない二人の遭難者は、携帯電話のおかげで命を繋ぐことが出来ました。最新技術のおかげで死なずに済んだのですから、これは珍しくも携帯電話を誉めてあげなければならないでしょう。でも、真冬の富士山がどれほど寒いのか、という情報を事前に教えてあげることは、携帯電話でさえ叶わなかったのですね。

 一九七五年にアルビントフラーが書いた「エコスパズム」。その原稿の一部は、ロンドンからニューヨークへ電話で送られたそうです。世紀が変わり、今では貧乏人でもパソコンを維持し、インターネットで原稿を送ったり、Webでメッセージを発信することが可能になりました。現時点では、発信をするにはもっとも安上がりなメディアだと考えていますから、これからも、貧乏な僕でもインターネット環境だけは手放さずにすむ程度は稼ごうと思っています。
 間違った方向へ進まないことを祈りながら。
ごまめの歯軋り2003年 〜歴史の値段〜
 旧正田邸が取り壊されることになってしまいました。
 一九三七年に建てられた小学校も、壊されてしまうのでしょうか。
 少なからずの歴史を持つこれらの建築物は、お金がらみで消えようとしています。世界最古の漆は焼失、日本最古の日の丸は盗まれてしまう。日本の足跡は、国の保護を受けることなく消えてしまいました。
 形あるものいつかは……などと申しますし、これらの物に対する価値観も人それぞれです。そんなものを国で保護しようなんてことは税金の無駄! とお考えの方もいらっしゃるのかもしれませんけれど、東京の地下四〇メートルに高速道路を掘ることに比べれば微々たる金額です。いやまあ、貧乏人からすれば、それらを保護するに必要なお金の桁を数えるだけでも気が遠くなるのですけれど、日本の借金額を思えば、五億や十億なんて誤差の範囲です。
 しかしまあ、たとえ誤差の範囲という金額であっても、積もれば山になってしまいます。ここいらへんの判断をする能力が無いのか、そもそも判断する気すら無いのか、どちらなのかはわかりませんけれど、表に出てこない小さな消失は、きっと日本全国各地で日々、行われているのかもしれません。
 世界の歴史をひもとけば、歴史ある物が思想や宗教によって消されてしまった例は多く出てきます。それらの事例と今の日本を比較すると、最近の日本での出来事というのは不気味なほどに情けなく思えます。

 行政に携わる人間が個人として思想を持つのは自由ですけれど、その思想によって歴史を蔑ろにしてしまうのは間違いです。思想は、未来を向いていなければならず、行政に携わる人間であるならば、この国に益をもたらすものでなければなりません。
 政治家や官僚、中央から地方に至るまで、日本の行政には「歴史では喰えない」というコンセンサスが存在するのではないか、と勘ぐってしまいます。古い家を残すよりは高速道路を建設した方が金も動くし利権も生じる。そういった、拝金主義というイデオロギーによって歴史ある物が失われてしまうなんてことは、百年後、五百年後の人々が検証したならば、最も愚かな間違いとして教科書に載るのではないかと感じています。
 経済力と豊かさは比例しないと言う結果は、すでに出ているのです。

 今の日本の生活は、国内では得られない物によって支えられています。闇を照らすのも、車を走らせるのにも、他国からエネルギーを買ってこなければなりません。なのに、電気だってガスだって、お金さえ払えば使い放題です。この一月から東京電力が原子力発電所を停止していて、節電を呼びかけています。けれど、某田舎町にあるなんら歴史的根拠を持たないお城を模した地域交流センターは、夜になると煌々とライトアップされています。一地方の話とはいえ、行政にすら危機感は存在しません。
 食べ物だって、海外から買っています。日本の食糧自給率は四割と低く、国内で賄えるのは米、一部の野菜、卵くらいなものです。それでも、街には世界中の食べ物が溢れています。
 エネルギーも食料も、海外から買ってくれば良いという政策が罷り通るだけの経済力を持っているのですから、日本というのはとても豊かな国であるはずです。だったら、人々の心だって、もっと和やかであっても良いはずです。なのに、どこか殺伐とした閉塞感に満ちているのはなぜなのでしょう。歴史を蔑ろにしてでも新しい物を建てようとする。借金をしてでも国家予算を下げない。日本は、いまだに豊かさをお金で計っているのです。

 お金に対する欲望には上限などありません。立派な大学を出た官僚達が、バブル経済がなんであったのかを把握できていないとは言わせたくありません。失速した機体を墜落させておきながら、ろくな修理もせずにまだまだ飛ばそうとしたって無理です。ふたたび急激な経済成長を夢見て、こんどは本当にアメリカを買ってしまおうと考えているのでしょうか。やれやれと、まずはお茶でも飲んでホッと一息した方が良いでしょうし、そのためには、墜落で散らばり火の着いてしまった残骸を消火して退かさないと邪魔です。墜落した飛行機のファーストクラスに座り続けてキャビアとシャンパンの出てくるのを待っていたって何の解決にもならないのです。まずはそのカーテンの奥から顔を出し、ビジネスクラスやエコノミーの惨状でも眺めたら如何でしょうか。

 まあ、僕は貨物庫でひっそりと酒を呑んでますからご心配は無用ですけれど。

 豊かさというのは、文化無くしては成立しません。歴史を大切にする気持ちがあれば、文化だって取り戻せるでしょうし、新たな文化の芽生えることもあるでしょう。そのくらいの経済力は、十分に残っていると思うのですけれど、なぜか、今の日本は壊すのが好きなようです。
 オリンピックで長屋が壊されたときからまったく変わらず、離陸時の体制のまま墜落してしまったことくらいは気づいて欲しいものです。
来月はちゃんとやります
 というわけで、三本の繋がり無き文章でお茶を濁させていただきました。

 幸い、取材やらなにやらでそこそこの稼ぎがありましたので、二月は一週間ほどアルバイトを休むことにしました。この一週間で一気に山積みの作業を片づけ、耐乏PressJapan.もかつてのペースに戻すつもりでおります。
 これまで通り、二月号のくせに三月に出たりすることも十分に考えられる事態ではございますけれど、どうか、あきれることなくおつきあいください。

 では、また来月に。

 連載記事

 
 
 記憶その11 1月の貰い物

貰い物 読者のあきやん様、T様より、LANボードを頂戴しました。貧乏日記にて、三月下旬に石下町にもADSLがやってくるという話に触れまして、「LANボードを手に入れなければ」なんて書きましたところ、すぐにLANボードをくださるとのメールが。まだ動作確認はできていないのですけれど、一枚はマッキントッシュでも動くもののようです。これで、安心して三月を迎えられます。ありがとうございました。
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このコーナーは、皆様からいただきものを頂戴したときだけの不定期連載です。いや、その、定期連載にできればこれほど嬉しいことはありませんので、お気軽にお問い合わせください。いやあ、なんだか図々しいですけれど、まあ、その。
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 とまあ、そんな感じで2月中の入稿を目指して作業は進みました。
 1月号をすっぽかし、貧乏日記も途絶えがちになりながら、原稿書きは順調に進んでいったのです。

 ちなみに、当時は「貧乏神髄」という書名は存在せず、別のタイトルでの発売を予定しておりまして、耐乏PressJapan.の特集+貧乏大辞典という構成で出版するはずでした。貧乏大辞典の修正は微々たる物で、所々に配置する写真を撮っておくだけで済みました。特集の加筆修正も、それほど大げさではありませんでしたから、1ヶ月ちょっとで入稿というのもなんとかなりそうだと考えておりました。

 実際、2月中旬には作業も90%ほど終わったと確信できるところまで行きましたし、あとは表紙に使う写真の撮影と、校正を残すのみとなっていたのです。

 ところが。

 今週中に印刷所へ入稿、という段階で、D社の編集者O氏が風邪で倒れました。これにより、入稿予定が1週間ほど延びたのですけれど、今にして思えば、これははたして風邪だったのか、という出来事が、大きな口をあんぐりと開けて待っていたのです。

 完成目前にして、O氏の口から出た言葉。ついでに、とでもいうようなさらっとした口調で、「ああ、それと貧乏○○○(当時の書名)はD社では出さないことになりましたから」と聞かされたのです。

 !?

 まあ、ここで突っ込んでも仕方がないので、その場では流すことにしました。

 だって、まさか自分の本を出すはずの出版社が。
 倒産するなんて。
 さすがにそこまでは考えませんでしたから。

 そうです。出版する予定だったD社は、この年の4月に無くなってしまったのです。
 このままD社で出しても本が死んでしまう。2月に印刷所に出せば、4月には発売になります。潰れる前にD社で出すこともできましたけれど、なんとか他の出版社を探します、という編集者O氏のご尽力によって、「貧乏神髄」は産声を上げられたのです。

 いや、とんでもないところで不意に訪れた不況の直撃を、実は、僕としてはとっても楽しんでいたなんて口が裂けても言えません。

 まあ、なにはともあれ、こうして路頭に迷った男二人。
 途中、J社で出せることになりそうだ、という未確定情報も入りましたけれど、流れ流れてWAVE出版という新たな出版元に漂着することが出来まして、ホッといたしました。

 けれど、すべてそのままに、というわけにはいかなくなり、90%はクリアしたと思っていた出版への道のりは、いきなり三割くらいにまで引き戻されてしまいました。
 貧乏大辞典の収録は無かったことになり、その分を、新たに埋めなければならなくなったのです。
 3ヶ月の休眠から開けた「貧乏神髄」執筆の日々は、いきなり書き直しの嵐となって吹き荒れることとなりました。

 締切は8月下旬。完成度は、三割。

 エンジン再始動なのでした。

 ……とまあ、ここで裏話をもうひとつ。実は編集者O氏からも聞いたことのない事実を、最近、偶然にも見つけてしまったのです。
 ここ。最後の方。

 世の中って、なかなかに大変なのですね。

つづく

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貧乏彩時記 〜第10回:ぽつっとなのはな
十二月七日 大雪
 この時期の朝というのは、どうにも調子が狂ってしまう。
 午前五時、ラジオは深夜番組から朝の情報番組へと切り替わり、軽やかな音楽で一日の始まりを演出しようとする。少しすると、始発列車の来るらしい踏切の警報が寒々しく遠くに聞こえる。六時になれば、防災無線も朝を告げ、お寺では鐘が鳴る。どうも、違うのだよなあ。
 まわりはしきりに朝を押しつけてくるけれど、窓の外は真っ暗な夜。僕は依然と夜の延長で本を読んでいるのだ。やっぱり、朝というのは明るくなければいけない。せめて、冬の間は一時間ほど朝を遅くしてくれたならばなあ。そんなことを考えてしまうと、いつの間にか本の内容を目で追うだけになってしまって、三ページ前のことすら覚えていないから困ってしまう。そうこうしていると、やがて空も白んでくる。ラジオの朝から二時間ほども後の、正真正銘の夜明けだ。
 わずかばかりの生ゴミを捨てて寝ようと表に出る。一晩中、熱を奪われ尽くした冷気はまだまだ十分に冷たくて、半纏のはらんでいた暖かい空気は一瞬にして抜けてしまう。雑草に降り立ち凍りきった霜。吐く息の白さ。犬の鳴き声までをくっきりと伝える透明な空気。霜柱を砕く足音。どこをとっても冬一色の景色の庭を歩き、生ゴミを穴へ放り込む。葉の出なくなった人参のヘタと馬鈴薯の皮、魚の鰓。首を縮めて引き返す僕の目に映るものは相変わらず冬だったのだけれど、視線の先、やや明るさを増した庭の真ん中で、不自然な黄色が目についた。
 あまりにも時季はずれで場違いな、でも、そんなことは承知の上であるかのように弱々しく咲いている黄色の花は、どう考えても菜の花のようであった。関東の平野部ではまだ寒い日の続く頃、一足早い春を迎える房総半島などで咲き乱れる、あの、菜の花。それが、なぜか冬真っ盛りの、霜にびっしりと覆われ凍てついた庭に、ひとつだけぽっつりと咲いているのだ。どうしちゃったんだ、いったい。心の中で話しかけるように、しばらくの間、寒さを我慢して眺めていた。
 これが二月くらいであったならば、そういえば、どことなく暖かくなってきたかなあ、なんて具合に春を感じられるのかもしれないけれど、順番を無視した春の訪れでは、かえって調子が狂ってしまう。こんな時期に咲いてしまった菜の花だってきっと、しまったなあ、なのはなはいちめんに咲くはずだったのに、なんて調子で仕方なく咲いているのかもしれない。一二月では、蜜を吸いに来る虫だって居ないのだから。
 喰ってしまうのは簡単だったけれど、そっとしておいてやろうと思った。
 投稿記事

 読者の声
 〜お聞かせください、あなたの声〜

世の中とんでもない不景気だと言われていますが、よく見ると、生活は次第に贅沢になっています。だから「生活レベルを30年前に落とせば全然問題ないの。」と、みなさんおっしゃいます。でも、やっぱり、自分だけが貧乏(質素)な生活をすることは難しい。ヒトナミにきれいな洋服も着たいし、大きな車にも乗りたい。焼き肉だって食べたい。ああ、どうしたらいいんでしょ。このヒトナミっつうのが困りもんですよね。
渋谷智弘

よそ様はよそ様、うちはうち。そういう教え方は絶滅してしまったのかもしれませんね。
会長

会長、お久しぶりです。
またまたまた本の紹介にやってまいりました(笑)。

「「段ボールハウスガール」(萱野葵/新潮社)という本を、今読んでいるのですが、なんかこちらを紹介したくなって、おじゃましました。

20代の女の子の話なのですが、ちょうど仕事を辞めた直後、爪に火を灯すようにして貯めた虎の子の200万を空き巣に取られ、アパートを出ていく羽目になったのですが、ホームレスになりながらも年間200万を貯めてしまったという、とんでもない内容なんですが、これがかなりリアルで引き込まれるように読んでしまいました。

同じ本に「ダイナマイト・ビンボー」という短編小説が載っているんですが、こちらもかなりお勧めです。

これから寒くなってきますが、どうかお風邪などをひかれませんように。
happygirl

ありがとうございます。
最近、ホームレスな方々も、ホームを持っているんですよね。

漂泊というのは、いまさら流行じゃあないのでしょうか。
会長

買っちゃいました「貧乏神髄」。
いろんなもんリストラして、心と時間は豊かな生活を取り戻すべく、今日からタバコは「わかば」になりました。(笑)いい味です。
耐乏PressJapan 楽しみにしてますよ。
COCO

もし、セルロイドの煙草入れが見つかったなら、わかばには良く似合います。
僕も、ひとつ欲しいなあと感じるのですけれど、今となっては入手困難。
機会があれば、エコーも試してみてください。
会長

御著書『貧乏神髄』を読ませていただきました。貧乏というより、潔い暮らしと感じました。昨日、友人に誘われて東京銀座にある「相田みつお美術館」を訪れました。彼の人間味あふれる書体も文体にも好感を抱いていましたが、実子が運営している同美術館の回覧コースの最後には販売コーナーが設けられ、あふれんばかりの人が群がっていました。自分の心を見透かされるような書に対面したあとの多売なコーナーは、心の世界と現世とをごちゃまぜにしたもので悪寒が走りました。みつお氏の作品集は持っていますが、薄汚く思える自分が悲しい。なお、販売コーナーで「アルバムを含めてゴミ」という御著書のくだりを思い出しました。財布のひもをゆるめた人が持ち帰ったみつおの“幻影”は、きっとゴミになるのでしょう。
ねこ人間

カレンダーは、トイレの定番アイテムとして良く見かけます。
作品は、作品として見たいですね。
会長

なんか会社が傾いて来ました。時間の問題かもしれない。
なかなか転職先も見つからないし、いっそのことスパっと辞めちゃおうかとも思っていますが、これ以上貧乏になるのかと思うとウジウジ・・
やはり顔に「貧乏」って書いてあるのでしょうか、ここ4〜5日ごちそうされまくりです。
スキヤキ、ドンペリ(一杯だけですが)・・こんな高い物をいただいてしまうと人間がダメになる・・

「貧乏神髄」近くの本屋になかったのでネットで注文しました。
投稿者

ご購入、ありがとうございます。
ネット書店ですと立ち読みは出来ませんけれど、欲しい物を見つけるには便利ですね。
欲しい新刊本が無いので、まだ利用したことは無いのですけれど……。

すき焼き、上白糖料理の最高峰ですね。
会長

はじめまして。「貧乏神髄」楽しく拝読いたしました。図書館で借りて読んだため、会長の懐は暖まらないと思われます。
10年ほど昔、私も筑波山近辺に住んでおったので、会長に勝手に親近感を覚えました。

そこで一つ、貧者の知恵を。
スーパーで買ってきた根っこのついた万能ネギを、根元から5センチほどのところで切り落とす(上の部分は食う)。綺麗に洗って一晩水にさしておく。次の日、土に植え付ける。1〜2ヶ月で、切った部分からどんどん生えてきます。私はこれのおかげでめったに青ネギを購入しなくなりました。ぜひやってみて下さい。

今頃そちらでは筑波おろしの季節でしょうか。
風邪などひかれませんように。では。
にん

我が家の青葱も、今は冬枯れております。
春、新芽が出てくればホッと一安心。

春の待ち遠しい季節です。
会長

「貧乏神髄」を拝読しました。貴見に前面的に賛成です。私は良寛が好きなのですが、良寛に通じる哲学を感じました。
石下町を歩いてみましたが、かつての長屋跡がどのあたりか分かりませんでした。
このHPを楽しみに読ませて頂きます。
小生 しがない中年サラリーマンです。
ひろし

作務衣を着て列車に乗ると、見知らぬお年寄りに頭を下げられてしまいます。
どこの誰かはわからぬお婆さん、この場を借りてごめんなさい。

かつての貧乏長屋は、石下大橋から見下ろすことが出来る場所にあります。
僕の住んでいる頃は、セイタカアワダチソウが生い茂っていてすぐにそれとわかったのですけれど、今は奇麗になっているようです。
会長

先日、本屋で見つけてしまいました。
何かと言うとあの「赤い本」。
どうしようかと思いながらも、つい買ってしまいました。
この田舎の本屋に2冊もあるなんて、出合ったのも何かの縁。
大事に読んでいます。

昨年、1回投稿したものの別のサイトでおしゃべりしていました。
新年の本屋で見つけたのも、基本に戻れという事なのかなと投稿させていただきました。
つのようこ

ご購読、ありがとうございます。
あの表紙、一冊一冊に微妙な色の違いが出てしまうようです。
それはそれで、気に入っております。
会長

はじめましてです。朝日新聞で貧乏神髄を見て、地方に住んでいる為本がなく注文して買いました。そして本からこのページに来ました。役にたちそうな情報は別にもっていない私ですけど、ただた〜んじゅんに貧乏生活もよいな…と感じてしまい、昼はめずらしくおにぎりなんて作ってしまいました。惣菜を買っていたら意味ないけど…
なんとなく投稿

ウェブの方は、こぢんまりとやっておりますけれど、よろしかったらまたお立ち寄りください。
最初はおにぎりだけでも、少しずつ、広げていけば楽だし、美味しいと思います。
生活全般に、少しずつおにぎりを増やしていけば、必要なものだけで暮らせるようになるかもしれませんね。
会長

“貧乏神髄”はO.ヘンリーの“賢者の贈り物”に通じるものがあるなあ・・・。貧しいけれど、心は裕福という様な。
かよ

「賢者の贈り物」と聞くと、高校生の頃を思い出します。
会社勤めの頃は、「きょうのわんこ」を観てしまうと遅刻確定でした。
中学くらいまでは、NHKだったのですけれど。
会長

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 編集後記/次号のお知らせ

 編集後記
ずいぶんと長い間のお休みになってしまいましたけれど、どうにかこうにか、三ヶ月連続休刊だけは阻止することが出来ました。首を長くして待っている方もいらっしゃったようで、どうも、お待たせいたしました。毎年行っていたサイトのリニューアルも、今年はサボってしまいました。試作したものはあるのですけれど、メンテナンスが困難な作りは自分の首を絞めることになるとわかりましたから、新年度くらいには、シンプルな構成に作り替えられたら良いなあ、と。二月号は、きちんと作りあげたいなあ、と考えておりますけれど、そろそろ公開して一年経とうとしている貧乏大辞典も、第三版の編集に着手したい。抜けている単語もまだまだたくさんありますから、今度こそ、収録語彙一〇〇〇語を達成したいところです。なんにせよ、目下の目標は猛威をふるっているインフルエンザから無事に逃れることです。安静にしていれば一週間ほどの静養で済むであろう病気も、貧乏人と老人には驚異です。(か)
 次号のお知らせ
耐乏Press Japan.月号(2月下旬発刊)
特集:未定 連載記事:発掘!!貧乏図書(6)/貧乏彩時記(11) 投稿記事:皆様からの投稿をお待ちしております
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耐乏Press 耐乏Press Japan. 2003年3月号 発行:全日本貧乏協議会(taku3@jh.net) 発行部数:13837 冊
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