耐乏PressJapan. 2002年6・7・8月合併及び三周年記念さらには貧乏神髄発売記念特大号
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 ご挨拶

 おかげさまで、Web会報誌「耐乏PressJapan.」は1999年8月の創刊以来、3周年を迎えることができました。読者の皆様に支えられての3年間、大変に有意義な貧乏を過ごすことができました。ここに、お礼申し上げます。
 さらに、この3周年という目出度い節目に、どさくさに紛れて本当の出版のお知らせもさせていただけることになりました。詳しくは、後ほど。

 なにはともあれ、4年目もマイペースでの発刊となりますけれど、ひとつよろしくお願い申し上げます。
全日本貧乏協議会会長 川上卓也
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 2002年8月特大号目次

特集
一億総貧乏時代の幕開け

〜全日本貧乏協議会の考える貧乏とは 平成14年度版〜 後編


 三周年記念記事

  各界からの祝辞
  貧乏神髄発売記念特別インタビュー

 連載記事

  ロハな便利グッズ(2)
  これ、もらいました(感涙)(9)
  シゲ君の嗚呼、高校三年間(12)

 投稿記事

  貧評会
  読者の声
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  編集後記/次号のお知らせ

 特集

一億総貧乏時代の幕開け
全日本貧乏協議会の考える貧乏とは 平成14年度版 後編 ---
一億総貧乏時代における貧乏とは。いよいよ後編です。一億総貧乏時代を気持ちよく過ごすためには。

※前編は4月号、中編は5月号の特集をご覧ください。
特集タイトル写真
貧乏くさい世の中

 一億総貧乏時代、人々の転がり落ちる先にある貧乏とは、真の貧乏ではありません。貧乏によく似た、けれど、本質は貧乏とは明らかに異なる、貧乏もどきの世界がそこにあるのです。本当の貧乏人からすれば、お金がないわけではない。けれど、なぜだか汲々としていて、本人からは貧乏くささがにじみ出てくる。この貧乏くさいことこそが、一億総貧乏時代の転がり落ちていく貧乏なのです。

 〜くさい、という言い方は、ネガティブな場合に用いられます。嘘臭い、という言い方はあっても、本当臭い、という使い方はしません。貧乏くさいことは、偽物であるということなのです。
 では、この本物と偽物との違いは何なのか。答えは、消費をキーワードにすることで探ることができるのです。

 思想が消え、不完全なマニュアルの中から選択をすることしか知らない考えられない人々は、どんなに収入が落ちようとも、消費することを止められません。消費をし、物を手に入れることでしか、自分を作れないのです。すなわち、常に流行を追いかけ、ブランドを崇拝し、手に入れ、身につけたり飾ったりすることでしか自分を確認できない人々の中に、創造力はありません。
 物によって自分を誇るような人間ほど、オリジナリティに変なこだわりを持っていますけれど、そういう人は、売られている物の組み合わせによって個性を主張することの虚しさには気がつきようがありません。消費には思想など無く、そこに創造力はありません。物による個性があるとしたら、それは、その物を作った人間の物であって、買った人間の個性になどならないのです。そして少なくとも、大量生産の安物には個性など皆無なのです。

 自分の価値を、物の価値に頼って保とうとする人々が、長引く不況で財力を失ってしまった今、マスメディアから流れてくる情報もまた、安物を見繕って豪華に見せるという方向から発せられるようになりました。消費させるためのメディアは健在であり、人々は、それを信じて安物を買いあさります。

 ビニルとプラスチックで埋め尽くされた部屋に住み、安く手に入れた偽ブランド品を持ち歩き、インスタントの偽物を喰って暮らす。貧乏くさいったらありゃしません。

文明の消費は二十世紀で終わった

 敗戦後の日本における「消費=ステータス」という図式の始まりは、三種の神器と呼ばれた家電製品の登場に見られます。五十年代半ばまでは、テレビ、洗濯機、冷蔵庫の中で最も普及していたのは洗濯機でした。初任給が一万円に満たなかった当時、三万円弱の洗濯機は高価な物でしたけれど、三種の神器の中では最も安く、家事の手間を大幅に省けるようになるという利点もあり、順調に普及していきました。
 ところが、五九年になると、洗濯機の普及率は価格にして二倍という高級品、テレビに追い抜かれてしまいます。五八年には一〇〇万件だったNHKの受信契約数は、五九年には二〇〇万件を突破します。皇太子の結婚式中継放送というイベントが、生活必需品になりつつあった洗濯機を凌駕したのです。

 一部の裕福な家か、よほどの道楽者の家にしかなかったはずのテレビを、周り近所が次々に購入していく。テレビを買った家の屋根には、真新しいアンテナが燦々と輝くのです。結婚式の中継を観たいという欲望、周りの家に負けたくないと言うプライドの双方をくすぐられた人々は、ボーナスをつぎ込んでも半分しか支払えないような高価な物を、力尽くで買い求めました。物によってステータスを得ようとする分不相応な消費の始まりと言えます。
 とにもかくにも、五十年代にはデパートが月賦販売を始め、六十年代には日本初のクレジットカードが誕生。三種の神器に変わってカー、クーラー、カラーテレビの3Cが新たなステータスとなり、七十年代にはコンビニやファーストフードも登場。思想が消えた途端に人々が消費へとシフトしたカタログ文化の下地は、既に育まれていたのです。

 バブルは、もっと新しいものが欲しい、高価な物というステータスを手にしたいという欲望の最高潮でしたけれど、脆くも崩れてしまいました。人々の経済力は、初めてテレビが登場した当時とは比べ物にならないほど大きかったのに、テレビ以上に人々を興奮させ、物によってステータスを得るという行為を満足させられる商品は、この頃には既にありませんでした。価値のない物に架空の価値を着せ、膨らませて破裂させてしまったのがバブル経済だったのです。

 科学技術の行き詰まった今、どんなに高い車であっても、車に詳しくない人間には、それがどれほど高価なものなのかなんて分かりません。時計だろうとバッグだろうと、同じ事が言えるでしょう。仮に本物のグッチを持っていたとしても、Tシャツにジーパンという出で立ちでバス停に立っているようでは、偽物だと思われても仕方がありません。ところが、テレビが登場した当時などは、テレビはテレビ。メーカーも、品質も関係ありません。スイッチを入れれば像を結び、チャンネルをひねれば映像が切り替わる。テレビを知っている人間なら羨ましがるでしょうし、知らない人間は、腰を抜かしてしまいます。知名度と価格と驚き。三種の神器、3Cの時代も大昔となった二十一世紀、消費によってステータスを手に入れようとしても、そんな物は売られていないのです。

 決定的なステータスの売られていない現代、消費は、見た目や機能向上を売りとした新製品を小刻みに買い換えさせたり、一〇〇円ショップのように、安く大量に思い存分にゴミを買い漁るという方向へシフトしました。自分の価値を物の価値に置き換えるという風潮は変わっていませんけれど、置き換える物の価値は、ゴミ同然に変わっています。限られた金を細々と散財したところで、その場の話題で終わるだけですし、手元には、消費したことの証であるゴミが残るだけなのです。

 けれど、消費をすることで自分を誇る時代の終わったことに、人々は気付いていません。

では、貧乏とは

 いつまでも消費中心の生活をしていては、貧乏くささの中からの脱出はできません。貧乏へ自らの足で降りて行くには、消費社会から自分を消費させないことが重要となるのです。

 一〇〇円ショップでゴミを買いあさるという行為は、財という力を分散させて消費することになります。分散された、ひとつひとつの力はとても弱く、ゴミでしかありません。買えば買うほど、力を分散させ、消失させる、まさに自分自身を消費してしまうことに繋がってしまいます。
 消費されない自分とは、消費しない自分でもあります。すなわち、消費は生きるために必要な最低限の衣食住にとどめることで、消失してしまう力も最小限にとどめることができるのです。残った力は、分散させるのではなく、一点に集中して放つ。貧乏とは、財力だけでなく、自分の持てるすべての力を、定めた方向へ集束させるための術なのです。

 思想もなく、考えることを知らず、力を分散させ消失させるだけの貧乏くさい生活へと転がり落ちる人々。物でしか自分を表現できない、そして、そんなことを可能にしてくれる物質すら存在しなくなってしまった今、彼らに創造力などありません。貧乏は、彼らには存在しない創造する力を養うことができます。創造力は、きっと必ず、物に頼らない本物の個性を生み出してくれます。自分探しの旅だとか、癒されたいとか、そういうくだらない戯言を並べ立てるだけでなにも考えず、ぼうっと生えるだけの考えない葦の中で、貧乏人こそが、人間として生きられるのです。

 貧乏人には力があります。財力は乏しくとも、それを補うだけの自由な時間、自由な心、考える力、創造する力があります。貧乏生活は、それらの力を束にして、一点に注ぎ込むことを可能にしてくれるのです。

貧乏は時間を作る

 第二次世界大戦中、ナチスドイツがポーランド南部の町に建てた強制収容所は、死の収容所と呼ばれました。オシフィエンチムという名の町でしたけれど、ナチスは、この町をアウシュビッツと名付けました。収容所の入口にある鉄製のアーチに、「Arbeit macht frei.(労働が自由を作る)」という格言が掲げられていたことを、教科書に掲載された写真でご存じの方も多いでしょう。貧乏くさい人々はともかく、少なくとも貧乏人には、この忌々しい格言は当てはまりません。

 貧乏人にとっての労働とは、拘束でしかありませんけれど、残念ながら文明国で生きるためには、お金を得なければなりません。労働は、自分の持つ限られた時間を、組織に切り売りすることでお金に換える行為でしかないのですから、貧乏人と言えども生きるためにはやむを得ない拘束です。
 けれど、貧乏によって衣食住に関する出費を最低限に抑えれば、必要なお金は少なくて済みます。よって、切り売りする時間も少なくすることができる。貧乏は、自分自身のために使う時間をより多く得ることが叶うのです。

 身の回りのあるものの中で、最も大切なのは時間です。寝ていても、空を眺めていても、働いていても、次々と過ぎていってしまう時間は、お金に換えることはできても、お金で買うことはできません。自分の進むべき道を歩みたいと考えた場合、いちばん必要となるのは時間であり、お金などは二の次。好きなことを成すためにお金を稼ごうとすればするほど、好きなことをするための時間は少なくなります。
 道具を揃えなければできない、というのも間違った判断です。道具を手に入れるために働く時間を増やすことよりも、本当にその道具が必要なのかを考える時間、可能ならばタダで手に入れられないか、自分で作れないかを考える時間を増やすことの方が、よほど有益です。
 労働は時間をお金に換えることができますけれど、組織に属している以上、必ず中間搾取が存在します。結局、働けば働くほどに、自分の時間を安く消費されてしまうことになるのです。

 時間の価値は、自分のために使うことで最もその力を引き出すことができます。自分の時間が持つ価値を最大限に磨き上げ、貧乏力として一点に注ぎ込むことは、消費などでは得ることのできない個を創造する。貧乏は時間を作り、時間は、自分を創り育てるのです。

時間の自由は心の自由を生む

 貧乏によって労働時間を減らすことは、自由な時間を増やすと共に、心の自由すらも得ることができます。少ない賃金でも暮らせる力は、思った以上の強さを持つのです。

 働く人にとって、職場というのは社会との接点としても大きな存在です。一日の多くを、一週間の多くを、外出しているうちの多くを、職場で過ごす。そこには世間が存在して、その中に加わっている自分は、その場では世間の中のひとりになってしまいます。
 もし、貴方が個を持つことができたなら、個を持たない、個性を物にすり替えて生きるような貧乏くさい人々との関わりを煩わしく思うことでしょう。労働時間を減らすことができれば、そんな苦労も少なくなります。仕事に失敗してクビになっても、自分の生活を最低限にすることができていれば、それを支えられる程度の仕事を探すのは難しくありません。会社がらみの悩みを抱え込んで自殺してしまうような悲しい結末は、貧乏人には無縁なのです。
 今の仕事が嫌になれば、ぷいっと辞めてしまって次を探すことも、何に対しても聞く耳持たず、平然と居続けることも、自分の考えひとつ。必死に稼ぐ必要のない暮らしは、なにしろ気楽です。

 貧乏人にとって、労働を減らすことは自由に繋がりますけれど、得られた自由は、決してなんでもありではありません。せっかく得た時間という力、心の自由も、使わずにいたのでは腐ってしまうだけです。貧乏が腐ると、結局、貧乏くさくなってしまうどころか駄目人間の烙印を押されてしまいます。
 けれど、この自由を集束し、力として叩きつける何かが見つかったならば、たとえ他人がどうのこうのと言ってきたとしても、駄目人間呼ばわりされたとしても、周りの雑音を気にする必要はありません。自分に自信があるならば、他人に駄目人間の烙印を押すような人の方がよほど駄目なのだと、心の中で笑えるはずなのです。

 時間の自由と心の自由は、貧乏人のために用意されています。

借金は自由を奪う

 貧乏で得られるのが時間であるというならば、借金をしてお金を得ることで時間を前借りできるのではないか、と考えてしまうかもしれません。そんな貴方とは、残念ながらお別れです。借金は、貧乏人から自由を、貧乏力を失わせてしまうのです。

 借金によって時間を得ても、その時間はいつかは終わってしまいます。借金によって一時的に時間を二倍にできたとしても、その時が終わってしまえば、不自由な時間は三倍にも四倍にもなって降りかかってきます。未来の時間を拘束されてしまうことは、選択の自由を失うことになります。ましてや、たかが家一軒のために人生のほとんどを差し押さえられてしまうのでは、家のために生きていたことにしかなりません。

 今の仕事によって安定した収入が得られていたとしても、一年後にもそうである保証などはどこにもありません。仕事に嫌気が差してしまったとしても、次の仕事だって今の収入を維持できることを条件にしなければなりませんから、転職も大変です。まして、会社を辞めてアルバイトをして暮らそうなんていう選択は真っ先に潰されてしまいます。借金を抱えた時点で、貧乏人は自由という力を失ってしまうのです。

 旅行に行くためであろうと、好きなことをするために必要な道具を買うためであろうと、借金というのは、自分の能力以上の力を借りてくる行為ですから、するべきではないのです。
 あの道具さえあれば、もっと凄いことができる。そういう考えは、自分の能力を過信しているだけです。物の威を借りて生きる貧乏くさいひとびとと一緒のことを、貧乏人が考えてはいけません。

 生活のための借金などは、もう救いようがありません。生活を最低限にすることができなかった証であり、結局、貧乏くさいだけだったことを証明するだけです。

 まあ、そもそも貧乏人には保証がありませんから、借金などしたくともできません。金貸しに見向きもされないところにまで、さっさと降りてきてしまえば、借金からは無縁の存在となるのです。

失われた力、考えるを取り戻す

 カタログ文化の始まりと共に思想が消え、考えることが失われてしまいました。貧乏は時間を得られる、心の自由を手にすることができると申しましたけれど、実はこれらすべては、すべて考えるための環境づくりなのです。貧乏は、考える葦であり続けるためにあると言っても過言では無いのです。

 人は皆、違う生き方をするものです。筆者は写真家を目指しているわけですし、漫画家になろうとは夢にも思いません。けれど、その逆もあり得るわけですし、小説家だったり、竈研究家だったり、書家だったり、茶人だったりと、正に十人十色と言うべき数々の人生があります。何を創り出すかは人それぞれですから、何を創るかを他人に与えることは何者にもできません。ただ、それを探すための力は、貧乏によって養うことができてしまいます。少なくとも、貧乏という思想を手にすることで、現代に失われた考えるという行為を取り戻せるのです。

 考えるという行為は、情報と情報を組み合わせることで次の事象を予測したり、過去の事象を分析することですけれど、闇雲に組み合わせても何も出てきません。情報をどう組み合わせるか、どう読みとるかという論理として、思想という方向性は不可欠です。
 何もかもが乏しい生活には、考えることがどうしても必要になります。一個の缶詰で一日三食を作る方法であるとか、持っていないけれど必要な道具の肩代わりを、持っている道具の組み合わせによってまかなえないかとか、生活のあらゆる場面で、小さな考えるが頻発します。何を成すかの違いはあれど、貧乏生活という基盤を確立する過程において、貧乏という思想は自然と生じるのです。
 貧乏生活の中で、貧乏思想を用いて考えることを取り戻すことは、個人個人のやりたいことについて考えるための、人間としてのリハビリとなります。やがて、目標を見つけ、そのための思想を得たならば、貧乏思想は不要になるかもしれません。けれど、目標を、自分の個性を見つけるための段階においては、貧乏という思想によって考える力は、大いに役立つのです。

 考えることを取り戻したならば、考えなく消費を繰り返すだけの貧乏くさい人々とはあきらかに違う場所に降り立つことができます。そうなれば、遠くの方でどたばたと聞こえる雪崩のような阿鼻叫喚の声も、やがて気にならなくなることでしょう。

自分を創る貧乏生活

 一億総貧乏時代、人々は、一丸となって転がり落ちていきます。考えることが無く、継承もなく、情報はゴミで、物もゴミで、そんなゴミを集めて自分を作ろうとする貧乏くさい人々には、転がり落ちることを止めることなどできません。世の中は、あらゆるものが平均化し、どんなに個性を出そうとしたところで、消費に頼ったのでは同じに見えるだけという虚しい時代です。

 おそらく、今というのは貧乏に自らの意思で降りて行くには最後のチャンスです。今のうちに考えることを再びこの手に取り戻さなければ、人はただの葦原となってしまうのです。個性とは生きる輝きですし、生きると言うことは、創り出すことに意味があるのです。ひとりひとりの力は、限られていますけれど、そんな弱い力だって、自分が定めた方向一点に集束させ放ったならば、必ずや、何かしらの収穫、創造の結果を得ることができます。自分の力を一番有効に発揮できる生活こそ、真の貧乏なのです。

 貧乏生活にて直面する様々な物質の不足は、何かを作る必要を生じさせます。これは、貧乏くさい人々の作る道楽の果てのゴミとは明らかに異なる、道具としての本質を持ったものになることでしょう。お金の乏しさは、道具を作ることにすら、最小限を求めなければなりませんから、本質を掴まなければ無駄が生じますし、条件を満たす道具も作れません。本質を伴う「作る」は、限りなく「創る」に近い行為であり、やがて、自分を、自分のするべきことを、その結果を創ることへと繋がります。苦労は絶えないけれど喜びも絶えない−−そんな生活が、覚悟さえあればすぐそこに待っているのです。貧乏によって培われた創る喜びもまた、新たな力となるのです。

 貧乏になれば、酒の呑み方すらも変わります。貧乏人同士であれば、きっと楽しい酒を酌み交わせるのです。心から楽しいと思える時間を過ごすことは、消費ではありません。創ることを知っている者同士の会話からは、新たな創造力が沸き上がります。そうなれば、いくら酒が好きであっても、愚痴を吐き、力と金を分散させてしまう酒などは呑む気にはなれません。酒を呑むことすら力にできる生活。貧乏とは心底、楽しいものです。

 貧乏は、本当に楽しいのです。

一億総貧乏時代の幕開け 完
文責 川上卓也

 三周年記念記事

各界からの祝辞 お祝いのメッセージを頂戴いたしましたので、ここに掲載させていただきます(敬称略)。


■ 祝辞その一
三周年おめでとう。庶民以下の暮らしも、のぞいて見ると面白いものだな。
ますます窮乏して、のたうち回ってくれたまえ。

全日本独裁者友の会 会長 若尾さとみ

■ 祝辞その二
創刊3周年、おめでとうございます。
3年もの間、創刊当初から貴ページを眺め続け、貧乏嫌いの私は、会長が貧乏に耐える以上の力で、この甘美な世界の誘惑に引きずりこまれないよう、耐えております。

でもね、もし、誘惑に負けたとしても、私のプチ・ブル生活好きは変わらない。
今度は時間をたっぷり消費するの。

Viva!消費者生活(笑)

「時は金なり」ってことを分からせてくれた本ページに感謝です。

HP「三十路」 主催者 まる(与儀 詠子)

■ 祝辞その三
3周年おめでとう。
5周年を楽しみにしています。
その時は、お祝いにギターを買ってください! あれ…?

フォークバンド越後屋バンマス 慶野敏郎

■ 祝辞その四
貧乏な 作家を祝う 宮仕え
それにつけても金のほしさよ

通りすがりの茶人

■ 祝辞その五
3周年おめでとうございます。
あなたの言うとおり、世界は自分中心に回っているのです。
何でも続けることは大変です。がんばってください。

シゲの母より

■ 祝辞その六
 コンコン 居るかな? わしじゃよ。 鯖吉じゃよ。
 久しぶりじゃな。 ホレ、土産じゃ。酒と肴じゃ。
 何もそんなに喜ばなくてもええじゃろうて。
 ほう、こんなに良い酒は暫く飲んでないとな? 相も変わらず洗うが如しか。
 たまには良い酒で良い酔い方をせにゃぁいかんな。
 それはそうと、三周年とか聴いたが、もうそんなになるかのう。
 まあ良かった良かった。 何と云っても継続は力なりと云うからの。
 だいぶ文章も巧くなったであろう。
 何? 近々本が出るとな? いやいや、わしのおかげだなどと・・・<ウッ>・・・・・・・・ いやいや、そんなに云われると・・・・<チッ>・・・・・・・・・・・まあ、これを取っときなさい。 ン? 祝儀じゃよ。<ケッ!> まあ、いいからいいから、収めておきなさい。
 ・・・・何でこんなに持っているんだって言ってもだな・・・・・・・・・。
 そんな事より祝杯を上げなくてはならぬな。 早く用意しなさい。

 では、乾杯。 <ぐび、ぐび、ぐび、っと。>
 ところで、その本はどんな内容なのじゃな? ほう、タイトルが貧乏神髄とな?
 貧乏について書いたのか。 それじゃぁ濡れ手に泡ではないか。 あこぎなことをやっとるのう。
 それはそうと、あれはどうした? あれは、・・・・・・

 [等と云いながらささやかな宴は続いたのである。]

鯖吉老人
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特別インタビュー

 なんと。

 「耐乏PressJapan.」の三年間が、本になってしまいました。紙に印刷されて全国の本屋さんに並ぶ、製本された本です。自費出版とかじゃなく、まあ、そんなお金は持っていませんから、もちろんこれは出版社がきっちりと出してくれるわけです。

 びっくりですね。

 しかも、新人作家のくせに表紙は箔押しだそうです。

 真面目に作家活動なさってる皆様、本当にごめんなさい。

 まあそれはともかく、貧乏神髄発売を記念いたしまして、いつもの彼をインタビュアーとして迎えてみました。

貧乏神髄発刊

  えーと、まず誰もが頭に浮かべるであろう事を聞くけどさ、本当に出るの?
会長 いきなり疑ってかかることもなかろう。本当に出るよ
  酔狂な出版社もあったもんだどな
会長 出版社が酔狂というよりも、編集者が「貧乏を追っているんです」なんて言う人だったからなあ
  そもそも、なんでそんな話になったのさ
会長 まあ、出版秘話については、来月から連載するから伏せておくことにしたいのだよ
  三周年記念特大号なんだからさあ、少しは話してもらわないと
会長 ほう、「耐乏PressJapan.」の構成にまで口を出すようになるとは。さすがは未来の次期会長候補だな
  い、いつの間にそんな話が出てるのさ
会長 いま思いついた
  テキトーなんだからなあ。で、詳細は
会長 うむ。タイトルは『貧乏神髄』、川上卓也・著、発行はWAVE出版だ。9月13日(金)に、全国書店に並んでしまうぞ
  13日の金曜日か。大丈夫なのけ?
会長 狙ったとしか思えないんだが、まあ、どちらかといえば友引だしな

貧乏神髄

貧乏神髄



川上卓也・著/WAVE出版発行
288頁 本体価格 一四〇〇円+税
ISBN4-87290-136-3
九月一三日、全国書店にて発売開始!!
くわしくはこちらから


良い物

  噂によると、表紙にお金をかけてるってことだけど
会長 タイトルは箔押しらしいぞ
  箔押し!? 金箔でも貼ったのけ?
会長 それじゃあ、いくらなんでも一四〇〇円じゃ出せんだろ。朱色の表紙に、白の箔押しらしい
  ふ〜ん。いまさあ、本屋に行って新刊を眺めても、のっぺりテカテカの本ばっかりじゃん。普通、箔押しなんてするものなの?
会長 編集者は、村上龍クラスじゃなければできないって言っておったぞ
  ぶっ。実績ゼロのクセになんて無謀なことを
会長 まあ、この本のコンセプトが「良い物」だったからな。どんなに中身の良い本でも、いかにもコンピュータでデザインしました的なツルツルの表紙では、本棚も寂しく見えてしまう。本屋がつまらなく見えるのも、そのせいかもしれんな
  で、良い物に仕上がったの
会長 少なくとも、本だ。胸を張って本だと言える本になった。辞書と一緒に並べておいても違和感は無かろう
  でもさあ、なんで今の本って装丁へのこだわりを感じさせないのばかりなんだろうね
会長 そりゃあ、装丁に金をかけると著者印税が下がるからなあ
  ってことは、会長、実入りは少ないと
会長 ものを創るというのは、お金じゃないんだよ。良い編集者に巡り会ったおかげで、満足できる一冊になった。人は、金では買えないからな
  珍しく良いこと言うなあ
会長 ヨイショのひとつもしておかないと、次がないからねえ
  ……そういう魂胆か
会長 いちど手にした遊び場、まだまだ遊んでいたいではないか

ほぼ、書き下ろし

  でもさあ、いくら良い物って言っても、今まで「耐乏PressJapan.」を読んでたなら、べつにお金を出して買うこともないでしょ
会長 まだまだ甘いのう。まあ、かなりの部分は「耐乏PressJapan.」がベースになっているけれど、ほぼ書き直しておる。書き下ろしといっても良いくらいの大幅な加筆修正が一年も続いたのだから、中身は濃いぞ
  ふ〜ん。で、本当に書き下ろしたものもあるのけ?
会長 もちろん、いくつかある。貧乏彩時記は四季折々を揃えておるし、一〇〇円ショップについては貧乏神髄オリジナルだ。
  でも、ここの読者がその程度で一四〇〇円も出すとは思えないなあ
会長 そこは立ち読みしてもらうなり、古本屋に並ぶのを待ってもらえばよい。ただ、インターネット環境を持たない知人に薦めるには、とっておきの一冊になっておるぞ
  普通、著者が「立ち読みしろ」とは言わないでしょうに
会長 ふっ。内容には自信があるでの。いちど開かせればこっちのもんじゃ
  ここで言ったら駄目じゃん。で、四章構成だっけか
会長 うむ。「喰うことは生きること」「遊びながら暮らすために」「我、田園に漂着す」「一億総貧乏時代を迎えて」の四つだな。章のタイトルは、私が筆で書いた
  あれ? 会長って、字、上手かったっけか
会長 人間、ときには勢いも必要なんだよ
  ……で、内容はどんな感じなの
会長 「貧乏」という言葉の意味。これを、真の貧乏人の手に取り戻す、というのが大きな芯になっておる
  いままでの特集記事を無理矢理まとめただけかと思ったけどな
会長 失敬な。本当にほとんど書き直しておるのだから、ひとつひとつの話として読んでも良いし、各コラムの連携を楽しむのも良い、という仕上がりになったのだよ
  本当なら、三月に出てたはずって聞いたけど
会長 ちょっとしたトラブルがあってな。発売が遅れた分、内容も別物になったぞ
  ってことはさあ、実質、作業工程は六ヶ月ってことじゃないの
会長 なんで君はいっつも刺激的なことを言うのかね

そんでもって四年目

  で、「耐乏PressJapan.」も三周年を迎えちゃったわけだけど
会長 石の上にも三年と言うが、ボロ畳みの上で三年。それなりの成果も出たし、気分良く四年目に突入できるな
  二ヶ月も休んだり、貧乏日記だって書いてないことも多いし、そろそろ飽きてるんじゃないかと思ってたけどなあ
会長 だから、それは貧乏神髄執筆のためにはやむを得ないお休みだったわけだよ。決して「面倒だからいいや」とか呟きながら酒を呑んでいたわけではない
  でもさあ、日記くらい書けたでしょう。実際の所、どうなのさ
会長 エネルギーが足りなかったのだ。それは認めるけれど、辞めようなどとは考えておらん
  まだ続くのか
会長 まだまだ続くのだ
  そういえば、去年のインタビューで「笑いのオブラート」とかなんとか言っていた話、どうなったのさ
会長 同時多発テロで吹っ飛んだなあ。なにしろあれは、二一世紀の始まりだったから
  で、四年目の意気込みは
会長 のんびり
  意気込んでないじゃん
会長 ま、いいんじゃないの
  まあ、いっか。僕の連載も今月で終わったし
会長 へ? 何を言っているんだいシゲ君。来月からは、「シゲ君の大学争乱記」というタイトルで枠を用意しておるぞ
  もう勘弁してよ……
 連載記事

ロハな便利グッズ グッズ2 図書目録


図書目録っ!  今月も、タダで手に入るお役立ちグッズを紹介しちゃいます。

 本屋での立ち読み。新品の本など買うことの出来ない貧乏人にとっては、数少ない現代との接点です。週刊誌を開くと、知らない人ばかりで驚きの連続。芸能人も、使い捨ての時代ですね。
 さて、立ち読みを心ゆくまで満喫したら、持って帰りたいのが図書目録。○○文庫とか○○新書なんていう小難しい本の、解説付きの一覧が載っています。岩波のものなんかは、文庫版も新書版も、それそっくりの体裁をしているからすかすかの本棚に置いておけば見栄えが良くなります。岩波文庫の並んだ本棚というのはそれだけで迫力がありますから、ハッタリをかますのにもってこいです。
 もちろん、飾りで置いておくだけではタダのゴミ。いくら無料でもゴミを持ち帰ったのでは馬鹿というものです。図書目録は、その中身も大いに活用しなければなりません。
 岩波文庫の目録なら、現在売られている岩波文庫全巻のタイトルと解説が載っているのですから、目録を読むだけでも文化人を気取ることが出来ちゃいます。まあ、所詮ハッタリレベルですから本物の読書好きを相手にするのは無謀だけれど、いかにも本なんて漫画しか知らないようなこまったちゃんが相手なら、「うわー、凄い物知りなのねー」と感心させるくらいのことは可能です。四迷の浮雲って官僚腐敗への批判がちらっと出てきて面白いよね、とか、坊ちゃんなんて所詮は負け犬じゃない、なんて、読んだことのない本でも話題に出来るし、シェイクスピアが生きていたのは1564年から1616年で、喜劇精神が最も円熟した1590年代の初めに書かれたのがヴェニスの商人であるなんていう雑学も身に付いちゃうのですから、これを活用しない手はありません。
 これだけのネタ本が無料入手できるのですから、本屋に行った際には必ず持ってきましょう。

 タダって、本当に素敵すぎますよね。
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 記憶その9 6・7月の貰い物

貰い物 読者のK様より、ウイスキー、食材、お菓子を頂きました。いやなにしろ洋酒です。しかもジャックダニエルです。大好きです。祝い酒用に保存してありますから、13日には開けてしまいます。きっと空いてしまいます。本当にありがとうございました。
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貰い物 読者のW様より、奈良漬け、食材、使い捨てカイロ、かゆみ止め、そしてボールペンを頂きました。ボールペン、ネタを書きなぐるのに大活躍しておりますし、かゆみ止めがとっても良く効きます。いつも本当にありがとうございます。
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このコーナーは、皆様からいただきものを頂戴したときだけの不定期連載です。いや、その、定期連載にできればこれほど嬉しいことはありませんので、お気軽にお問い合わせください。いやあ、なんだか図々しいですけれど、まあ、その。
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 嗚呼、高校三年間 第12回
(最終回)
”16才の夏”の巻の2

 どうもだっけ、シゲです。

 2001年の4月から書いている連載も、やっと、終わることになりました。
 とても面倒でしたけれど、こうして読んでくれる人がいるというのも面白いなあと思って続けてこられました。

 最後のお話は、16才の夏に行ったダーツの旅の後編であります。

 3日目。国道4号を走り、お昼前には仙台に着きました。びっくりするほどの都会で、山中を駆け抜けてきたこととの差もあって、緊張しました。秋保温泉の少し先にある神ヶ根温泉というところで湯につかり、少し休憩。古いお風呂だったけど、一人でゆっくり入れたので心も体もリフレッシュ。
 その後も4号を走ったのでありますが、仙台を過ぎると楽でした。金成町で、農家のおじさんに沼の隣の空き地を借りて一泊。この沼もおじさんの持ち物らしいのですが、山と夕日の映える、懐かしい感じの風景の中、オニヤンマが飛び交うという素敵な場所だったのであります。

 4日目、田んぼの中から手を振るおじさんに見送られての出発となりました。この日は、冷麺を食べようと思っていたので、6時間ほど走って盛岡へ。う〜ん、嫌いな西瓜が乗っている。他に入っている物もなんだかよくわからない。僕には合わなかったなあ・・・。
 で、なんとその日に目的地である安比高原に到着。証拠写真を撮りました。1日目にはどうなることかと心配した旅だったけど、なんだかあっけなく終わってしまいました。もう少し走ってみようと思い、三沢基地が近いという理由で青森行きを決定。旅は、もう少し続くことになったのであります。
 この日は、一戸の鳥越旅館という素泊まり2,900円の宿で一泊。部屋は6畳一間で風呂・トイレ共同。なんとテレビ・クーラー付きで、隣のコンビニとは中で繋がっています。久しぶりに手足を伸ばして寝ることが出たのは良いけれど、4号沿いなので結構うるさいのが難点でした。

 5日目。旅館での宿泊で体力も回復したので、無謀にも大間岬〜三沢というルートを計画。時間が無くて三沢までは行けませんでしたが、本州最北端に立つことが出来たのであります。本州最北端の給油所での給油も済ませ、来た道を戻りました。
 この日、ちょっとしたトラブルもありました。むつ市で正体不明の虫に刺されてしまい、あわてて駆け込んだ板金屋さんで治療をしてもらいました。治療だけでも有り難かったのに、なんと、カレーと自家製のイカ飯(!)を御馳走になってしまいました。
 その後、近道を教えてもらったのでありますが、困ったことにそこは林道。走り慣れていないので2時間くらいかかって国道に出ました。
 前日と同じ旅館で一泊。

 6日目は、小岩井農場へ。1日目、実はラジオでライブ情報を手に入れていたのであります。奥田民生、パフィー、スピッツなどが出ていましたから、並んでいる人も多かったです。後日知ったのですが、前日にはいとこも来ていたのでした。
 この日は丸一日を農場で過ごしたのでありますが、アイスクリームなどの乳製品を食べなかったことはちょっと後悔しています。
 金成町の、トラックのたまり場みたいなところの歩道で一泊。

 7日目。朝から松島公園へ。ここで、古河から来たというおじさんに話しかけられ、新潟から来た人も交えて少し話をしました。松島基地ではブルーインパルスの格納庫を写真に撮りました。
 この日から、4〜5日は、親戚の家に世話になり、のんびりしました。うちの婆さんの兄さんの家で、何年か前までは毎年、夏に遊びに来ていたのですが、今回は久しぶりの訪問となったのです。ちょうど、その家の孫が来ていて、かなり我が儘なクソ餓・・・いや、子供だったので、少し怒ったら僕の前ではおとなしくするようになりました。子供は、怖い物がないと駄目になるのだなあ、としみじみ思ったのであります。

 こうして、僕の初めての旅は終わりました。最後、親戚の家からの帰路は9時間ぶっ通しで走ってしまいました。総走行距離約2,000キロ。ガソリン代は8,000円くらいでした。自分でも、世界が広がったと思ったし、まわりの大人からは「顔つきが変わった」と言われました。ちょっと嬉しい思い出です。

 さて、そんな僕は、この原稿が発表される頃には、夏休みを利用して日本一周の旅の真っ最中なのであります。
 子供として、怖い物を探しに行くのか、大人として何も怖くないことを証明しに行くのか、なんてことは分からないけれど、16才の夏に広がった世界は、もう少し広くなるはずです。

 もしかしたら、どこかで逢えるかもしれません。

おわり
シゲ

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 投稿記事

 
貧評会

私は自営で始めた会社が閉鎖、無計画に作った借金だけが残りました。。。
それから僕は超ド貧乏となり、バイト代は全て借金の金利分を払うとゼロ!

食うに困ってパン屋からパンのミミをもらってしのぎ、毎晩自動販売機の下などに落ちてるコインを必死で拾い、それでメシを食い、何とか食いつないでいました。とにかく生きているだけの【面白くない】毎日でした!

もうちょっとで、ホームレス、、、の危機を何とか踏みとどまっていました。
気持ちも、すさみきっていました。。。

正直、このもう少しのところで、私は犯罪者になっていたかも知れません!実際に銀行強盗を計画していました・・・(汗)
いっそ、捕まって刑務所にいた方が、メシは食えると考えていました。。。

今、思えばそれほど、当時貧しさで心を病んでいたのだと思います。

過去の貧乏時代の回想でした。。。
★ マー


 北海道の根室という街をご存じでしょうか。私はそこの出身です。
 かつては鮭鱒で栄えたこともあったが、今はさびれる一方の港町です。
 いつでも空は曇っていて、夏でも肌寒くて湿っぽくて、町全体が磯臭い。錆びたトタン屋根に灰色に変色した南京下見の家並み。(ご存じでしょうか、南京下見を)小さな繁華街には、これ見よがしにマキリを差して飲み屋をうろつく漁師と角巻の老婆。家に入れば、ゴム長と酒と、さんぺ汁の臭いをかき混ぜた、あの悪臭が必ず、必ず漂っています。それが私の記憶です。まあ今でもだいたいそんな町です。あれほどに貧しさにじむ町は、寡聞にして知りません。あははは。
 わたしゃ、あそこから逃れたかったんです。漁師や土方なんぞの肉体労働者にはなりたくなかった。
渋谷智弘
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 読者の声
 〜お聞かせください、あなたの声〜

 会長様 はじめまして、いつも拝読させて頂いております一読者です。
 きっかけは、ふーせんおじさんです。ふと目にしたホームページ上にふーせんおじさんの事が...。この日本にふーせんおじさんの旅立ちの日を記憶している人がいるなんて!同志がここにいる!勝手ながら、一人熱くなりました。
 5月号特集記事、読ませて頂きました。泣けました。
 6月号楽しみにしております。
サイゴン

ウェブサイトを見つけるきっかけというのは色々とあると思いますが、まさか風船おじさんがきっかけになるとは。
ファンタジー号、どこへ行ってしまったんでしょうね。

ちなみに、貧乏日記にたまに登場する「アロハ兄」の結婚式も、この旅立ちの日でした。
会長


会長、お久しぶりです。
またまた本の紹介にやってまいりました。

「大東京ビンボーマニュアル」という漫画をご存知ですか?
昔週間モーニングに連載されていたものですが、これを読むたび、会長を思い出します(笑)。

私の超愛読書です。めっちゃお勧めします。
happygirl

 この本、たしか以前にもどなたかがメールで紹介してくださったのですけれど、残念ながら見つけられずにいます。
 確か、読み切り時代のタイトルが「ビンボーカタログ」だったという噂を耳にしたのですけれど。
 カタログからマニュアルに。良いところを突いていますね。
会長


毎号楽しく、心待ちにしております。
いつか、投稿したく思っているのですがなにせ、貧乏が良く解らないもので、かといって、お金持でもなく、そこそこの小市民なのですが、苦労が身につかないとよく、回りから言われております。(トホホッ。)

これからも、「貧乏道」を清く貫いてください。
そのうち、ネタを見つけて投稿致します。
苦労が身につかない

 道と呼んでしまうと、茶道や華道や弓道の方々からブーイングされてしまいそうですけれど(笑)、ずっと貧乏だと思います。
会長


会長、猫を飼われませんか?
ゴキジェットより、ゴキ&鼠退治にはよいでしょう。
私の家では、よくムカデ退治をしてくれるので、かなりの薬代節約になってます。
猫糞も、菜園のこやしに、と願ってやみません。
心をこめて飼いならせば、野鳥も捕獲してくれるでしょう。
殺虫剤代節約&エコロジーの共生です。

よろしければ、私の家の畑に捨てられていた子猫、または家にきちゃった迷い犬、または動物病院からいただいたイグアナ、差し上げます。
(今のところ犬とイグアナは利益を生み出していません)
OL-A

いや、その、とても残念ですけれど、猫の餌代を考えると。
なにせ、自分の餌代にも苦労しているわけですから。

自給自足してくれる猫だったら良いのですけれど。
……そういえば、昔、黒猫の田圃ってな歌があったような気がします。自給自足する猫の歌だったように記憶しております。炭坑も掘っていたかなあ。
会長


 創刊号を見て、豚肉の塩漬けを作ってみました。
「香辛料を求めて大航海時代は始まった。なぜなら、豚肉の塩漬けを食うためには、香辛料が必要だったからだ。」と、西洋史の本で読んだことを思い出しました。
 会長、どうしたらおいしく作れるのでしょうか?豚もも薄切りを岩塩でよく揉んだうえ、さらに岩塩で包み、10日間寝かせたのですが。香辛料があってもきびしい味わいでした。
 閑話休題
 暑さが続いていると存じます。ご自愛ください。北海道釧路郡釧路町の今朝8時の気温は10.5度でした。暑さがちょっとうらやましいです。
渋谷智弘

塩漬けを作るなら、ブロック肉の方が適しています。薄切り肉でやるならば、塩・胡椒をぱらぱらと振りかけたものを天日干ししてジャーキーにした方が良いでしょう。この場合、豚よりも牛がよろしいかと。

7月に、朝の気温が10度と少しですか。日本だって十分に広いのですねえ。
会長


流行を避けることは、流行を追うことと同じくらい愚かなことである。
かるのふ

いやいや、よくぞ仰ってくださいました。
まったくもって、その通りなのです。

消費から抜け出せない貧乏くさい人々は、追うか避けるかという二元論でしか物事を見られない。けれど、流行なんて、追うも避けるも愚行でしかないのです。

流行は、創り出してこそ意味のあるものなのです。
会長


貧乏人って世の中沢山いるよね。すぐに人の生活を僻んでさ。
俺は貧乏人が大嫌いだよ。
ボンボン

ホテルで食事をしてもサインすらせずにそのまま出てこられる。
いわゆる顔パスというのは、お金持ちの特権ですね。
いやあ、羨ましい限りです。

けれどまあ、お金持ちともなれば、大衆酒場で蕎麦焼酎のお湯割りを呑みながら鶏の心臓をやっつけるなんてことは許されないわけですし、友達の結婚式だって、ヘリポートが無ければ出席できないほどにお忙しいわけですから、貧乏の染みついた我が身にはとても真似などできません。

酒場全体のざわざわとした音。ひとつひとつは、ジョッキの奏でたものであったり、豪快な笑い声だったりする。それが重なり合ったときの厚みを持った、なんとも言えない力強い、それでいて心地の良い音。そんな音を聞くことを嬉しく感じられてしまう僕には、到底、生まれながらに上流階級の一員として育った人々の生活など想像のできないような別世界です。

でもまあ、顔ひとつでフルコースが食べられてしまうなんて、やっぱり羨ましいなあ。おとぎ話だなあ。
会長


始めまして。
普通の写真(フルカラー)をセピア色にする方法を探していたらここへたどり着きました。 セピア色はここでは貧乏の・・(以下省略)
ついつい長居してしまいました。
本人も貧乏を楽しんでらっしゃるようにみえますが開き直ってるのかもしれませんね。。
ここのページを読んでいて慌てて台所の電気を消しに行きました。
うちもまだまだ節約できるなぁ・・
8月号は何が起こるんでしょう?
楽しみにしていますね〜
ひょんなことに迷い込みましたが、また覗きにきます。
電車の重さの「量り知れず」には 静かに笑いがこみ上げてきました。
こんな夜中にクスクス笑ってしまいましたよ(笑)
しらゆき

こんにちは。というわけで8月号にて正式に出版のお知らせをさせていただきました。

電車の貰い手もなかなか現れず、まあそりゃあ欲しくても気軽に引き取れる物でもないし、どうなることやら。
会長
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 編集後記/次号のお知らせ

 編集後記
ご無沙汰しております。やっと8月号を出すことができまして、ついでに、出版のお知らせもさせていただきました。なにせ、冗談で祝辞を集めたら6つも集まってしまい、投稿も3ヶ月分もありましたから、サイズが幾分か大きいのが難点ですけれど、いかがでしたでしょうか。こうして、耐乏PressJapan.も4年目に突入いたしました。これからも、貧乏を明るく生きるための特集をお届けしていきたい。そんな思いを、のほほんと書いて行けたらと考えております。すっかり秋めいて参りました。来年の初秋、また、こうして特大号をお届けできることを目標に、のんびりとやってまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。(か)
 次号のお知らせ
耐乏Press Japan.月号(9月下旬発刊)
特集:ロープワーク入門(仮) 連載記事:ロハな便利グッズ(3) 投稿記事:皆様からの投稿をお待ちしております
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耐乏Press 耐乏Press Japan. 2002年8月号 発行:全日本貧乏協議会(taku3@jh.net) 発行部数:17597 冊
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