タイトル写真 耐乏Press Japan.
全日本貧乏協議会
10 Oct.
2001

目次
特集

 グッドバイ、貧乏長屋

連載記事

  これ、もらいました(感涙)(6)
  シゲ君の嗚呼、高校三年間(6)

  投稿記事

 貧評会
 貧者の知恵
 読者の声


 編集後記/次号のお知らせ

特集
特集タイトル
ジジイとゴミと草餅の記憶
貧乏生活のために訪れた田舎町の、廃墟寸前だった平屋のアパート。棟割りじゃあないけれど、僕は貧乏長屋と呼び、住んできた。大家の死と共に、今までのボロアパートは姿を変え、何の変哲もない普通にかわってしまおうとしている。
特集タイトル写真
●貧乏長屋の終焉

 僕が貧乏生活を始めるにあたり、まず探したのが住処であった。

 当時、僕は埼玉県南部、京浜東北線の駅から徒歩八分という立地のアパートに住んでいた。家賃五万二千円+管理費二千円+町内会費二百円。1K+ユニットバス(トイレ別設計)、ロフト付き、日当たり無し、空き巣に入られること一回。会社を辞めてしまっては、そんな高い物件に住み続けるわけにもいかなかったので、まず引っ越しをしなければ始まらなかったのだ。
 かくして、田舎だったら安く暮らせるのではないかというステレオタイプなイメージで田舎暮らしを決めた僕は、運良くこの賃貸アパートに巡り会ったのであった。

 正確に言うと、もう貸していない物件であった。

リフォーム前  大家は当時八一歳のジジイだった。もう歳だし、借り手も海外の人が多くなり、海外の人が住むにはまだまだまだまだ辛いことの多い国であるから夜逃げの連続で、とうとう誰にも貸さなくなって廃墟となる寸前の、あちこちシロアリに食い荒らされた跡のある平屋の建物が四棟。ジジイが拾い集めた粗大ゴミで囲まれている、東京近郊にあったならばテレビ番組が取材に来てもおかしくはないというゴミ屋敷というのが、僕の琴線に触れた。ちなみに、この頃は琴線を「ことせん」だと思っていた。
 畳はボロボロで、ネズミがむしった形跡やら煙草の焦げ痕だらけで埃まみれ。かつての住人が残していった生活の残り物があちこちに転がっていた。長いこと掃除もしていない平屋のアパート内は、土足で上がり込むことを躊躇させなかった。そうそう、ゴキブリの卵も百個近くあったはずだ。
 家賃は三万円+水道(井戸水)代二千円。合計三万二千円で一軒家が借りられるなら、多少のボロさは我慢できる。僕は、この物件を借りることにした。このアパートに住むと決めたときから、僕の中の貧乏が動き始めたのだと思う。

 僕は、このゴミで囲まれた貧相な廃屋一歩手前の平屋を、貧乏長屋と命名した。こうして僕の貧乏生活は始まり、やがて全日本貧乏協議会が発足されるに至ったのだ。いずれは、ここに全日本貧乏協議会発祥の地として記念碑が建つかもしれないし、建たないかもしれないのだけれど、そんな思い出深い貧乏長屋も、ジジイとともに終わりを迎えることになった。

 終わりと言っても、アパートが無くなるわけではない。大家が代わり、今後も賃貸アパートとして存続し続ける。だけれど、僕の琴線に触れたあの貧乏長屋ではなくなるのだ。
 僕の住んでいる棟の西隣にあった建物は取り壊され、駐車場になった。東隣および北東の二棟は、現在リフォーム中で、このリフォームが終われば、僕は東隣の棟に移り、今僕のいる棟が工事に入る手はずであった。結局は、僕はここを出ていくことにしたけれど、貧乏長屋と呼べる雰囲気は、重機とトンカチで叩き飛ばされてしまった。

 せめて、このページにだけでも、貧乏長屋を保存しておこうと思い、今月の特集にしてみることにした。

●書斎と米櫃の同居・四畳半

四畳半  南に向いている玄関を入ると、四畳半の畳部屋。
 台所が狭いので、食器棚と米櫃は四畳半に鎮座している。
 食器棚は不要な上に邪魔であるから撤去したいと思っているのだけれど、僕の根性は萎えやすい性質を持っているので、まだ存在している。

 食器棚が難儀ではあるけれど、この部屋がいちばんお気に入りの場所であった。
 暗い部屋の中で、裸電球が弱々しく辺りを照らすのが性に合っているのだろうか。
 日当たりが悪いわけではなく、昼間でも、このくらいの明かりで居られるように調節してあるのだ。
 暗いと汚れが目立たないからという理由ではまことに情けないので、書斎で考え込むにはこのくらいの暗さが似合うのだ、ということにしていた。
 昔の家は、昼間でも暗かったものなのだ。

書斎  暗い部屋の中で、本が読める程度に照らされているのが書斎である。
 書斎と言えば聞こえがよいけれど、世のお父さん達が憧れるような壁一面の本棚とか、大きな机にライトと万年筆と小さな模型があるだけとか、そういう立派な物をこしらえるだけの財力など皆無であるからには、小さな机にごちゃごちゃと物を並べてしまっている。
 更に言うならば、机と言えば聞こえがよいけれど、実際には合板に足をつけただけの代物だ。どうせなら、蜜柑か林檎の木箱であれば様になるのかもしれない。しかしながら、現代においては蜜柑も林檎も段ボールで流通しており、木箱はプレミア物であるらしい。
 本棚は、机の横に茶箪笥を置き、机上には缶詰と板で文庫を並べてある。
 荷物を増やさないためには、たためるもの、ばらせるもので暮らすというのが一番であると、最近は考えている。

 明窓浄机という言葉があるけれど、僕の場合はそういう心構えが頭の片隅に辛うじて残っているだけで、いつもは書籍と紙切れの山が築かれている。
 さすがに、撮影前には片づけた。

 北は台所、西は六畳間になっていて、襖を開けたりはずしたりすることで、広いスペースを確保することもできた。

●台所

台所  台所である。

 会社員時代から使っている冷蔵庫やガスレンジを、やはり裸電球が弱々しく照らしている。
 台所も、やはり汚れが目立つ場所であるからには、暗い方が都合がよい。
 貧乏長屋において、ゴキブリの目撃率が最も高かった場所なのだけれど、ホウ酸団子をばらまいてからは目撃件数がぐっと減り、快適に暮らせた。

 貧乏なのに、瞬間湯沸かし器なんて物が置いてある。
 いいわけをするならば、これは僕の持ち物ではなく、最初からあったのだ。
 相当古いもので、油にまみれて温度調節のつまみは回らないけれど、熱湯を出すことはできた。
 寒いのが苦手な僕は、こいつにずいぶんと助けられたのだ。
 貧乏長屋末期、とうとう風呂釜が完全に壊れて風呂を沸かせなくなったときも、こいつにホースを繋げて風呂に入れた。

 換気扇などはもちろん存在せず、フランベをすると油煙で真っ白になった。

●文明と寝床・六畳間

六畳間  貧乏長屋でもっとも文明のある部屋が、六畳間だった。
 なにせ、パソコンを置いてある部屋である。しかも、パソコン作業のために、明かりは蛍光灯である。

 パソコンデスクは、会社員の時に買った組立式段ボール的合板。
 実際には椅子に座って使う高さだったのだけれど、気に入らないので足を鋸で切り落として今の高さにしてしまった。
 畳の部屋に椅子があるというのは、実に滑稽だった。
 まあ、畳の上にこんな机を置くこと自体が滑稽なのだけれど、畳の部屋に絨毯を敷いたり、ましてやフローリング風マットを敷くよりはマシだと思う。
 板の間って言うのは、畳の買えない人間が住んだのだ。いくら貧乏だとは言っても、せっかく畳があるのにわざわざ剥がして住もうとは思わないし、ましてや畳の上に茣蓙以外のものを敷くなんてことは、貧乏くさいだけである。

 貧乏と、貧乏くさいは違うのだ。

火鉢  最近は、書斎よりもパソコンの前にいる時間の方が長くて、これも困ったもんであるのだけれど、寒くなってきたので火鉢を出した。
 火鉢の中で豆炭をみっつも燃やせば、秋の肌寒さ程度ならば十分に暖まることができる。
 家の中で炭を燃やすなんていうと、一酸化炭素中毒が心配であるけれど、なにせ貧乏長屋。
 すきま風のおかげで、その心配とは無縁であった。

 すきま風があるから寒いのか、すきま風があるから火鉢で暖をとれるのか。

格言集  夕刊フジが取材に来たとき、写真を撮られたのもこの部屋だった。
 あの写真を見ると、後ろにはなにやら格言らしき物が書かれているのがわかると思うけれど、あれは僕が貼ったわけではない。

 貧乏長屋には、歴代の住居者たちが様々な物を残して去っている。格言と秋吉久美子のポスターも、そんな物のひとつなのだ。
 「あれって、川上の趣味だと思ってた」と、少なくとも十人から言われたものだ。

 ちなみに格言の内容を記しておくと、「物の浪費は補えても時間の浪費は取り返せない」「思いやりの心が乏しいと他人の気持ちが理解できない」「物事の決断が出来ない人は大切な仕事には役に立てない」「物事の善悪を自分の好き嫌いで判断していることが多い」「自分を良く見せようとすると言訳や弁解ばかりが多くなる」「財産よりもよき性格を受け継ぐことが子孫には幸せである」「批判されることを嫌がる心が自分の進歩向上を妨げている」「苦難に直面しているときは人の心が鍛えられている時である」「不平不満が多いのは物事を自分本位に考えているからである」「結果は思わしくなくても尽くした努力は力となって残っていく」。

 こんなもの、どこから手に入れたのだろうか。

●あちらこちら、ボロボロなのだ

北の廊下  ぼろい。

 六畳間の北側は、短い廊下と裏口、それにトイレになっている。
 これは、その短い廊下の様子だけれど、壁は砕け、裏口のガラスは割れてはらはらと落ち、スチールを打ち付けてある。
 いつか直そうと思うだけで、結局、最後まで手つかずであったなあ。

 おそらく、六畳間の襖に貼られたポスターや格言も、穴や傷を隠すためのものではないかと考えている。貼り方が、不規則なのだ。
 玄関には、横に印刷された日本地図が建てに貼ってある。
 これも、壁が崩れたところを隠すためではないかと思う。
 でなければ、わざわざあんなところに九十度反転させた地図など貼らないと思うのだ。

許葷酒入茅屋  僕も、負けずにボロ隠しを貼った。
 書のつもりだったのだけれど、小学生の習字よりもへたくそである。
 筆と墨汁を使って、半紙がないので障子紙に「許葷酒入茅屋」と書いてある。
 禅宗の坊主に見られたら怒られるだろうか。
 洒落なので、見逃して欲しい。

米価表  四畳半の壁には、面白い物が貼ってある。
 これも、ボロ壁を隠すために貼ったのだと思われるのだけれど、棟割り長屋を彷彿とさせる雰囲気の張り紙は、なんと江戸時代からの米一俵の値段である。
 深川江戸資料館に行くと、実物大の棟割り長屋が再現されていて、自由に中を見て回れるのだけれど、ちょっと程度のよい長屋に机のある部屋があって、そこの壁がこんな感じなのだ。
 これだけは剥がして自分の物にしたいと考えたが、糊でびっちりとはりついたそれは、貧乏長屋と共にこの世から去りたがっているようだった。

 寛政元年、米一俵金壱拾五銭なり。

●無くなりつつある物

ねじの鍵  木の窓には、ねじ式の鍵がよく似合う。
 どの家も、すっかりサッシになってしまい、ねじで掛ける鍵なんて物は見かけなくなりつつあるから、いつか、姿を消すかもしれない。
 まだ、ホームセンターに行くと売られているけれど、保守部品としての役割が大きいのだろうなあ、と思っている。

 不景気な世の中で、防犯がブームになっているという話を聞く。
 サッシの窓に二重三重の鍵をつけている熱心な家もあるようで、ホームセンターの鍵売場には様々な鍵が展示してある。
 そんな時代に、木枠の窓にこんな情けない鍵ひとつというのは、どうも世の中的には受け入れられないようで、なんとも残念。
 ちなみに、僕がもし泥棒だったら、どんなに鍵が付いていようとも、ガラス一枚をどかんと盛大に割って、堂々と入るだろうな。

トイレ  トイレは汲み取りだった。

 さすがに内部の写真はどうかと思い、外からパチリ。
 昔、僕が幼い頃に住んでいたのも平屋のアパートで、トイレの扉はこれと一緒だった。
 こういう扉を見ると、ああ、トイレだなあと、妙に感じ入ってしまうのだ。

 汲み取り式トイレには、水洗トイレにはない快感もある。
 汲み取ったばかりの深い深い穴へ放つときの落下感。
 お釣りも、たまにもらえる。

トイレの鍵  トイレの扉の鍵も、いたって簡単なものだ。

 上が取っ手。外からも開けられるようになっている。
 下が鍵である。取っ手との違いは、外に取っ手が着いていないだけ。

 やはり子供の頃、トイレの扉を勢いよく閉めたら、鍵がかかってしまったことがあった。
 そのとき、扉の隙間から爪楊枝でピッキングすると、この鍵は開いてしまうと知った。
 我ながら、機転が効く子供だったのだなあと、自画自賛。

  ●さようならは、二度と会えない

一棟減った貧乏長屋  蛇口をひねればお湯が出る。風呂にはシャワーがあり、トイレは水洗。フローリングの床に、サッシの窓。敷地内には防犯用の明かりが灯る。これが、新生リニューアル後豪華絢爛アパートに取り入れられる文明だ。風呂には曇りガラスのドアがついてしまうし、和室の押入も襖ではなくなってしまう。僕が、文明から逃れるようにして住み着いた田舎町の、誰も近寄らない雰囲気だった貧乏長屋にも、僕が逃げてきたはずの文明が追いついてきてしまったのだ。

 田舎は、都会に比べて十年ほど遅れるものだと聞いたことがある。なるほど、今僕が住んでいる町にも、ここ数年で大型スーパーやファーストフード、二四時間営業のガソリンスタンドが出来た。本とCDとレンタルビデオを一手に扱う店もあるし、チェーン展開しているラーメン屋もある。チェーン店の居酒屋がないくらいで、その他の、郊外の町にありがちな店というのは、あらかた揃ったように思える。僕がこの町にやってきた二年半前には、どれもなかったものだ。これらの店から放たれる極彩色の明かりで、夜の空もどことなく明るくなった。僕が今住んでいる環境も、じわじわと九〇年代の都会に浸食されていて、それはやがてすっぽりと僕の町を覆い尽くすのかもしれない。だけれど、十年ほど前の都会は、バブル景気の終わりだった。バブル崩壊から十年経って、まだバブルだった十年前に浸食されていく町や人というのは、僕の目にはどこか虚しく映るのだなあ。

 僕は、フローリングの部屋で土鍋の飯を喰い、部屋をしきる壁についたドアを開けて畳の部屋へ移って眠るという、いままでの環境からすれば、もう訳がわからないくらいに虚しい生活をすることになるところだった。これは、僕の趣味に合わないと言うだけの話であって、一般からすれば、ごく普通のことなのだろうと思う。新しい大家は、シャワーがつきますよ、トイレは水洗ですよ、家賃は上がりますけれど、もうご不自由はおかけしませんよ、顔を合わせる度にこう言う。
 これは、世の中では悪いことではない。たぶん良いことだ。家賃の値上げが5割り増しという点さえなければ、我慢して住んだのかもしれない。でも、それは僕の経済力と、その他諸々が許さなかった。出ていきたいという強い願いが、幸運にも新しいアパートをみつけてくれた。
 僕の貧乏生活は、新しいボロ家で始まることになった。家賃は三万円。大した出費もなく、引っ越しすることになってから一週間で新居での生活という厳しい状況もなんとか乗り越えられた。
 ほっと一息である。

新居  ジジイと共に、貧乏長屋も終わった。日本からまたひとり頑固ジジイが消え、ボットン便所も消えた。僕も、貧乏長屋から居なくなった。
 僕にとって、ある時期が終わったことになるのだなあと、なんとなく、心が痒い。

 鬼怒川の土手からすぐの場所から、どぶ川に面した場所へ。貧乏生活には、川が似合うのかもしれない。どぶ川というのが情けないけれど、水さえ見なければ、景観としてはなかなかのものである。
 まだ、新居は片づけが終わっておらず、名前も付けていない。
 しばらくは、あれやこれやと名前を考えられると思うと、ちょっと楽しい。とりあえず、どぶ川のことは神田川と勝手に呼ぶことにしようかなあ。

 最後に。
 ジジイ、草餅うまかったぞ。


連載記事
これ、もらいました(感涙)
記憶その6 9月の貰い物

 読者のN様より、食材と薬をいただきました!!

たくさんあります
 今回も、たくさんいただいてしまいました。冬の寒い朝、震えながら沸かしたお湯で煎れた暖かい紅茶なんていうのは、なんとも幸せを感じる瞬間ではありますが、これもなかなか高くて。こういうのは、すごーく助かってしまいます。
御飯の友 花粉の友
 のりたまなんて、実に久しぶりでしたし、インスタント味噌汁も、ちょうど味噌が切れてしまったので、これで乗り切ってしまいました。ぐっとくるのが松茸風味のお吸い物。これを、御飯を炊くときに一緒に入れると、松茸風味の炊き込み御飯!! 試してみると、けっこう面白いのです。
 味噌汁、スープ、お茶漬けなんかは、これからの季節、気力を奮い立たせるための武器になります。

 薬も、本当に助かります。お腹の薬があれば、賞味期限との戦いでは心強いですし、花粉症の私としては、鼻炎薬は本当に嬉しいです。鼻をかみすぎて、いつも鼻の下が荒れてしまうのです。

 N様、本当にありがとうございました。来るべき花粉の春も、これで安心です。


このコーナーは、皆様からいただきものを頂戴したときだけの不定期連載です。いや、その、定期連載にできればこれほど嬉しいことはありませんので、お気軽にお問い合わせください。いやあ、なんだか図々しいですけれど、まあ、その。

嗚呼、高校三年間 第6回 ”結核病棟24時”の巻

 おはようございます、シゲであります。

 近頃、寒かったり暑かったりで、体調を崩しやすい気候になってますが、皆様はお体の調子はいかがでありましょうか。
 人間、健康が第一であります。今回は、前回にひきつづきまして、高校生活とは全く関係のないお話になります。皆様の健康を願って、病気療養中の僕から、普通の人は誰も知らない結核病棟潜入ルポ、「嗚呼、隔離病棟」改め「結核病棟24時(特に事件はないけど)」をお送りします。

 さて、ことのおこりは片道30キロの通学もこなれてきた4月も中ごろ。入学から続いてきた各種説明会ムードも終わって、いよいよ、大学生っぽく代返仲間でも見つけようとしていた最中、突然学校から呼び出しを受けてしまったのです。
 まだ、代返組織も整ってないし、校内で鉄パイプを削ったこともないし、会長と違って学費を滞納したりもしないし、思い当たる節は皆無なのであります。

 しかし、不思議なことに呼び出されたのは学校内の保険センター(いわゆる、保健室のようなもの)。行ってみると、入学時の健康診断で撮ったX線で、肺に影があるというのです。
 病院で再検査するように言われた僕は、仕方なく、会長と違って保険証もあるので病院へ行ったのでありますが、とりあえずはまたレントゲン。
 そして診断の末に医者から出た言葉は、「うちに呼吸器科はないので、ほかを紹介します」。
 雨の中、せっかく30分もかけて行ったのに……。呼吸器科がないんだったら最初からそういえよ!!

 明けて2日目。呼吸器科もないのにレントゲンだけ撮ってくれた病院から紹介された呼吸器科のある病院でも、やはりレントゲン撮影。今年に入って3回目のレントゲンであります。
 いくらレントゲンと言ったって、レントゲン室の入口にも機械にも、滅多にお目にかかれないあのマークがしっかりと張ってあるのです。これだけで十分に健康を害されている気になるのであります。レントゲン写真くらい、どこで撮ったって一緒じゃなきゃ困るわけで、紹介元の病院から紹介先の病院へレントゲン写真も紹介状とセットでつけてくれればこんなに何度も撮られなくて済んだのだけれど……。

 とにかく、3枚目のレントゲン写真から出た結果は「結核の疑いがあるのでツベルクリン&CT検査をしましょう」というもの。ツベルクリンは、注射を打ってどれくらい赤くなるかを見る検査で、結果は2日後に大きさを測って診ます。

 3日目、会長も経験者だというCTスキャンを初体験いたしました。「どーなつ」のなかをくぐるあれであります。「どーなつ」の中に入って写真を撮る直前に「ぞうえいざい」というものを打たれますが、増量大サービスってぐあいの量を打たれるので、体に入ってくるのがわかってちょっと気持ち悪かったです。

 4日目、今日はツベルクリン検査の結果測定。CTの結果と合わせて、僕の病名は正式に「結核でしょう」ってことになったのです。隔離病棟のある病院を紹介されましたが、このときは、入院かもしれないと言われていたので、診察して薬でもくれるのかな、まさか、またレントゲン撮られっちゃうのかな、と思っていたのですが……。

 閑話休題。
 結局、僕は入院することになったのでありますが、入院までに3つの病院をまわり、初診料、検査料、紹介状などで健康保険から20万円もの大金が病院へ流れていきました。
 保険料の改正などの前に、このようなシステムを直すべきだと思うのであります。
 「医者はドロボーの始まり」と、僕のオヤジは怒っております。

 とにかく、入院前の様子は、ざっとこんなもんであります。
 みなさん、レントゲンで影が写ったら、できるだけ大きな病院に行きましょう。

つづく
シゲ


投稿記事
貧評会

経費削減策
あの、会社が貧乏なのですけど。
特に貧乏臭を感じたものを2つ。

1.紙とかを貼るのりはアラビックヤマトのり、しか使わない。個人で最初の小さいプラスチック容器をキープし、なくなったら大瓶を所有するお局様にトポトポを継ぎ足してもらう。文句は多いが量は少ない。

2.夏、会社で客先40人を召集した会議をやりおしぼりを用意するよう言われたが、先輩指示により今までの頂きものの手ぬぐいを半分に切り、冷たくして用意。会議に参加したお客さんの会社のおしぼりもあり、会社名が真っ二つに切り裂かれていた。

このような会社は辞めるべきでしょうか。
あ、でも節約にいそしむ今時よい会社なんでしょうか。
自分では、よく、わかりません。

投稿:OL - A


貧者の知恵

100円で電気毛布を使わずに自分の体温を使う方法
100円ショップでレジャーシート(銀色に輝いている奴)を買ってきて、布団の下に敷く、板の間などで、冷たかったから、敷き布団を重ねるか、段ボールを下に敷くと更に暖かくなる。

こうすると、レジャーシートが効率良く体温を反射してくれるので、暖かいです。

投稿:mero


読者の声

先代の志ん生が、いい事を言っていました。
「おまいさん、貧乏なんざ〜するもんじゃね〜、あれは 味わうもんだ。」

言葉に重みがズシンと有ります、金持ちには判んないだろうけど。

投稿:貧乏神


編集後記/次号のお知らせ
編集後記
引っ越しの合間に発刊という、かつてないほどの忙しさを経験した10月号はいかがでしたでしょうか。私の住処はイコール、全日本貧乏協議会本部となっておりますので、当協議会も引っ越しをしたことになります。ああ、環境が変わると、気分も入れ替わりますね。新しいアパートも、相変わらずボロ家です。全日本貧乏協議会も、新たな展開を迎えられるべく努力いたしております。気がつけば、夜空にオリオン座も輝くようになりましたし、世の中は確実に冬に突入しています。人のことは言えませんけれど、皆様、風邪には要注意です。(か)
次号のお知らせ
耐乏Press Japan. 2001年11月号 11月中旬発刊予定

特集

  未定

連載記事

  シゲ君の嗚呼、高校三年間(7)

  投稿記事

耐乏PressJapan.では、皆様からの投稿をお待ちしております。詳しくはトップページをご覧ください。

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耐乏Press 耐乏Press Japan. 発行:全日本貧乏協議会(taku3@jh.net) 発行部数:199 冊
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