エネルギー以外はなんでも手に入る国で
ちょっと前だったか、それともしばらく前であったか。どうも記憶が定かでないのだけれども、確か、「捨てる技術」という本が流行ったはずである。実は、私はこの本を読んだこともなければ、書評を眺めたこともない。人からうわさで聞いたところによると、どうやら物を捨てるためのノウハウが書いてあるらしいという所までは知っている程度だ。
なぜ、そんなことを最初に書くのかと言えば、今月の特集は物を捨てるためにはどうしたらよいかということだからである。捨てる技術は読んだことがない。したがって、私が今から書く内容とその本とに、仮に重なる部分があったとしても、決してパクリではないということを暗に仄めかすための前置きと考えて欲しい。
さて、物を捨てるのは、意外にたいへんな作業である。物を捨てるには、なんというか、精神のエネルギーが必要だ。「ええい、捨ててやる!!」という気持が前面に押し出されなければ、捨てるという大事業はなしえない。そういった部分を、今月の特集には大いに盛り込んでゆくのだ。
現に、今の私は自分の荷物を軽トラック一杯分にまで減らすべく、会社員時代の散財の果てに溜め込んだゴミと戦っている。これには、相当の精神力が必要であったし、まだまだ継続中である。
半分は捨てた。
でも、さらに残ったうちの半分を捨てたいと考えている。つまりは捨てる前からすれば、実に3/4に相当する荷物を、処分するというのはやはり大事業なのである。
とにもかくにも、今月の特集は、荷物を減らせるだけ減らすと言う大事業に従事中の私自身を奮い立たせるための、物を捨てる心構えについてである。
私の動機
この生活にはいるときに、けっこう捨てたつもりだった。
でも、それは自分に甘えていただけで、実際にはまだまだ山盛りのゴミが残っていたのだ。
そんな折、住んでいるアパートがどうなるのか、なんとも怪しくなってしまったのだ。
平屋の、四畳半と六畳の二部屋、押入が二間分もあるという、独りで住むには十分に広い、ボロながらも贅沢な環境に住んでいるものだから、二年半前に会社を辞めて引っ越してきたときに、勿体ないとか、思い出として、などという馬鹿な理由で捨てなかった数多くのゴミも、すっぽりとおさまってしまった。
捨てようかなあと、考えないわけでもなかった。いや、考えたなら捨てていたわけで、ただただ、ぼんやりと思っていたに過ぎなかったわけである。それが災いとなって、いつでも動けるように危機管理せねばならぬ段階に唐突に至ってしまってから、面倒が一気に押し寄せてきたのだ。
人間、追いつめられると頭の中に付いているスイッチが チカッ と入ってしまう。この二ヶ月というもの、毎日が荷物の整理とゴミ捨ての連続であった。
明日、急に出て行けと言われて出てゆけぬようでは、真の貧乏人とは言えない。
(もちろん、金はもらうが)
そんな、自分に対するストイックさが、ようやく目覚めた一件であった。
目標は大胆に
さて、どの程度まで捨てればよいのかと言うことについては、目標が必要である。
考えてみて欲しい。今、あなたの部屋が突如として半分になってしまうとしたら、果たして住めるだろうか。僕が知る限りの他人の部屋を思い出す限り、不要な物を捨てなければ寝る場所すらなくなってしまうほどに物がある。それほどまでに、人は余計な物をホイホイと持ち込んでしまうのだ。
きっと、どれもこれも必要だと思ったり、勿体ないと思ったりして捨てずに来たものだ。そんな物を、えいやっと捨ててしまうには、目標があった方が気持が楽になる。
もちろん、私の場合は「いつでもすぐに動ける」という条件があるのだけれど、それを具体的な数値に出来れば、作業する上でも励みになる。しかし、これ実際には、木綿の着流し四枚と猿股数枚、その他リンゴ箱三個と洗面用具という訳にもいかない。
とにかく、目測でもいいから、「あとこのくらい捨てれば大丈夫」という所を確認できる目標。私は、四畳半一間での生活を想定し、そこに持ち込める荷物の量を考えた結果、ある目標を立てた。
軽トラック一杯分、だ。
軽トラック一杯分と言っても、軽トラに馴染みのない人にはピインとは来ないであろう。軽トラの荷台は、だいたい192×141センチメートルくらいで、積載重量は350キログラムだ。もし、巻き尺を持っていたら、192センチと141センチがどの程度であるか、伸ばしてみてもらいたい。
トラックと名は付いているが、所詮は軽自動車。軽トラック一杯分の荷物では、本当に厳選しなければならない。実は、軽トラは1トンくらい積んでも問題ないように作られているけれど、出来るならばきちんと350キログラムに抑えたいものだ。これは、厳しい目標なのだ。
私はテレビなどは持っていないけれど、そのかわりにパソコン一式がある。洗濯機もあるし、小型とはいえ冷蔵庫も持っている。最悪、洗濯機は無くても暮らせるけれど、捨てるには莫大なリサイクル料が必要となる。
こうなると、それ以外の身の回りの物については、大幅に削らなければならない。夜中に作業をして昼間眠る生活が好きな私にとって、カーテンは欠かせない。カーテンだって、しまえば段ボールのひとつくらいは占有してしまう。本だって、段ボール十個分はあるのだから、困ったものである。
ちょっと、無理な目標かもしれない。けれど、多少大胆に、無理のあるくらいの目標でなければ、不要な物はひねり出せないのだ。
思い出は物ではない
目標が定まったら、真っ先に捨ててしまいたいのが思い出である。
卒業アルバムなどは格好の餌食であろう。
いま思い出しても、特に高校生活などは楽しいものであった。だがしかし、卒業アルバムには、私は載っているが、思い出とはいまいち重ならないのだ。それに、思い出の場所のほとんどは、卒業アルバムには載っていない。卒業アルバムなど、すでに心の中にあるのだと気がつけば、捨てるのは簡単だ。
十分に歳をとり、ふと、昔を懐かしんで卒業アルバムを開く。そこには、若すぎるほどにみずみずしい青春という奴の残滓が残っているのかもしれない。しかし、そんな物を開いて思い出に埋没してしまっては、歩みがとまってしまう。
もし、年老いても振り返るべき思い出の物がなければ、さらに先に進めるかもしれない。若いうちに思い出の物を捨ててしまうことは、年老いた自分への鞭である。物に頼るようでは、ろくな老人にはなれない。せめて頼るなら、思い出の物ではなく、懐かしの友との再会によってチロチロと思い出す記憶でありたい。
実際、邪魔なことは邪魔だけれど、卒業アルバムを捨てる程度ではたいして荷物が減るとも思えないかもしれない。しかしながら、卒業アルバムを捨ててしまえたことが、物を捨てることに対してのエネルギーを爆発させてしまうのだ。もう、なんでも捨てられる気になるのだ。
年賀状も、暑中見舞いも、昔の恋文も、なんでもかんでも捨ててしまえる。そうやって、頭のモードを完全に「捨てる」ことに切り替えられれば、もう、勿体ないなんて思いは消えて無くなる。
過去の栄光という奴も、実に不要である。ここまで気持を持ってこられれば、第二回埼玉県工業高等学校プログラムコンテスト最優秀賞の楯とか、学校がくれた科学技術賞のメダルとか、そういう邪魔な物体は、即座に捨て去ることが出来るようになる。膨大なネガフィルムも、自称写真家でありながら、一気に捨ててしまった。
思い出の物を真っ先に処分してしまうことができれば、目に映る様々な物体が、すべてゴミに見えてくる。さあ、捨てる準備は整った。
隔離生活
近所のスーパーに行ったら、段ボール箱を大量に持ってきてしまう。
使うかどうか微妙な生活用品を、一時的に隔離するためだ。
大いに有効なのは、食器である。私の場合、食器は三人分、コップは六人分くらい持っていた。とあるカップルを撮った写真が割と良くできていたので、引き伸ばしてプレゼントしたお礼にもらったグラスなんてのも、使わないまま死蔵していたし、師匠の結婚式でもらった引き出物のグラスも、一年ほど前に開いた宴会を最後に使わないままであった。
私の場合、とにかく出来るだけ早く身軽になる必要があったから、食器はひとり分だけ残して段ボールに入れて押入に隔離した。もし、二週間不要であったら、捨てようと決めたのだ。狙いはどんぴしゃりで、この段ボールは三週間経っても開封されることはなく、人からもらったお礼のグラスだろうが、師匠の引き出物だろうが、あっさりと捨ててしまった。
不要そうな日常生活用品を隔離しての生活は、食器だけでなく、あらゆる物に有効だ。私の場合、急務であったし、この心の盛り上がりが冷めぬうちに決着を付けたいという思いが強かったので、三週間で捨ててしまったけれど、べつに急ぐ必要のない人なら、半年とか一年とか、そのくらいの期間でも構わないだろう。私に迷惑がかかるわけではないし。
重要なのは、半年なり一年後、しっかり憶えておくことだ。もし、一度も開封しなかったら、ちゃんと処分することだ。ここで、やはり勿体ないという思いに縛られてしまう人は、きっと卒業アルバムも年賀状も、律儀に保管しているはずだ。
生活用品なんか、売ろうにも売れない物ばかりだ。バカラのグラスを日常生活で使っている人間がこのページを訪れるはずもない。余剰な生活用品などという売れもしないゴミを、勿体ないと言って死蔵させ続けているから物が増えてしまい、合板製の大きな食器棚などの更なるゴミを運び入れる結果を招いているのだ。
家族構成人数以上の不要な食器などは、不燃ゴミの日にばんばん出してしまうべきだ。欲しいという人間が周りにいれば、あげればよい。しかし、欲しい人間が現れるまで死蔵させておくのは、得策ではないと、すでにわかっているはずである。
スペースにもコストがかかるのだ。
プラスチックは捨てろ
プラスチック製の容器類。
小さな引き出しの小物入れ。
百円ショップでありがちな収納グッズであるのだが、こんな物は捨ててしまうべきであるのだ。プラスチックの入れ物が部屋にあるだけで、その部屋の品位が二段階くらい卑しめられてしまう。はっきり言って、ゴミである。
容器自体がゴミなのだから、中身だってゴミのはずだ。良く整理して見れば、滅多に使わないホッチキスと針、劣化した輪ゴム、大量の画鋲などなどの、どうでもよい物ばかりではないだろうか。
プラスチックのペン立てに無数に立てられたペン類を、チェックしたことがあるだろうか。そのうちの何本が、すでに使えなくなっているだろう。そして、そのうちの何本に、最近使った記憶があるだろう。
そんなもの、捨ててしまったところで生活には一切の支障がない。
いま捨てなければ、一生捨てられないかもしれない物を、あなたはこれからの人生で使うことがあるのだろうかを、真剣に考えるべきだ。私は、こういうところは意外にまめで、使わない文房具などは持ち込まないし、使えなくなった物はすぐに処分しているから、その点は楽であった。
それでも、困った物は存在する。
プラスチックの衣装ケースが、非常にじゃまなのだが、ほかに衣類を入れる物もない。まして、軽トラック一杯分を目指しているのに、桐箪笥を導入する気にはとうていならないし、そんな金もないのである。そうなるとやはり、プラスチック容器の中身もゴミという法則を適用することになる。
考えてみれば、私は漫画のキャラクターのような生活をしている。着ている物は、季節による違いはあるが、冬は2〜3着、夏も2〜3着をローテーションして着る癖が付いている。いつでも、同じような格好をしているのだ。夏は洗濯するが、冬は、二週間くらいは洗濯しなくてもばれない。
毎日、着ている物をバケツで手洗いすれば、下着だって三枚もあれば足りる。そうなると、やはりプラスチックというゴミに入っている物も、ゴミなのだ。
プラスチックの排除は、よりいっそうの荷物削減と共に、綺麗さっぱりとした生活環境を実現できると心得て欲しい。
大きな物の排除
段ボール箱に換算して十箱ほどの本を所有している私であるが、本棚を処分してしまった。
本棚というのも、実に邪魔な存在だ。決して広くない軽トラックの荷台を、かなり占有してしまう厄介者を、この際だからと人に譲ってしまった。今のところ、本は段ボールにしまい込み、押入に入れてある。
不要な生活雑貨と違い、本は処分する気はないし、出来ない。実際、段ボールにしまい込んでからと言うもの、「あ、あれが必要だ」などということになって、深夜に押入を引っかき回す生活をしている。
では、なぜそこまでして本棚を処分したのか。
なにか適当な木材が手に入ったら、押入の中に本棚を組んでしまおうと考えたのだ。いまだに段ボール箱にしまい込んだままであるからには、まだ、適当な木材は手に入っていない。でも、しかしである。本棚を撤去するためのアイデアが浮かんだなら、とりあえずは新しい収納が確保できていなくても、処分してしまった方が早い。ここまで来ると、目に映るあらゆる物が目障りなのだから、邪魔だという考えが持続するうちに処分してしまわなければ、気持がしぼんでしまうかもしれない。それでは、元のままである。
同様の手段で、スチールラックなどという非常に目障りな物体も、さっさと処分できた。これにのっかっていたあんなものやこんなものは、一緒に捨ててやった。捨てるという目標に突き動かされる精神エネルギーが持続するうちにすべてを処分できなければ、作戦失敗は明らかである。
もし、処分したい大きな家具にどうしても必要な物が収納されている場合は、新たな、邪魔にならない収納方法を考える。考えついたならば、新たな収納が実現できる前に、さっさと今の収納を処分してしまう。新しい収納が実現するまでは、段ボール箱に入れて押入だ。もしかしたら、押入で死蔵する間に、どうしても必要だと思っていた物が、実は不要であると気がつくかもしれない。
ここまできてそれが出来ないようでは、一生、ゴミを抱えて生きることになるであろう。
それは、バブル崩壊のつけを今になっても処理できない日本政府となんら変わりないのである。
真の耐乏を目指して
自分を奮い立たせるために書いた特集なので、多少、刺激が強い部分もあったかもしれないけれど、二周年記念特大号であるからには、ちいっとは本音を語っても罰は当たらないだろう。
必要に迫られてとはいっても、なにもそこまでやらなくてもという気もしないでもないが、捨てなかった後悔よりは、捨ててしまった反省を選びたい……そういう思いが頭から離れなくなってしまった以上、突き進むしかないのだ。もう、ゴミはいらないのだ。
とりあえずは軽トラック一杯分を目指してゴミを捨て去る最中の私ではあるが、きっと、目標を達したときにはこう考えるはずである。
「もっと少なくても暮らせるはずだ」
絶望的に物のない暮らしを目指して、なにもかも捨てていくであろうと、自分に対して願いたい物だ。酒と煙草、それにカメラ。そんな生活が出来るのは、いつであろうか。
実は既に、無理をすれば軽トラック一回で引っ越しできる程度には、物は減っている。
でも、なにかが物足りない。
まだ、捨てられる物があるのではないかと、寝ていてもふと思い立って押入をガサゴソと整理し始めるような生活をしている。
すでに、半分病気であるかもしれない。
部屋を片づけられない病気が流行っているらしいが、物を捨てたがる病気というのは、症例があるのだろうか。
う〜む、あれも捨ててしまおうか。