タイトル写真 耐乏Press Japan.
全日本貧乏協議会
二周年記念特大号
Aug.
2001

目次
特集

 本当に捨てるために

 二周年記念インタビュー

連載記事

  シゲ君の嗚呼、高校三年間(4)
  発掘!!貧乏図書(4)

   編集後記/次号のお知らせ

特集
本当に捨てるために
捨て去るための心構え
物を捨てるには、莫大な精神エネルギーが必要です。今月は、そんなエネルギーのひねり出し方を、一気に大放出してしまうのです。
特集タイトル写真
●エネルギー以外はなんでも手に入る国で

 ちょっと前だったか、それともしばらく前であったか。どうも記憶が定かでないのだけれども、確か、「捨てる技術」という本が流行ったはずである。実は、私はこの本を読んだこともなければ、書評を眺めたこともない。人からうわさで聞いたところによると、どうやら物を捨てるためのノウハウが書いてあるらしいという所までは知っている程度だ。
 なぜ、そんなことを最初に書くのかと言えば、今月の特集は物を捨てるためにはどうしたらよいかということだからである。捨てる技術は読んだことがない。したがって、私が今から書く内容とその本とに、仮に重なる部分があったとしても、決してパクリではないということを暗に仄めかすための前置きと考えて欲しい。

 さて、物を捨てるのは、意外にたいへんな作業である。物を捨てるには、なんというか、精神のエネルギーが必要だ。「ええい、捨ててやる!!」という気持が前面に押し出されなければ、捨てるという大事業はなしえない。そういった部分を、今月の特集には大いに盛り込んでゆくのだ。
 現に、今の私は自分の荷物を軽トラック一杯分にまで減らすべく、会社員時代の散財の果てに溜め込んだゴミと戦っている。これには、相当の精神力が必要であったし、まだまだ継続中である。

 半分は捨てた。

 でも、さらに残ったうちの半分を捨てたいと考えている。つまりは捨てる前からすれば、実に3/4に相当する荷物を、処分するというのはやはり大事業なのである。

 とにもかくにも、今月の特集は、荷物を減らせるだけ減らすと言う大事業に従事中の私自身を奮い立たせるための、物を捨てる心構えについてである。

●私の動機

 この生活にはいるときに、けっこう捨てたつもりだった。
 でも、それは自分に甘えていただけで、実際にはまだまだ山盛りのゴミが残っていたのだ。
 そんな折、住んでいるアパートがどうなるのか、なんとも怪しくなってしまったのだ。

 平屋の、四畳半と六畳の二部屋、押入が二間分もあるという、独りで住むには十分に広い、ボロながらも贅沢な環境に住んでいるものだから、二年半前に会社を辞めて引っ越してきたときに、勿体ないとか、思い出として、などという馬鹿な理由で捨てなかった数多くのゴミも、すっぽりとおさまってしまった。

 捨てようかなあと、考えないわけでもなかった。いや、考えたなら捨てていたわけで、ただただ、ぼんやりと思っていたに過ぎなかったわけである。それが災いとなって、いつでも動けるように危機管理せねばならぬ段階に唐突に至ってしまってから、面倒が一気に押し寄せてきたのだ。
 人間、追いつめられると頭の中に付いているスイッチが チカッ と入ってしまう。この二ヶ月というもの、毎日が荷物の整理とゴミ捨ての連続であった。

 明日、急に出て行けと言われて出てゆけぬようでは、真の貧乏人とは言えない。
 (もちろん、金はもらうが)

 そんな、自分に対するストイックさが、ようやく目覚めた一件であった。

●目標は大胆に

 さて、どの程度まで捨てればよいのかと言うことについては、目標が必要である。

 考えてみて欲しい。今、あなたの部屋が突如として半分になってしまうとしたら、果たして住めるだろうか。僕が知る限りの他人の部屋を思い出す限り、不要な物を捨てなければ寝る場所すらなくなってしまうほどに物がある。それほどまでに、人は余計な物をホイホイと持ち込んでしまうのだ。
 きっと、どれもこれも必要だと思ったり、勿体ないと思ったりして捨てずに来たものだ。そんな物を、えいやっと捨ててしまうには、目標があった方が気持が楽になる。

 もちろん、私の場合は「いつでもすぐに動ける」という条件があるのだけれど、それを具体的な数値に出来れば、作業する上でも励みになる。しかし、これ実際には、木綿の着流し四枚と猿股数枚、その他リンゴ箱三個と洗面用具という訳にもいかない。
 とにかく、目測でもいいから、「あとこのくらい捨てれば大丈夫」という所を確認できる目標。私は、四畳半一間での生活を想定し、そこに持ち込める荷物の量を考えた結果、ある目標を立てた。

 軽トラック一杯分、だ。

軽トラ  軽トラック一杯分と言っても、軽トラに馴染みのない人にはピインとは来ないであろう。軽トラの荷台は、だいたい192×141センチメートルくらいで、積載重量は350キログラムだ。もし、巻き尺を持っていたら、192センチと141センチがどの程度であるか、伸ばしてみてもらいたい。
 トラックと名は付いているが、所詮は軽自動車。軽トラック一杯分の荷物では、本当に厳選しなければならない。実は、軽トラは1トンくらい積んでも問題ないように作られているけれど、出来るならばきちんと350キログラムに抑えたいものだ。これは、厳しい目標なのだ。

 私はテレビなどは持っていないけれど、そのかわりにパソコン一式がある。洗濯機もあるし、小型とはいえ冷蔵庫も持っている。最悪、洗濯機は無くても暮らせるけれど、捨てるには莫大なリサイクル料が必要となる。
 こうなると、それ以外の身の回りの物については、大幅に削らなければならない。夜中に作業をして昼間眠る生活が好きな私にとって、カーテンは欠かせない。カーテンだって、しまえば段ボールのひとつくらいは占有してしまう。本だって、段ボール十個分はあるのだから、困ったものである。

 ちょっと、無理な目標かもしれない。けれど、多少大胆に、無理のあるくらいの目標でなければ、不要な物はひねり出せないのだ。

●思い出は物ではない

 目標が定まったら、真っ先に捨ててしまいたいのが思い出である。
 卒業アルバムなどは格好の餌食であろう。

 いま思い出しても、特に高校生活などは楽しいものであった。だがしかし、卒業アルバムには、私は載っているが、思い出とはいまいち重ならないのだ。それに、思い出の場所のほとんどは、卒業アルバムには載っていない。卒業アルバムなど、すでに心の中にあるのだと気がつけば、捨てるのは簡単だ。

 十分に歳をとり、ふと、昔を懐かしんで卒業アルバムを開く。そこには、若すぎるほどにみずみずしい青春という奴の残滓が残っているのかもしれない。しかし、そんな物を開いて思い出に埋没してしまっては、歩みがとまってしまう。
 もし、年老いても振り返るべき思い出の物がなければ、さらに先に進めるかもしれない。若いうちに思い出の物を捨ててしまうことは、年老いた自分への鞭である。物に頼るようでは、ろくな老人にはなれない。せめて頼るなら、思い出の物ではなく、懐かしの友との再会によってチロチロと思い出す記憶でありたい。

 実際、邪魔なことは邪魔だけれど、卒業アルバムを捨てる程度ではたいして荷物が減るとも思えないかもしれない。しかしながら、卒業アルバムを捨ててしまえたことが、物を捨てることに対してのエネルギーを爆発させてしまうのだ。もう、なんでも捨てられる気になるのだ。
 年賀状も、暑中見舞いも、昔の恋文も、なんでもかんでも捨ててしまえる。そうやって、頭のモードを完全に「捨てる」ことに切り替えられれば、もう、勿体ないなんて思いは消えて無くなる。

 過去の栄光という奴も、実に不要である。ここまで気持を持ってこられれば、第二回埼玉県工業高等学校プログラムコンテスト最優秀賞の楯とか、学校がくれた科学技術賞のメダルとか、そういう邪魔な物体は、即座に捨て去ることが出来るようになる。膨大なネガフィルムも、自称写真家でありながら、一気に捨ててしまった。

 思い出の物を真っ先に処分してしまうことができれば、目に映る様々な物体が、すべてゴミに見えてくる。さあ、捨てる準備は整った。

●隔離生活

 近所のスーパーに行ったら、段ボール箱を大量に持ってきてしまう。
 使うかどうか微妙な生活用品を、一時的に隔離するためだ。

 大いに有効なのは、食器である。私の場合、食器は三人分、コップは六人分くらい持っていた。とあるカップルを撮った写真が割と良くできていたので、引き伸ばしてプレゼントしたお礼にもらったグラスなんてのも、使わないまま死蔵していたし、師匠の結婚式でもらった引き出物のグラスも、一年ほど前に開いた宴会を最後に使わないままであった。

 私の場合、とにかく出来るだけ早く身軽になる必要があったから、食器はひとり分だけ残して段ボールに入れて押入に隔離した。もし、二週間不要であったら、捨てようと決めたのだ。狙いはどんぴしゃりで、この段ボールは三週間経っても開封されることはなく、人からもらったお礼のグラスだろうが、師匠の引き出物だろうが、あっさりと捨ててしまった。

 不要そうな日常生活用品を隔離しての生活は、食器だけでなく、あらゆる物に有効だ。私の場合、急務であったし、この心の盛り上がりが冷めぬうちに決着を付けたいという思いが強かったので、三週間で捨ててしまったけれど、べつに急ぐ必要のない人なら、半年とか一年とか、そのくらいの期間でも構わないだろう。私に迷惑がかかるわけではないし。
 重要なのは、半年なり一年後、しっかり憶えておくことだ。もし、一度も開封しなかったら、ちゃんと処分することだ。ここで、やはり勿体ないという思いに縛られてしまう人は、きっと卒業アルバムも年賀状も、律儀に保管しているはずだ。

 生活用品なんか、売ろうにも売れない物ばかりだ。バカラのグラスを日常生活で使っている人間がこのページを訪れるはずもない。余剰な生活用品などという売れもしないゴミを、勿体ないと言って死蔵させ続けているから物が増えてしまい、合板製の大きな食器棚などの更なるゴミを運び入れる結果を招いているのだ。
 家族構成人数以上の不要な食器などは、不燃ゴミの日にばんばん出してしまうべきだ。欲しいという人間が周りにいれば、あげればよい。しかし、欲しい人間が現れるまで死蔵させておくのは、得策ではないと、すでにわかっているはずである。

 スペースにもコストがかかるのだ。

●プラスチックは捨てろ

 プラスチック製の容器類。
 小さな引き出しの小物入れ。

 百円ショップでありがちな収納グッズであるのだが、こんな物は捨ててしまうべきであるのだ。プラスチックの入れ物が部屋にあるだけで、その部屋の品位が二段階くらい卑しめられてしまう。はっきり言って、ゴミである。
 容器自体がゴミなのだから、中身だってゴミのはずだ。良く整理して見れば、滅多に使わないホッチキスと針、劣化した輪ゴム、大量の画鋲などなどの、どうでもよい物ばかりではないだろうか。
 プラスチックのペン立てに無数に立てられたペン類を、チェックしたことがあるだろうか。そのうちの何本が、すでに使えなくなっているだろう。そして、そのうちの何本に、最近使った記憶があるだろう。

 そんなもの、捨ててしまったところで生活には一切の支障がない。

 いま捨てなければ、一生捨てられないかもしれない物を、あなたはこれからの人生で使うことがあるのだろうかを、真剣に考えるべきだ。私は、こういうところは意外にまめで、使わない文房具などは持ち込まないし、使えなくなった物はすぐに処分しているから、その点は楽であった。

ゴミ  それでも、困った物は存在する。
 プラスチックの衣装ケースが、非常にじゃまなのだが、ほかに衣類を入れる物もない。まして、軽トラック一杯分を目指しているのに、桐箪笥を導入する気にはとうていならないし、そんな金もないのである。そうなるとやはり、プラスチック容器の中身もゴミという法則を適用することになる。

 考えてみれば、私は漫画のキャラクターのような生活をしている。着ている物は、季節による違いはあるが、冬は2〜3着、夏も2〜3着をローテーションして着る癖が付いている。いつでも、同じような格好をしているのだ。夏は洗濯するが、冬は、二週間くらいは洗濯しなくてもばれない。  毎日、着ている物をバケツで手洗いすれば、下着だって三枚もあれば足りる。そうなると、やはりプラスチックというゴミに入っている物も、ゴミなのだ。

 プラスチックの排除は、よりいっそうの荷物削減と共に、綺麗さっぱりとした生活環境を実現できると心得て欲しい。

●大きな物の排除

 段ボール箱に換算して十箱ほどの本を所有している私であるが、本棚を処分してしまった。
 本棚というのも、実に邪魔な存在だ。決して広くない軽トラックの荷台を、かなり占有してしまう厄介者を、この際だからと人に譲ってしまった。今のところ、本は段ボールにしまい込み、押入に入れてある。
 不要な生活雑貨と違い、本は処分する気はないし、出来ない。実際、段ボールにしまい込んでからと言うもの、「あ、あれが必要だ」などということになって、深夜に押入を引っかき回す生活をしている。

 では、なぜそこまでして本棚を処分したのか。

 なにか適当な木材が手に入ったら、押入の中に本棚を組んでしまおうと考えたのだ。いまだに段ボール箱にしまい込んだままであるからには、まだ、適当な木材は手に入っていない。でも、しかしである。本棚を撤去するためのアイデアが浮かんだなら、とりあえずは新しい収納が確保できていなくても、処分してしまった方が早い。ここまで来ると、目に映るあらゆる物が目障りなのだから、邪魔だという考えが持続するうちに処分してしまわなければ、気持がしぼんでしまうかもしれない。それでは、元のままである。

 同様の手段で、スチールラックなどという非常に目障りな物体も、さっさと処分できた。これにのっかっていたあんなものやこんなものは、一緒に捨ててやった。捨てるという目標に突き動かされる精神エネルギーが持続するうちにすべてを処分できなければ、作戦失敗は明らかである。
 もし、処分したい大きな家具にどうしても必要な物が収納されている場合は、新たな、邪魔にならない収納方法を考える。考えついたならば、新たな収納が実現できる前に、さっさと今の収納を処分してしまう。新しい収納が実現するまでは、段ボール箱に入れて押入だ。もしかしたら、押入で死蔵する間に、どうしても必要だと思っていた物が、実は不要であると気がつくかもしれない。

 ここまできてそれが出来ないようでは、一生、ゴミを抱えて生きることになるであろう。
 それは、バブル崩壊のつけを今になっても処理できない日本政府となんら変わりないのである。

●真の耐乏を目指して

 自分を奮い立たせるために書いた特集なので、多少、刺激が強い部分もあったかもしれないけれど、二周年記念特大号であるからには、ちいっとは本音を語っても罰は当たらないだろう。

 必要に迫られてとはいっても、なにもそこまでやらなくてもという気もしないでもないが、捨てなかった後悔よりは、捨ててしまった反省を選びたい……そういう思いが頭から離れなくなってしまった以上、突き進むしかないのだ。もう、ゴミはいらないのだ。

 とりあえずは軽トラック一杯分を目指してゴミを捨て去る最中の私ではあるが、きっと、目標を達したときにはこう考えるはずである。

 「もっと少なくても暮らせるはずだ」

 絶望的に物のない暮らしを目指して、なにもかも捨てていくであろうと、自分に対して願いたい物だ。酒と煙草、それにカメラ。そんな生活が出来るのは、いつであろうか。

 実は既に、無理をすれば軽トラック一回で引っ越しできる程度には、物は減っている。
 でも、なにかが物足りない。
 まだ、捨てられる物があるのではないかと、寝ていてもふと思い立って押入をガサゴソと整理し始めるような生活をしている。

 すでに、半分病気であるかもしれない。
 部屋を片づけられない病気が流行っているらしいが、物を捨てたがる病気というのは、症例があるのだろうか。

 う〜む、あれも捨ててしまおうか。


二周年記念インタビュー
発足から二年、なんとか持ちこたえた全日本貧乏協議会の会長、川上卓也へのインタビューを、あの彼が行いました。
■全日本貧乏協議会二周年

2000年   まあ、とりあえずおめでとうございます
会長 うむ。よくもまあ、二年も続いたものだ。自分で自分を誉めてあげたいところだな。
  えっと、1999年の8月が、発足の月なの?
会長 発足は、実は6月の終わりか7月の初めなのだがな、詳しいことは憶えておらん。よって、創刊号を発刊した8月を、区切りとしたわけだ。
  8月の何日なのさ
会長 記憶にない。
  あのさあ、コンピュータなんだから、タイムスタンプとかあるでしょ
会長 おお、そう言う方法もあったな。なるほど、創刊号は1999年8月10日に出ておるぞ。
  じゃあ、その日が記念日ってことで
会長 うむ。8月10日。バイトの日とも読めるな。
  そういうくだらないことはいいからさあ、とっとと次ぎに行くよ

■発足を振り返る

2001年   そもそも、なんでこんな会を作ろうと思ったわけ?
会長 うむ。今は存在しないが、99年の6月頃に、インターネットで貧乏を検索したときに出てきたページを読んで、鯖吉と二人で大笑いしたような気がするのだ。それで、貧乏は笑いになるという単純で浅はかな考えで始めたのだ。
  全日本という大げさなネーミングは?
会長 会の名前は、実は後から考えたのだよ。最初に、「耐乏」と名の付いた機関誌というアイデアがあってな。耐乏PressJapan. というWeb会報誌の名前が先に決定しておった。
  順序、逆だどな
会長 そんなこと、今となってはどうでもよいのだよ。全日本貧乏協議会という名称は、20ほど考えた候補から適当に選んだのだ。よって、「なんで協議会なんですか」などという質問は、すべて黙殺しておる。
  最初は、ページもシンプルだったよね
会長 貧乏をテーマにするのだから、重いページではしかたがないと考えてな。
  なんで、こんなに重くなっちゃったわけ
会長 そりゃあ、ライバルが家■画報だからのう
  家庭■報が聞いたら迷惑すっとな
会長 相手がでかいほど、燃えるから
  ……

■各号を振り返る

2001年8月号   会長が、いちばん気に入っているのは、何年の何月号なの
会長 無い。
  あ、あのさあ、それじゃあ、ダメじゃん
会長 私は日々進化しておるのだ。過去の発行物にいつまでも満足しているようでは、そこいらの馬鹿な40代と何ら変わらんではないか。
  それじゃあ、インタビューにならないでしょ
会長 仕方がないのう。まあ、それなりに良くできたと考えているのは、1999年12月号、2000年8月号、10月号、それと、この2001年8月号だな。
  1999年12月号は、全日本貧乏協議会の考える貧乏について書いてあるやつだな
会長 うむ。そのうち書き直さなければならないとは思っておるが、基本姿勢は変わってない。あの号が、全日本貧乏協議会の真の出発点かもしれぬな。
  2000年8月号は、テレビを斬ったんだっけ
会長 そうそう。「テレビジョンの時代は終わった」で予言したとおり、とうとう私はテレビジョン受信の術を排除してしまった。読者を裏切らぬ姿勢は評価されるべきだな。
  自分で言ってどうするのさ。で、10月号はコンビニ。
会長 あれは、3回ほど書き直したのだよ。自称名誉顧問の鯖吉から、「これじゃあ読者が居なくなる」となだめられてな。
  会長、本心を語ると危ないからね

■耐乏PressJapan. の今後

  三年目に突入した耐乏PressJapan. は、今後、どんな感じになるの
会長 9月号から、少しずつ笑いのオブラートを強化していくつもりじゃ。
  具体的には?
会長 そんなもの、秘密に決まっているだろう
  考えてないだけじゃないの
会長 お前、それはひどい言いぐさだぞ
  さては、本当のことだったな
会長 ふん。
  で、実は、なんだか新しいことを準備しているらしいけれど
会長 少し、世の中に迎合することを学ぶために、あいもーど版貧乏日記を考えているところだ。
  会長、携帯電話なんて持ってないのにさ、どうやって作るの
会長 本当に表示できるかどうかは、知らん。
  ……。あとは、2002年に向けてのリニューアルとかは?
会長 見てくれだけ変更して終わりというような自己満足に終わることなく、デ・サインの向上、表示時間の短縮、独自性の強化を目指して作成中じゃ。来年のページを、今から作っておるのだから偉いだろう。
  別に
会長 インタビュアーなんだから、すこしはヨイショしたらどうなんだね、シゲ君。


連載記事
嗚呼、高校三年間 第4回 ”おバカな友人”の巻

 シゲであります。

 先月号は、訳があってお休みしてしまいました。今月から、また書きます。

 今回は、連載の上でどうしてもおさえておかなければならない人物。高校で出会ったおバカな友人について。

 高校生活で出会った友人はたくさんいますが、一番強いヤツのことを書きます。
 名前は、門井一博といいます。

 僕と出会う前、エアガンバカで映画大好きで、中学校の修学旅行ではスターウォーズの人形を買って喜んでいたという彼も、今では一番のイカれた”バイクバカ一代”であります。
 彼は誕生日が四月後半で、クラスで一番最初に原付免許を取りました。そして買ったバイクは赤いCL50でありました。

 そう。今、僕がバイクに乗っているのは、こいつに「放火」されてしまったからなのです。

 門井は、とにかく色々面白いことをしてくれましたから、そのうちのいくつかを挙げてみます。

  • CL50を買って一日目に、友達にドブに落とされた(ドブの深さは推定1m)。
  • 二ヶ月目くらいに間違って灯油を入れて壊した(ここから、ヤツのバイクバカ生活が始まるのであります)。
  • 二年生の夏、他の友人と夜中に水戸の試験場へと偵察に行った帰りの国道で 、CL50(●●ccにボアアップ)を寝ながら運転。居眠りのままトラックを追い抜いていった。
  • 二年生の冬、ほぼ毎日モンキー系エンジンのクランクケース磨きを手伝わされた(ヨシムラといういじり屋さんが向かしやっていたのを真似したのです。夜9時から1〜2時くらいまで)。しかし、こいつがCLにはつかないことが判明し、何のためにやってきたのかと僕がキレた。
  • 三年生の一学期終わり頃、自動車免許を二、三ヶ月で取り、立て続けに大型二輪を三週間で取得(もちろん、両方とも教習所)。
  • 三年生の夏、赤城山日帰りツアー(参加者はすべて50cc)で、誰よりも速く赤城山を登り、誰よりも速く下り、帰りのいろは坂で誰よりも早く転び、心配して停まった誰よりも早く発車しやがった。
  • 十二月二十五日未明のバイトの帰り、車検を取って一週間経っていない刀750で転倒。なぜかリヤホイールが割れた。
 その他、まだまだあるのですが書ききれません。
 このへんで、今月は終わりにします。

 あ、この門井というおバカなヤツは、今年からつくばサーキットでレースをやります。
 将来、どんなバカをやらかすかが楽しみであります。

つづく
シゲ


発掘!!貧乏図書4冊目:なんとなく、クリスタル

本
著者  田中康夫
発行  1985年12月20日
発行所 新潮社
※単行本は、河出書房新社から1981年に刊行されています
※昭和55年度文藝賞入選作
いかわらず暑い日が続いていますが、夜になると、若干ではありますが、涼しくなったりもしてくれます。そんな夜は、秋を先取りして読書などもよろしいかと思いますが、重い本ですと、厚さに耐えかねて暑さを思い出してしまいます。今月は、暑い夜にもなんとなく読めてしまう、なんとなく、クリスタルをご紹介します。
んとなく、クリスタル(以下、なんクリ)は、今はなんと長野県知事として活躍されている田中康夫が、一橋大学在学中に校内の図書館で書き上げたというデビュー作です。なんクリには、80年代の始まり、これから社会に出て、バブルにのみ込まれ食い物にされてゆく若者達の日常が、クリスタルみたいに綴られています。
を開くと、偶数ページには本文、奇数ページには註釈が記された構成にやや驚かされます。とりあえず註を気にせずに読み進んでみますと、あっという間に読み終えられるのが特徴です。読後感の稀薄さというか、無味感というか、なんとも形容のしがたい感覚に支配されるのです。
て、もう一度、註釈を読みながらページをめくりますと、今度は本文が頭に残らないのです。膨大な註が、本文を水割りのように薄めてしまい、酔いが醒めてゆくのです。そんな註釈自体は、これはもうバブル到来の予感がアリアリの大ブランド市で、「あー、そんなこともあったね」とか「今だったら恥ずかしくなるねー」といった過去のオンパレード。こちらもまた、今では虚な感覚に映ります。
もない、無気力、無感動、密度のなさを、田中康夫はクリスタルという見事な形容で淡々と綴っています。一見、軽薄な物語の裏側には、著者の頭の良さが隠されていて、さすがは知事といったところなのです。安保闘争や反戦運動といった思想が絶え、バブルという偽物の氾濫直前の谷間。なんクリは、そんな時代の若者が都会で営む貧乏くさい生活の集積と言えるのです。
んクリこそ、貧乏とは対極にある貧乏くささというものの原点なのです。なんクリの註は、そのまま貧乏臭辞典として利用できてしまいます。なんとなく、クリスタル。なんとなくということは、本物のクリスタルではなく、クリスタルのようなものでしかないのです。タイトルだけでも、似て非なる貧乏くさい人々の物語であることがはっきりとわかるのです。
乏の対極は、決して金持ちではなく、あくまでも貧乏くさい人間であることが、なんクリを読めば理解できるのです。もし、あなたの知り合いにお金持ちが居たならば、じっくり観察してみてはいかがでしょうか。本当のお金持ちなんて、ほんの一握りなのですから、”なんとなく、ゴージャス”なだけの人かもしれません。私も、”なんとなく、アルマイト”にならないように、頑張らなければと心に誓う一冊です。

書評 全日本貧乏協議会会長 川上卓也


このコーナーでは、貧乏図書に関する紹介を広く募集しています。投稿記事と違い、必ず採用するかどうかはお約束できませんが、「あの本こそ紹介すべきだ。俺が(私が)書いてやる」という方がいらっしゃいましたら、お気軽にメールをください。

編集後記/次号のお知らせ
編集後記
師匠、申し訳ありません。私、師匠の結婚式の引き出物すら、捨ててしまいました。これは、さすがに叱られても仕方のない出来事だと覚悟しております。ただ、その、何ともうしましょうか、写真家という、アウトプットのための立場よりもより強大な、思想家としての私を止めることが出来なかったのです。結婚式の引き出物としては、大変素晴らしい品であった、そう、実用的で、そこいらへんの引き出物とは比べ物にならないセンスの良さは、きっと、各家庭で活躍していると思うのです。ただ、私はどうやら普通じゃないのです。もう、誰も私を止めることは出来ないのです。嗚呼、なんという不肖の弟子でしょうか。とんでもないこととは、十二分に承知しているのに。もらった、いや、お借りしているカメラは、大切にしております。米もあるし、血の巡りも良くなってまいりました。そろそろ、いっぱつ撮ってみようかと考える次第であります。(か)
次号のお知らせ
耐乏Press Japan. 2001年月号 9月中旬発刊予定

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  未定

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  シゲ君の嗚呼、高校三年間(5)
  他、未定

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耐乏Press 耐乏Press Japan. 発行:全日本貧乏協議会(taku3@jh.net) 発行部数:18522 冊
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