この物語では、第1部で一億総貧乏時代が訪れると言うことを説明しました。
「駄洒落が言いたかっただけという話もあるけれど」
そんなわけはないでしょう。コホン。バブル崩壊も一昔前になりつつある今、政治と経済の混乱は深まるばかりに思えます。かつての、虚栄的経済を引きずった人々は、中庸の精神という虚栄心を持って、これからも喘ぎ続けるでしょう。
「会長だって、金欠に喘いでるじゃない」
いいですか、そこのところを今から話していきますから、ちゃんと聞いていてくださいね。虚栄、つまり過去の経済が華やかだった頃の生活を忘れられず、分不相応なステータスを追い求め、しがみついて生きようとする人々が形成しているのが、世間というやつです。
「曲解だどな」
人が集まれば、集団としての風潮が生じます。世間なる世界にどっぷりと身を浸していると、中庸の精神に沿って生きる必要が生じてきます。見栄なんてものは、その最たるものでしょう。
「見せる人間が居なければ、見栄を張る必要もない」
一億総貧乏時代の今、世間という塊に閉じこもったまま転がり落ちていくのが、残念ながら21世紀における大抵の日本人の未来でしょう。
「かつてはパッとしなかった衣服量販店が、一気に力をつけてるもんな」
個人における、見栄を張るだけの経済力が崩壊しつつあるわけですから。以前は馬鹿にされたような安売り店のブランドが、いつの間にか持ち上げられている。世間の人々は気がついているでしょうか。
「たぶん、何色にしようか悩んでいると思うよ」
ははは。それに、企業の戦略も、ここへきてより悪辣になっています。金を吸い上げる対象が、大学生から高校生、高校生から中学生、中学生から、とうとう小学生。子供ほど、「みんなと同じ」を重要に考えますから、ブームが作れさえすれば、一気に金を集められます。
「子供の小遣いを奪ってまで、稼ぎたいのかね」
今までは、子供の小遣いなど所詮は親の金でしかありませんでした。でも、中高生にとんでもない経済力を与えてしまう犯罪者が後を絶ちません。自我の形成が不安定な時期、不相応な経済力は、個を壊しかねませんよ。
「体にも良くない」
おや、私の遠回しな言い方の中に含まれるものがなんであるのか、わかったようですね、シゲ君。
「会長が考えているほど難しくないぞ、その遠回しとやらは」
くっ、相変わらず癪にさわりますね、君。
第2部では、時間の考え方についてお話ししました。
「うまい駄洒落はなかったな」
駄洒落がうまかったら洒落になってしまいます。まあ、そんなことはどうでもよいのですよ。組織に属してお金を貰うことは、時間の切り売りです。自分の時間を得るためには、組織に売却する時間を少なくすることです。
「時給100万円の仕事があれば、1時間働くだけでしばらく遊べるな」
組織に属している以上、もらう金額に比例して苦労も増えます。結局、その金額分だけ、そのほかの時間も犠牲になりかねません。
「会長、まだ770円のままだな」
ええい、そんなことはどうでもよい。売却する時間が減れば、収入も減ります。では、どうすればよいのか。答えは、自分を維持するコストを減らすこと。最低限の衣食住で営む。その最低限のラインをより低くできれば、自分の時間は更に増える。これが、時間を得るための貧乏生活へと繋がる考え方です。
「簡単に言うと、節約狂になれってことか」
そんな簡単な話ではありませんよ。節約生活ではなく、貧乏生活なのです。自分を維持するコストを削減することにより、組織に売却する時間を減らすことができます。すると、組織に属しているが故に生じる、世間との接点も、減少するのです。
「相変わらず、わかりにくい論理だどな」
ええい、まったくもう。住んでいる家の近所に住む人々、これも確かに世間ですし、私生活での友人というのも世間には変わりありません。ただ、生活を営む上でもっとも巨大な世間というのは、その生活を支えるためのお金を稼ぐために属している組織だってことですよ。
「自営業者はどうなるの」
取引先という、立派な世間があります。
「う〜ん、まあ、そうしておくとすっか」
なにも、いきなり貧乏生活を始めるといって意気込む必要はありません。ゆっくりと、少しずつ、虚飾を取り去っていけば、かなりのコストダウンになるはずですから。
「みんなと一緒に飲みに行かないと、昇格にも影響するって話だけれど」
そんなのは、中庸精神の愚劣さを象徴する好例にしかなりません。給料なんかあがらなくたって、生活できれば十分でしょう。組織のために生きているわけではないんですし、組織がなければ生きていけないような人間は、世間という中で転がり落ちていけばよいだけの話です。
「会長、友達少ない理由はそういう所がいけないんだな」
ふん。私の目標は友達マイナス100人計画の達成ですよ。この程度で終わる私ではありません。
さて、自分のコストを削減し、売却時間を減らすことで、世間との接点も少なくなります。世間との関わりが薄くなれば、さらに自分のコストを削減でき、この3つをループさせることで、時間を得るための貧乏生活は磨かれていきます。
「赤いポロシャツを着てハイサンキューなんて言ってる会長には言われたくないって、どのくらいの人が思ってるだろうね」
いちいち、私のアルバイト先の話題に触れんでもよい。
「だって、もう1年もやってるじゃない、ハイサンキュー」
仕方がないでしょう。私だって、他に収入を得る手段が未だに芽生えないのですから。
「才能の問題だな、きっと」
人が悩んでいる問題に君がえぐり込んでくると、本当に腹が立ちますね。まあ、ここは冷静に話を続けましょう。貧乏生活によって得られた時間は、自分のために使う。夢の実現でも、何でもかまいませんが、これが自分の価値を高めることに繋がります。
「下手な写真を撮り続けること」
ええい、本当のことだけに癪にさわりまくるのですよ、君は! まったく、こんな調子で大学生になられた日には、日本の未来は……。
「どうしたの」
……シゲ君のような若者が増えれば、ちっとはマシになるかも……。あ〜。まあ、いい。自分の価値を高めるというのは、すなわち、遊びを見つけることです。あ、くだらない遊びのことではありませんよ。
「お台場に行ったり、カラオケに行ったり」
それじゃ、石下の女子高生です。遊びというのは、遊という学問なのです。つまり、発見のない遊びなど、浪費でしかありません。
「お金を使うことで、楽しませて貰うことではない、と」
なかなか的確なコメントですね。何かを発見し、何かを創造できること。有形無形は問いませんけれど、そういった遊びこそが、自分を高める究極の行為だと、私などは考えているのです。
「喫茶店で辞書片手に消しゴムかすを散らかすことも、遊びなのけ」
人がどう考えようと、そんなものは関係ありません。世間体なんてもののために個を没させるなど、私にはできませんから。
「カメラ片手に泥の中に寝っころがるのも」
そうやって、私の生活をあからさまにするつもりですか。
「タダ酒に酔っぱらって喧嘩を売るとか」
出来損ないのマニュアルに縛られ、マスに操られ、自分を見失っていることにすら気付かぬまま、中庸の精神で生活を維持しようと借金を重ねて貧困へと転がり落ちるか、自らの意志によって、発見を求め自分を高めるために貧乏に降りていくか。
「人の話を流してるし」
どちらを選択するも、個人の意志です。この物語によって、なんらかに気がついた人でも、だからといって行動に移せるかと言えば、そんなことはないでしょうけれど、気がつかずに転落するよりは、マシなのかもしれないですね。
「お、無理にまとめに入ろうとしてる」
世間にあって、政治に責任を押しつけながら貧困に転落していくか。
自分の行動に自ら責任を持って、貧乏に降りていくか。
この選択の責任を放棄すれば、必然的に前者となります。選択をすれば、前者にも、後者にもなれます。あるいは、私などには考えつかない道も、自分の意志で進むことができるでしょうけれど、それは、この『新・貧乏物語』とは別の物語。その人自身がつくっていく物語です。
こうして、この物語は終了します。でも、私たち、いや、私の貧乏物語は、これからも続いていくのですよ。
「一生、売れそうにないものな」
ええい、最後まで失礼な高校生ですね、君。もう一度、鬼怒川でも流れてみますか。
『ドンドンドン』
おや、こんな時間に我が家を訪ねてくるなんて、誰でしょうね。
『いやどもだっけや』
これはこれは、シゲ君のお父さんではありませんか。
『をう。さあシゲ、始めるぞ』
「そだな」
え、いったい何が始まるのですか。ん、なんですか、その筵とロープは。え、そろそろ寒くなったから、鬼怒川と言わずに小貝川でも下ってみないかですって。いや、私はそんな趣味は持ち合わせては……あ、やめてください、やめなさい! うわ〜、モゴモゴ。
「もしかしたら福岡大堰で助かるかも知れないし」
『桜の名所で死ねるなら、本望だっぺな』
モゴモゴ、モゴぉ〜
「会長は、二度と帰ってこないかもしれないよ」
第3章 完
第3部 完
新・貧乏物語 完
文責:全日本貧乏協議会会長 川上卓也