コンビニエンスストア。便利なお店という意味らしいです。みんなから、コンビニって呼ばれています。親しみが込められているのかも知れません。昔のコンビニは、朝7時から夜11時まで営業しているだけでも便利だと言われていたのに、いつの間にか24時間365日の営業が当たり前になりました。それは、もっと便利になったということでしょうか。今や、私の街・石下町でもコンビニがいっぱいあります。私の街の人口は約25,000人ですけれど、すでに10件以上のコンビニがあります。ほとんどが、24時間365日営業です。
コンビニで扱われている商品は、本当にいろいろです。弁当をはじめとする食料品、生活雑貨、雑誌、テレビゲームソフト、その他。これらの商品を、いつでも買えることが便利だって思われているからこそ、コンビニがここまで発展したのでしょう。日本全国で増え続けているのだから、そういうことなのでしょう。
私は貧乏なので、いくらみんなが便利だと思っているから発展しているコンビニでも、気軽に利用することはできません。なぜかというと、お金がないからです。コンビニは、24時間365日というサービスを提供してくれる代わりに、定価で物を売っています。定価というのは、その商品の一番高い値段です。富士山の缶ビールとか、売れっ子アイドルが無名だった頃のあらまあ!的グラビアなどの例を除けば、一番高い値段が定価です。それでは、貧乏でお金のない私には利用できません。
みんなが便利だといって利用しているコンビニを、貧乏な私にも利用する手だてはないのか。今月の特集は、『私とコンビニ』と題して、私にもできるコンビニの利用を考えてみました。
物は買えるのでしょうか。
コンビニでよく売れる商品といえば、どうやら弁当のようです。コンビニ弁当は、1日に3回お店に届くそうですから、いつ行ってもお弁当が置いてあります。24時間365日、コンビニにお金さえ持っていけば、ペコペコのお腹をいっぱいにできます。
家でお米を炊いて食べると、洗い物まで含めれば1時間かかります。お米を炊かずに簡単に済ませても、15分くらい。コンビニで弁当を買って食べることにすると、買い物は5分もあれば十分に弁当選びができるし、レジを済ませることもできます。業務用の強力な電子レンジであったかくしてもらった弁当は、5分もあれば食べ終わります。洗い物は必要ありません。容器をゴミ箱に押し込めば、終わりです。わざわざ、弁当を買うためだけにコンビニに出かけたとしても、15分ほどで全てが終わります。都会に住んでいる人なら、もっと短いかも知れません。
コンビニ弁当は、安いものだと400円以内。だいたい、500円前後というのが今の主流だって、テレビでやっていました。私は貧乏なので、400円の弁当を利用するとした場合、生活を支えてくれているアルバイトの時給が770円ですから、約0.52時間。31分12秒を1回の弁当に使うことになります。
コンビニ弁当で食事を済ませた場合の15分に、弁当代を稼ぐためのアルバイト時間31分12秒をたしても、46分12秒です。これは自炊の1時間よりも優れていると錯覚するかも知れませんが、自炊していると、料理が上手になります。400円のコンビニ弁当は量が少ないですけれど、自炊なら安い材料でも量だけはいっぱい作れるので、お腹をいっぱいにできます。電子レンジで暖められた御飯よりは、土鍋で炊いた御飯の方が、食欲以外のものまで満たされている気がするのです。
コンビニ弁当を買うためにアルバイトを31分12秒するよりは、400円の半分以下のコストで自炊する1時間の方が、自分の時間を有効に使っているのではないかと、私は考えることにしました。
コンビニ弁当は、買えないことに決定しました。
私は、各種料金を銀行口座から引き落とされるのが好きではありません。できるだけ、支払票を持っていって自分で支払うことにしています。引き落とし日に絶対に引き落とされてしまう口座振替では、どうしようもなくお金がないとき、支払を延ばすことができません。やろうと思えば、口座からお金を全部、一時的に引き出しておくことで支払を延ばせますが、それも面倒ですし、手元に全財産(と言っても僅かですが)を置いておくのも心配です。
現在、東日本電信電話株式会社と東京電力株式会社の料金を、支払票で支払っています。これらの料金は、銀行、郵便局の他、コンビニでも支払うことができます。銀行や郵便局の窓口は、時間が限られています。私は、昼間寝て、夜起きる生活が好きなので、銀行や郵便局がやっている時間にはいけないことが多いですから、いちばん利用しやすいのが、24時間365日、いつでも支払のできるコンビニということになります。
コンビニで支払っても、特別に手数料を取られるわけではありません。夜中でも、明け方でも、支払票に記載された金額を置いてくるだけで済みます。生活が不規則な私にとって、これはとても助かります。
食事時を避ければ、コンビニのレジは空いています。時間帯を選べば、金融機関のように待たされることはありません。便利だなと感じます。ああ、コンビニって便利だったのですね。この便利なサービスの恩恵にあずかれるのも、お金を持っている人たちがコンビニの商品を買ってくれているからこそだと思うと、感謝せずにはいられません。
コンビニで弁当を買うお金のある人たちに、感謝します。
夜中に風呂へ入ろうとしたとき、ふと石鹸を切らしていることを思い出す。貰い忘れたのだ……。こんなときでもコンビニならば、24時間365日のサービスで、石鹸だけでなく、ボディーソープ、石鹸、洗顔なんちゃらでもなんでも揃えてくれています。ティッシュだって、シャープペンシルの芯だって、プリンタのインクでさえも、並べられています。24時間365日、コンビニは商品をいっぱい用意してくれていて、蛍光灯でまぶしく光っています。
お金さえあるならば、風呂には石鹸がつきものだというので財布を握りしめ、コンビニへ行くこともできます。でも、私は貧乏でお金がないので、それができません。コンビニで、定価で物を買えるほど裕福じゃないのです。ディスカウントストアの特売を聞きつけ、財布の中身と相談しながらまとめ買いをすることが精一杯なのです。
最近では、コンビニでもプライベート商品という自社開発の商品を、スーパーより安い価格で売っている場合もあります。でも、コンビニのプライベート商品よりもディスカウントストアの特売の方が安いので、やっぱり私にはコンビニの石鹸は買えません。
夜中、どうしても石鹸がなければ、タオルで汗を洗い流すだけでも1日くらい問題はありません。ティッシュだって、トイレのちり紙でも車の中に放り込んであるガソリンスタンドでもらったポケットティッシュでも、探せばなんとかなります。手ぬぐいで鼻をかんでも、洗えば問題ありません。そう考えれば、コンビニで売られている生活雑貨をどうしても夜中に購入する必要は、私にはありません。
コンビニの生活雑貨は、買えないことに決定しました。
私は、水洗トイレが大好きです。水洗トイレファンです。しかし残念なことに、私の住んでいるボロアパートは汲み取り式。水洗トイレを求めて、大きな用事は外出先で済ませることがほとんどというくらい、徹底した水洗トイレファンです。
最近のコンビニは、気軽に利用してくださいという雰囲気のトイレが多いのが嬉しいです。昔は、掃除用具置き場の片隅に汚い便所が申し訳程度にあるだけで、店の人に断って「関係者以外立入禁止」なんてドアを開けて入ったものですけれど、最近はトイレすらもサービスに取り入れられているおかげで、最初から来店者が使うことを意識した作りになっています。
コンビニで働く人は、トイレの掃除も大切な仕事のひとつです。トイレの壁に掛けられた掃除当番表には、日付、掃除した場所、掃除した人の名前が書いてあります。洋式・和式は場所によって違いますけれど、手洗い場には石鹸が置いてあるところが多いし、エアタオルかペーパータオルが設置されている場合も多いです。エアタオルだと顔が拭けないので、できればペーパータオルにして欲しいです。
決してゆっくりできるトイレではありませんけれど、お腹の調子が悪いときには嬉しいです。車で走っていても、お腹の限界が訪れるまでには、次のコンビニがあります。パチンコ店のトイレよりも、過ごしやすいのではないでしょうか。パチンコ店との決定的な違いは、24時間365日、いつでも利用できるという便利さです。ああ、コンビニって便利だったのですね。清潔なトイレをいつでも利用できるのは、お金を持っている人たちがコンビニの商品を買ってくれているからこそだと思うと、感謝せずにはいられません。
コンビニで生活雑貨を買うお金のある人たちに、感謝します。
最近では、コンビニに情報端末が置いてあって、チケットの予約や購入ができてしまいます。一度だけ、写真展の前売り券を購入したことがあり、200円だけ安かったので助かったことがありました。
しかし、私は貧乏なので、頻繁に入場料の必要なところへ行くことはできません。飛行機には一度も乗ったことが無いし、移動手段は車だけです。高速道路なんて、使えません。写真展が頻繁に行われている東京は、駐車場が有料なのであまり行けません。車よりも電車の方が安いというのは都会の話です。私の街・石下町を走る関東鉄道は車よりも遅く、ガソリン代よりも料金が高いです。厳密に言うと、ディーゼルで走っているので、電車ではありません。日本で2番目に料金の高い路線らしいです。
せっかくお金を持っている人たちがコンビニの商品を買ってくれているからこそ実現した情報端末の設置も、その恩恵にはあまり与れないでいます。閲覧は無料ですけれど、そこに表示されるものは商品ですから、手に入れるにはお金がいります。
前売り券というのもくせ者です。当日券よりもいくらか安く購入できますから、いっけん貧乏な私にはぴったりだと思われるかも知れません。でも、もしその催し物に行くことができなかったら、大切なお金が期限の過ぎたチケットという、紙くずになってしまうのです。前売り券の購入には、何が何でも朝には起きるという固い意志と綿密なるスケジュール調整が必要なのです。
コンビニの情報端末、私はあまり利用することはないと思います。
コンビニは、お金を使わせようと必死にサービスを展開しています。お金を使わせるのに選ばれたのは、商品の売価を下げることではなく、24時間365日、いつでも利用できるというサービスによるものです。このサービスが人々に受け入れられ、お金のある人は、コンビニで定価の商品を数多く買っていきます。
コンビニは、豊富な商品陳列で客を待ちます。一度、足を踏み入れると、ついつい変なものを手にしてしまい、いつの間にかかごを持っていたりするのでしょう。こうして、なにか1つ、100円のものを買いに行った人は、欲しいはずではなかったものを定価で購入してコンビニを後にするのでしょう。ああ、思えば昔のコンビニにはかごなんてありませんでした。かごの出現というのは、コンビニの繁栄を象徴しているのかも知れません。コンビニの商品陳列は、「ついでに」が計算されています。なにをどこに置けばついでに買って貰えるか、彼らは日夜、探っています。
しかし、冷静に考えれば、必要のないものは必要ないと判断できるはずです。よそで買うべきものはよそで買うと判断できるはずです。私は考えてみた結果、コンビニで商品を購入することはできないという結論を出しました。
この結論は、多くの貧乏人に共通するのではないでしょうか。貧乏人は、できるだけ金を使ってはいけません。乏しいのですから。ならば、金を使う場合であっても、最小限にとどめる必要があります。コンビニは、決して最小限ではありません。24時間365日という手間を売るコンビニは、自分の手間をかけることでお金を使わないようにする貧乏とは、相反するものではないでしょうか。
私にとってのコンビニは、大きくて蛍光灯のまぶしい水洗トイレです。