その子どもは、名前をきのこちゃんといいました。
きのこちゃんは歩きながら、野原のまん中の小さなおうちに一人で暮らしていること、たまにこうして森へあそびにくること、そして今日は森のずっとおくにある大きな湖まで行ってきたのだと話してくれました。
「このもりのおくのおくのおくにね、とってもきれいでおおきなみずうみがあるの。そのみずうみにうかんでるはっぱのうえでね、ひとりぼっちのおんなのこにあったの。それでね、なんでひとりではっぱのうえにいるの?ってきいたら、きょうはおてんきだからだって。
そのこはね、かぜがみずうみをきらきらさせるのとか、とりのうたごえとか、きれいなものにきづくのがとってもじょうずでね、きれいなものにかんどうすると、なみだがでるんだって。それでこれ、このたくさんのたまは、そのこのなみだのしずくなの。あんまりきれいだから、このしずくをずーっとみていたいっていったら、くれるっていうんだよ。こんなにたくさん!」
ココちゃんは何が何やらわからない不思議と、おどろきでいっぱいでした。でもこの不思議な子どもは何も気にしていない様子ではじめて会ったココちゃんにひとなつっこく、でもていねいに、いろんなことを話してくれて、そしてとても幸せそうに、ずっとニコニコしていました。ココちゃんは不思議に思う気持ちもわすれて、きのこちゃんのおうちにつくまでおしゃべりを楽しんでいました。
きのこちゃんのおうちは、きのこちゃんにそっくりの赤い三角屋根をしていました。ココちゃんが入るにはちょっと小さすぎるそのおうちは、まるで小人の住む家で、窓から中をのぞくとテーブルの上に野の花がちょこんとかざられていました。それから、そこかしこに小さなぬいぐるみや、ししゅうの絵などがかざられ、おくに小さな台所、そして生活に必要なものが、おぎょうぎよく並んでいました。
ココちゃんは、もうそろそろマラソンコースへもどらなければいけない時間です。でも、さようならをするのがなんだかさみしくて、いっしょに運んだなみだのしずくを、ふと手にとってみました。
湖にうかぶ葉っぱに住む女の子?
なんだか信じられないことだけど、きのこちゃんがうれしそうに話してくれたその女の子がほんとうにいるんだって信じてる方が楽しいじゃない!そう思ったときです。コロコロと手のひらの上で転がしていたなみだのしずくがシュー……っと静かに散り、そしてそのはじけた粉は、ふわーっとただよって、ココちゃんの胸のあたりから体の中へ、すーっと消えていきました。
「えっ、今のは、何?」
もう一度、今おきたことを思い出してみました。
たしかに、ついさっきまで、私の手のひらの上に、あのなみだのしずくがあって、コロコロ転がしていたらシューっと粉ごなに散って、私の体の中に入っていった?
ココちゃんは、きのこちゃんに今見たできごとを話しました。こんな不思議なこと、だれに話したって信じてもらえないだろうけど、きのこちゃんならきっと信じてくれると思いました。
「それはきっと、なみだのしずくがココちゃんのこと、すきだったんじゃない?」
きのこちゃんは目をキラキラさせながら、そういいました。そしてきのこちゃんも、手のひらの上でなみだのしずくをコロコロ転がしてみました。すると、やっぱり同じことがおきたのです。手のひらの上でシューっと静かにはじけて、そしてすーっときのこちゃんの胸のあたりから、体の中へ消えていきました。
「あれれ?」きのこちゃんは目の前の景色にくぎづけになりました。「おにわがとってもきれいにみえるようになったよ。」
きのこちゃんのいう通りでした。なみだのしずくがはじけて、体の中へとけていったとたん、目の前の景色がとてもうつくしく見えるようになったのです。
空に向かって、まっすぐせのびしている白やピンクや黄色の花たちは、おどるように風にゆれ、まるでおしゃべりを楽しんでクスクスわらっているように見えます。そのまわりをかこむ草は、お日さまにてらされて緑や金色にかがやきながら、気持ちよさそうにサワサワと音をたてています、大空の深い水色は、こころの中のかなしい気持ちや、さみしい気持ち、くやしい気持ちを、ぜんぶすいこんでくれるようでした。遠くに見える森の緑も、おうちのそばにかくれるようにこっそりさいている小さなお花も、たえまなく聞こえてくる小鳥たちのさえずりも、何もかも、その自然がつくりだす色、音、かおりのうつくしさと、優しさに、二人はとても感動していました。
「いつもこんなにちかくにいたのに、とってもなかよくしていたのに、こんなにきれいだと、きづかなかったなんて……。」
きのこちゃんは、その景色のすばらしさにこころをうばわれていました。そして、この大好きなお庭とこれからもずっといっしょにいられることに、深く、深く感謝しました。
五章
次の日曜日、ココちゃんはまた、きのこちゃんのおうちにあそびにきました。きのこちゃんがランチにしょうたいしてくれたのです。
おうちにつくと、きのこちゃんはちょうどお庭のお花たちと日なたぼっこをしているところでした。
「おはよう」
足音に気づいてこちらをふりむいたきのこちゃんに、ココちゃんはあいさつをしました。
「あ!ココちゃんだ!おはよう」
二人は笑顔になりました。
きのこちゃんはパタパタとよく動きまわり、てぎわよく、お昼ごはんのしたくをしてくれました。
「きょうのおにぎりは、ひじきとにんじんのまぜごはんです。あと、おひたしと、にもの。それからこっちは、やまのおやさいのおみそです。おまめは、あまくあじつけしてます。」
次つぎに、おかずが並びます。青空の下で、ごうかなピクニックがはじまりました。
そのおにぎりはとびきりおいしいおにぎりでした。野菜のおかずやおつゆも、素材の味が生きていてとってもおいしい!食べ終えたココちゃんがお礼をいうと、きのこちゃんはなみだのしずくをいっしょに運んでくれたお礼だといいました。ココちゃんは、なんだか、とてもあたたかい気持ちになりました。
お昼ごはんのあと、二人は森のおくの湖へお出かけすることにしました。なみだのしずくのララちゃんに会いに行きたくなったのです。
二人は深い緑の音やかおりを楽しみながら、どんどん森のおくへおくへと進んでいきました。ここはきのこちゃんのお庭とちがってしっとりとすずしく、たくさんの動物たちの鳴き声や小川のせせらぎも聞こえます。
ココちゃんはきのこちゃんにつづいて、もくもくと歩きつづけました。森の中を歩いていると、なんだかこころの中がきれいにおそうじされていくような気分でした。あふれるうつくしい自然を見て、感じて、何ともぜいたくだと思いました。お金をたくさんつかうことを”ぜいたく”と考えていたけれど、そんなのは人間がつくったちっぽけなもので、何百年、何千年もかけてつくられた自然をそのまま体感する方が、よっぽどぜいたくでありがたいことだと思いました。
お日さまが、かたむきはじめたころ、ようやく湖にたどり着きました。湖はお日さまをあびてずーっと遠くまでキラキラとかがやいています。
そこには、だれもいませんでした。ココちゃんは人間が住む世界をはなれて、ずいぶんと遠くに来たような気持ちになりました。きのこちゃんを見ると、じっと湖を見わたしていました。その小さなひとみにキラキラかがやく湖を映し、白い体に映えて、まるで湖のようせいのようでした。
「あ!」きのこちゃんの目が湖の一点にとまりました。「ララちゃんだ!」
ララちゃんはきのこちゃんとちがって、あまりおしゃべりをしない大人しい女の子でした。きのこちゃんのおしゃべりに、ときどき笑顔を見せましたが、ずっとうつむきかげんで、はじめて会うココちゃんを見ることすらできませんでした。
「ララちゃんのなみだのしずく、私もいくつかもらったんだよ。とてもきれいで、お部屋にあるとうれしいんだ。」
ココちゃんがそう話しかけても、ララちゃんは返事に困った様子で、葉っぱの上でかくれる場所をさがしているように見えました。
会いにきてはいけなかったのかなと、ココちゃんは思いました。ララちゃんはとても人見知りで、きのこちゃんのようにひとなつっこく、いつもニコニコしている女の子なら仲よくできるのかもしれないけど、私が来たのはいやだったかしらと、心配になりました。
ララちゃんはずっとだまっていましたが、小さな声で、うつむきながら、こんなことをいいました。
「こんなの、どうせ、なくなってしまうんだよ。」
そういって、なみだのしずくを手にとりました。
「雪の季節になると、湖といっしょに氷になって、そして春になると、とけてなくなるんだ。だから、こんなもの、あってもどうにもならないんだよ。」
ララちゃんは少し顔をあげました。ココちゃんは、はじめてララちゃんの顔をまっすぐ見ることができました。その目は湖のように青くすんでいて、小さくスッと細い顔だちと、湖にとけていきそうな、やわらかい声がとてもきれいだなと思いました。
「なみだのしずくをきれいだっていってくれてありがとう。」ララちゃんはまたうつむいて、話をつづけました。「でもね、どうせ、いつかはなくなってしまうものなんだ。なんの役にも立たないんだよ。」
きのこちゃんはだまってララちゃんの話を聞いていましたが、表情がみるみる変わっていきました。
「そんな、かなしいこといわないで!いつかとけてなくなってしまうなら、わたしがぜんぶもってかえって、わたしのおうちでたいせつにするから!」
きのこちゃんの目にはなみだがうかんでいました。
「なんのやくにもたたないなんてことないよ!わたしはすきだもん!なみだのしずくのおかげで、おにわのおはなや、おそらがとってもきれいだって、きがついたんだもん!
ララちゃんにとっては、たいしたことじゃなくても、わたしにとってはおおきなことだったんだもん!だから、そんな、かなしいこといわないで!」
今にも泣き出しそうな声がこころにひびいて、ココちゃんもなみだがあふれそうになりました。
こんなにも、何かにけんめいになれる子がいるだろうか。きのこちゃんはだれにでも優しく、その子がかなしい気持ちでいるのを放っておけないんだと、ココちゃんは思いました。
「そうだ!ねぇ、いいこと思いついたよ!」そのとき、はずんだ声でココちゃんがいいました。「なみだのしずくをね、もっとたくさんの人にわけてあげたらどうかな?私のお父さんやお母さんやおばあちゃんにも。それから街へ行って、もっともっといろんな人にこのなみだのしずくを配ってさ、みーんながきれいなものに気がつくようになったらすてきだと思わない?」
ララちゃんは、まだうつむいています。
「こんなのもらったって、何にもならないよ。べつにいいんだよ。どうにかしようなんて、思わなくていいんだよ。」
それを見て、きのこちゃんはなみだをうかべていいました。
「わたしも、とおくにいるおともだちになみだのしずくをあげたい。ララちゃん、これはなんにもならないものなんかじゃない。
このせかいはとってもきれいだっておしえてくれる、まほうのたまだよ。」
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