おぞよもん暮らし
 とうとう来たかぁ……。先月、親の病気がわかったときの正直な感想だ。認知症の祖母を見送って2年目。あと5、6年くらいおだやかな猶予があると思っていたが、恋愛と親の病気は突然やってくるもの。そこからジェットコースターのように目まぐるしく状況が変わりつつあるが、そこそこ生きている。というか、頭真っ白、口から胃と心臓が半分くらい出そうだったりするが、とりあえず途中棄権せず、走りながら今後を模索している。

 最初はだいぶショックを受けて、ついつい周りの親戚や従兄弟たちと比べ、うちばかりが何やらしんどい思いをしているような気がしてしまっていた。が、そう考えるのはもうやめた。ようよう考えたら、いいこともたくさん見出せるからだ。例えば、病気がわかるタイミングが全く身動きがとれない時期じゃなくてよかったこと。インターネットが普及していたおかげで、主治医になってくれる先生と最速でコンタクトをとってもらえたこと。すぐに治療に入れたこと。顔も知らない私の相談に、親切にのってくださる方がいること。そして、同じく顔も知らない私の、このエッセイを掲載してくださる全日本貧乏協議会会長がいて、読んでくださる方もいること。同居人を始め、他愛ない話でもりあがれる友達がいること。と、書いてみると、人生から逃げずにいられるのは、たくさんの人たちに支えられているからだとつくづく思う。

 子どもも持ち家もなく、貯金も資格取得などで割と使い果たして三十路も半ば。親元を離れてから今まで、ずっとミニマムな生活を送っているが、そのおかげでどんな状況でも手離してはいけないものがあることに気がついた。それは、自分とできればあともう1〜2人くらい賄える仕事と、私の人生をいろんな形で支えてくれている大切な人たちの手。
 とりあえずこれさえ守っていれば、だいたいどうにかこうにか、ぶれずに生きていけるような気がしている。様々な事情や突発事態で足元をすくわれ、ふわふわと空中分解しそうな自分もいるけれど、大切な人たちとの手を離さず、仕事もボチボチ続けていれば、たとえ分解してもまた作り直せるし、まずは深呼吸して地面に足をつけられるように思う今日この頃だ。そして、手をつないでいる誰かがふわふわと危うくなってきたら、今度は私が手をしっかりとつなげたらいいなとも思っている。

 私生活の信条は『死なへんこと、人にどえらい迷惑かけへんこと』だけの私にとって、緻密なスケジューリングや人生設計は最も苦手とするところ。本当は内面だけでもキリッと、シンプルに真っ直ぐ生きたいものだが、全くそうはいかないのが現実。大きな問題が起こると、ごごぉーんとへこみ、一時的に機能停止、口から泡を出してもがいている。ただ、もがき続けられる気力や忍耐力もない。なので、未来のことは全然わからへんけど、とりあえず走ってみましょうといった感じで、今に至っている。その姿は時として、周りが見えてなかったり、涙と鼻水で顔がベショベショ、グダグダすぎて自分でも嫌気がさしたりする。でも、そこに自分の意思がある限り、ふりかえったときに笑えるだろうし、これからの希望につながるはずと信じている。
 地味でも不器用でも、自分の人生をあきらめず、自分なりに引き受けている人は、どこかきらっとしたものを感じたりする。リアルな自分や目の前の問題から逃げないこと、大切にすべきものを見据えておくことが、難しいけれど、これからの人生から逃げずにいるために必要なのかもしれない。

筆者紹介:今井うさ
1979年生まれ。衣笠山のふもとで過ごした学生時代から、始末の精神と清貧生活にめざめる。
現在も京都のかたすみで、下駄をつっかけ、自転車をのりまわしながら、つつましく生息中。

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今井うさ おぞよもん暮らし 耐乏PressJapan.
発行:全日本貧乏協議会
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