おぞよもん暮らし
ある日、患者さんから、こんなことを教えてもらった。
「うちのお母さんの教えですけどな。どんなに仲ええ人と人との間にも、越えられへん川があるんや。そこを無理して越えよう思わんことや。でも、その川には、いつ何時でも渡れるように、橋をかけとく。橋は何かって?あまりうまく言えへんけどなぁ、毎日の挨拶みたいなもんやろか。他愛ないことなんやけどな、それがあるのんとないのんとでは全然ちゃうさかい。」

最近、人の思いや感じ方はその人にしかわからないということを、改めて感じている。巷の本には共感とか傾聴とかあるが、忙しい日々の中ではその言葉だけが一人歩きしているようでならない。患者さんや、自分の家族・友人・同僚の言うことがちゃんと聴けているかと問われれば、全く自信がない。例えば、外傷でかなり痛がり、ああしてこうしてと頻繁にコールしていくる患者さん。ああまたか、もう痛み止めは上限まで使ってるやん、もう使えへんよと思いながらバタバタと病室へ。でも痛みは外傷だけではない。入院中仕事ができない焦り、お金や後遺症の心配、孤独の痛み……。果たしてそれを聴けているか?その人と私を隔てている川に自分から橋を渡そうとしているか? いやあ、できてないなぁというのが本音である。
患者さんに限らず、人付き合いは昔からさぼり症で、家族や友人に橋をかけてもらってばかりだ。「最近、大丈夫? 身体こわしてへん?」とメールをもらったり、いつの間にか冷蔵庫に好物のプリンが入っていたり。本当にありがたい。そして、つくづく周りの人たちの優しさに甘えていることを痛感する今日この頃だ。

そんなとき、ナースや同室の患者さん、家族からも慕われるおばあちゃんがいた。そのお人柄にほっとして、どうやって人付き合いをしてきはったのかを聴いてみたところ、先ほどの話があった訳である。
「なんやモノとかお金を使わはって、それでええように思うお人もおるけどな。橋も架けんと、モノ放られたかて、嫌やろ?まぁ、そんなん表に出さへんけど……。無理してどうこうせんでもええねんで。大切なんは、こ・こ。」と、にこっと笑い、胸をポン、ポン、と叩いた仕草に、私は破顔したと同時にどきりとさせられた。

人と人をつなぐのは、実はシンプルな思いや言葉だったりする。あんじょうしてやと声をかけたり、ものは言わなくても笑顔で会釈したり、ぽんと肩をたたいたりする何げない仕草。必要以上に立ち入らない。でも、いつも見てるよ、何かの時はいつでもどうぞというように気を向けていたいなと思う。越えられない川でも、思いを聴きたいな、伝えたいなと橋を架けることで、行き来ができるようになる。そこにいて当たり前という人はない。どの人もつなぎつながりあっているからこそ、そこにいてくれていると改めて思う。
手始めに、いつも荷物を送ってくれる実家に「ありがとう、最近どないしてる?」と電話をしてみよう。

筆者紹介:今井うさ
1979年生まれ。衣笠山のふもとで過ごした学生時代から、始末の精神と清貧生活にめざめる。
現在も京都のかたすみで、下駄をつっかけ、自転車をのりまわしながら、つつましく生息中。

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今井うさ おぞよもん暮らし 耐乏PressJapan.
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