おぞよもん暮らし
 朝、目覚ましを止めると同時に、全然起きていない頭でラジオの電源を入れる。低音で甘い声が心地よく耳になじんでくる。どんなに起きるのがつらい朝でも、ラジオを聴くことでエンジンがかかってくる。京都にはFM京都(α-STATION)というラジオ局がある。スイッチを入れれば、スタジオと私の家がラジオでつながる。DJさんがすぐそばで語りかけてくれているように思わせてくれる。
 コーヒーを飲みながら、各誌朝刊の内容と解説を耳で聴く。今日話題となっている政府や某電力会社の対応についても、上品ながらも大胆に切り取ってくれるので胸がすくわれる。慌しい朝のひと時をちょっと知的にそして和らげてくれる存在だ。天気予報では、スタジオから見える空の様子や温度が伝えられる。「今日の日中は、半袖でちょうどいいかもしれませんね」「夕方からはにわか雨が降りそうです。折りたたみ傘は入れていったほうがいいかもしれませんね」という声に、パーカーの下にTシャツを着、鞄に折りたたみ傘を放り込む。

 私のラジオデビューは小学校5年。映画「魔女の宅急便」にあこがれて、主人公の魔女が持つ赤いラジオがほしくなり、ようやく買ってもらったのは白いラジカセだった。最初はAM放送しか聴いていなかったのだが、いつしかFM放送を梯子するようになり、お気に入りの局ができると、ラジオをチューニングする数字のところにペンで印をつけていた。
 当時は葉書や封書でリクエストを送っていたのだが、次第にファックスに変わり、現在はEメールやインターネットが主流のようだ。時代が流れても、ラジオネームとおたよりが読まれ、リクエストがかかるときの喜びは変わらない。昔、葉書をポストに入れた次の週、リクエストがかかるのを心待ちにして、カセットに番組を録音していた。今は使う機器が変わっただけで、リクエストがかかったときの録音データは、私のお気に入りファイルに保存している。元気が出なかったり、落ち込んだり、ふとさみしくなったりしたときに聴き直すと、自然と笑顔になる。

 三十路を過ぎたいい歳をした大人なのに、しんと静まり返った部屋が苦手だ。音や人の存在がないと不安になってしまうときがあるので、家の真ん中にはいつもラジオがある。いつもの時間にいつものDJさんの番組が始まる。「いつも」ということが保障されない世の中だからこそ、当たり前のように、いつもの声が聴こえてくることは、ある種普遍的な安心感となって、日々の生活にぬくもりを添えてくれている。
 思いを届けてくれる人の声はあたたかい。夜が更けて原稿を書いている今、この時間にDJさんが生放送でおたよりを読み、リクエストをかけてくれる。ラジオを通じて伝わってくる人の声のぬくもりと、同じ時間を共にしている感覚が好きだ。15年前、受験や定期試験の勉強をしながら聴いていた番組を、今は私と同い年の2代目DJさんのMCで聴いている。スタジオを拠点にして、リクエストやメッセージが流れ星のように届けられる。人は、たくさんの人たちの思いの中で生きているんだろうなと思う今日この頃だ。

 誰かの声を聴いていたい、誰かの存在を感じていたい。人の心のどこかには、そんな思いが流れているような気がする。夕餉の時間、ちゃぶだいの上にはご飯と味噌汁とおかず、そしてあたたかな小さなラジオ。

筆者紹介:今井うさ
1979年生まれ。衣笠山のふもとで過ごした学生時代から、始末の精神と清貧生活にめざめる。
現在も京都のかたすみで、下駄をつっかけ、自転車をのりまわしながら、つつましく生息中。

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今井うさ おぞよもん暮らし 耐乏PressJapan.
発行:全日本貧乏協議会
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