おぞよもん暮らし
 原稿に何を書いていいのか、わからなかった。未曾有の大地震が起こり、新聞記事とラジオから入ってくる被災地の情報の横で、どんなふうに言葉を紡いだらいいのだろうと思った。日々一喜一憂できるということ、一日の出来事を語り夕餉を共にする家族がいること、そんな日常を意識して、大雑把過ぎの一日を丁寧に送ろう。自分の持ち場で出来ることが、かなり間接的でも被災地のためになると信じよう。そんなことを思いながら、日々を過ごしている。

 地震後、エコや節電が連呼されている。関西ではこの夏、ピーク時電力を抑えようと、数値根拠は示されないままの15%節電が呼びかけられている。暑さが増すにしたがい、蚊と同じくらいエコが飛び交いそうだ。確かにキャッチコピーとしてはわかりやすい。
 ただ、清く正しくなくても、貧乏生活を自分なりに謳歌している身にとっては、エコより我が貧乏道を精進したいところだ。お金や物がないと、いやでも頭と身体を使わざるを得ないが、それが快感になるのが貧乏道の醍醐味。いかに大切な人や夢を守り、生き抜いていくのか。自分の生き方や生きる術をどれだけ持つかが鍵だと思っている。巷のハウツーみたいにしゃれてはいないが、自分の貧乏観で物を言えたら素敵かもしれない。

 ふと、相方の親父さんが言っていたことを思い出した。
「わしらなんか昔、その日一日生きることで精一杯やった。何のために生きるかわからんっていう人もおるみたいやけど、生きるために生きる。それだけや。」

 親父さんは戦後、十六歳で満州から引き揚げて来た。命だけを持ち帰り、引揚者住宅から生活を始めた。生きるために、ただひたすら身体と頭を使って働き、家族を養ってきた。この人のがっしりとした骨格と筋張った手、長年にわたり刻まれたしわは、大きな古木みたいで今までの人生の鼓動が伝わってくる。どんな状況下でも、自らの身体と心で受け止めてきた矜持がある。

 朝、上がってきたお天道様を拝む。布団と友達でいたい朝が多いが、することがある1日がめぐってくるのはありがたいこと。お天道様に今日の無事をお願いする。
 夕方、買い物帰り、疎水沿いの夕焼け空を見上げる。なんだかんだあっても、いつもの道をいつもどおり帰ることができる。散歩中のハチ公みたいな犬ともいつもどおりすれちがう。暮色に染まる疎水縁に立ち止まり、いまこの時この場所に身を置ける自分に幸せを感じる。
 明日、何をしよう、何を食べようと思えることをかみしめつつ、自分と多くの人が生きるために、貧乏観を磨きつつ生きていきたいと思う。

筆者紹介:今井うさ
1979年生まれ。衣笠山のふもとで過ごした学生時代から、始末の精神と清貧生活にめざめる。
現在も京都のかたすみで、下駄をつっかけ、自転車をのりまわしながら、つつましく生息中。

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今井うさ おぞよもん暮らし 耐乏PressJapan.
発行:全日本貧乏協議会
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