おぞよもん暮らし
 秋の夜が少し苦手だ。日も目に見えて短くなるし、夕暮れ色は気持ちにじわりとにじんでくるような感じだからだ。特にぐうたら過ごした休みの夕方、明日からの1週間を考えると気うつになってくるときがある。にわかに焦りも出てきて、今更ながらなんて自分はなまけものなんだと布団の上でバタバタもがく。そのうち、力尽きて、またぐずぐずと寝てしまい、22時頃にぐずぐずと起きる。夕暮れ色をとうに通り越し、墨汁がにじみきった気持ちでシャワーを浴びるのが常なのだが、ふと銭湯に行こうと思い立った。秋の風を感じたからかもしれない。

 うちの近くには4、5軒の銭湯がある。風呂数が多い湯、鳥取の三朝温泉と同じ効用がある湯、かなり熱めの湯など個性的だ。共通点は古くからあること、番台のおばさんも銭湯の一部になっていい味を醸しだしていることだろうか。洗面器にタオルと石鹸、500円玉を入れ、サンダルばきのまま行ける気軽さがある。帰りは、ぬれた髪をタオルに包んだまま帰っても湯冷めしない距離だ。ただ、銭湯人口が少なくなってしまっていることもあり、値上がりの一途をたどっているのが気がかりである。私も風呂付きのアパートに住むようになってからは行く回数がぐっと減ってしまっている。

 10年前の銭湯の値段は350円だった。今は410円。湯に入って、コーヒー牛乳を飲んだらちょうどワンコインになる。当時の私は風呂・トイレなしのアパートに住んでおり、普段は階下のコインシャワーで済ませていたが、秋と冬の週末は銭湯に行くのが習慣だった。アパートから数十歩いったところの椿湯という銭湯で、そこの番台のおばちゃんと常連さんと言葉をかわすのが楽しみだった。田舎に帰省し、また京都に戻る日の朝、父親がカメラのフィルムケースを車のトランクからいくつか出してきて手渡してくれたの覚えている。中身は銭湯に通うための500円玉がつめてあった。昔の私も、秋と冬の休日の晩がとてつもなく苦手で、22時頃にぐずぐずと起きるのも変わらない。布団の中で寒さに縮こまりながら、にじんだ気持ちのままくよくよと悩み事をしては、余計にさみしさや不安感をつのらせていたような気がする。そんな私にとって、銭湯は温かい「おいでやす」と「おやすみやす」の言葉が聴けるところでもあった。そして500円玉は1万円札より幸せな気持ちをくれた。

 入ったとたんに湯気の暖かさに包まれて気分がほぐれていく。だいぶ涼しなったねぇとしゃべりながら、湯につかる。「あぁー」と声を出すと、全身に温かさが広がっていき、日常のあれこれがふわふわと飛んでいくような感じだ。何だかんだと不安はつきず、途方にくれるときもあるけれど、自分らしく細々とでも生きていられることがうれしくなる。
 丁寧に髪と体を洗う。余計なものを落とした素の自分を見て、まだまだ捨てたもんじゃないと思う。サウナでテレビを見ていると、体内から汗や老廃物がたくさん吹き出てくる。熱くなったら水風呂に行く。地下水を汲み上げていて、心地よい冷たさに体の感覚が一気によみがえってくるみたいだ。繰り返しているうちに体が軽くなっていくのがわかる。締めは露天風呂。ゆっくり全身をほぐしながら、思い切り贅沢をしている気分になる。

 ここ数年、ストレスがたまったら菓子類に逃避することが続いていた。帰りの電車で今日は何を買おうかと考え、駅前で100円分のおやつを買ってしまう。月曜から金曜までで500円。でもその500円を週末の贅沢に使おう。ついでに少しはやせてきれいになるかもしれないと目論む私であった。

筆者紹介:今井うさ
1979年生まれ。衣笠山のふもとで過ごした学生時代から、始末の精神と清貧生活にめざめる。
現在も京都のかたすみで、下駄をつっかけ、自転車をのりまわしながら、つつましく生息中。

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今井うさ おぞよもん暮らし 耐乏PressJapan.
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