おぞよもん暮らし
 この間の休日、久しぶりに外に出て、きれいな夕焼け空を見た。ここ数ヶ月は、家と職場を、自分の弁当しか運ばない伝書鳩のように往復し、家では「メシ」「フロ」「ネル」だけで終わる日々が続いている。休日は充電切れとなり、巣と化している布団で毛布にくるまり、合計22時間ほど冬眠している。
「伝書鳩よりただの鳩のほうが可愛げがある」、「寝てるだけなら、動物園のトドのほうが金になる」など、ろくな事しか言われてないのだが、外では一応人間らしく体を張っているつもりだ。ただ体力を使い果たして帰宅し、風呂上りに酒を飲んで酔っ払い、電熱器であぶった干物を食べてバタンキューしていたりするので、確実に「おっさん道」を邁進している。単なる飲んだくれという説もあるが、各なる上は究極のおっさんを目指したいところだ。

 ちなみに疲れた心と体を癒す特効薬は「うどん」である。
 私のとっておきのうどんは、昔、風邪で休んだとき、母親が作ってくれた鍋焼きうどんである。小さい土鍋の中のうどんがふわっと溶き卵で包まれ、葱や蒲鉾が入っていた。鍋肌が熱く、時折、唇がやけどしそうになりつつ、夢中になってすすっていた記憶がある。子どもの頃は、うどんが風邪薬より効いたのである。
 「おかあちゃん」というあだ名のベテラン職員さんと夜勤を組むと、一息つける3時頃に「うろん食べるか?」と声をかけてくれる。うどんではなく、「うろん」である。深夜に二人でつるつるすする
「うろん」は格別だ。アルミの入れ物に入った何てことないうどんなのだが、どことなく母親が作ってくれたうどんに通じていて、おだしが胃袋にしみわたり、朝まで乗り切れる元気がわいてくる。

 仕事帰りは、おっさんが赤提灯や屋台に吸い込まれるがごとく、駅前の立ち食いうどん屋にすい込まれ、かけうどんを「一杯」やって帰る。あのおだしのにおいが、五感を強烈に刺激し、気が付いたらのれんをくぐってしまう始末である。いつものおばちゃんに、「あぁ、おかえりぃ!」と言ってもらえるとほっとする。
 食券を渡し、待っている間、出来上がりまでの一連の流れを見るのが好きだ。今日は葱を多めに乗せてくれたらいいなぁと目線で願っていたりもする。出てきたうどん鉢を両手でかかえ、おだしの香りをいっぱい吸い込むと、気持ちがとても豊かになる。生きててよかったと思う。麺は細め、おだしは薄味であっさりしつつも、しっかり旨味があり、すすった後に少し甘味が残るのがよい。塩分が気になりつつも、全部飲まないと気がすまない身体になってしまった。

 私は駅前のうどん屋には滅法弱いたちで、小さい頃からどこか出るたびにかけうどんをすすっていた。昔は今より景気がよかったからか、カウンターに葱の瓶が置いてあり、葱うどんにすることができた。客が少ないと瓶をひっくり返し、いきなり葱をどかんと投入している強者もいた。最近は葱の瓶こそ見かけないが、安くてうまい立ち食いうどんの店はいくつか残っている。特に大阪の十三(じゅうそう)、京橋の駅前やガード下がお気に入りだ。

 最近の楽しみは食べ物ばかりだが、駅前の立ち食いうどん屋だけではなく、もっと道草できたらいいなぁと思う。幼い頃から道草常習犯だったのに、今や職場で完全燃焼、帰りの電車で燃料切れ、帰宅のエネルギー補給に駅前で一杯、家では燃えかす状態。物理的にも、精神的にも寄り道する余裕を作りたいものだ。どんなに忙しくても、ほっと空を見上げるひと時を大事にしたいと思う。あくせく働いているうちに季節が過ぎゆき、気が付いたら浦島太郎になっているのはもったいない。きれいな空を見て、いろんな道を歩き、おいしいものを食べて、たくさんの人と話をして、道草をくいながら三十路を歩いていきたい今日この頃である。

筆者紹介:今井うさ
1979年生まれ。衣笠山のふもとで過ごした学生時代から、始末の精神と清貧生活にめざめる。
現在も京都のかたすみで、下駄をつっかけ、自転車をのりまわしながら、つつましく生息中。

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今井うさ おぞよもん暮らし 耐乏PressJapan.
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