第一八回
ご飯と生きる。
平成二〇年二月一日
食べ物には目がない。周囲いわく「うささんは食べ物で簡単に誘拐される」らしい。そんな私の好物のひとつは、炊きたて、ほくほくのご飯で作った塩にぎりだ。口に入れると、少々の荒塩が米の甘みをひきたてつつ広がっていく。一粒ひとつぶがぴかぴかに光っているのを見るたび、あぁ日本人に生まれてよかったと心から思う。私を形づくるための原材料はモチモチとした丸っこいお米だといっても過言ではない。昼食はたいてい、ご飯二膳分を持っていくのだが、時間がなくおにぎりにできないときが多々ある。そんなときは白ご飯に塩だけかけていくため、「ご飯でご飯をたべてるなぁ」と言われてしまう。
特に新米のおいしさは格別だ。農家から玄米で仕入れ、食べるときに精米する。一粒がまるできれいな宝石のように光り、やさしい甘みがほっこりと口に広がっていく。最初は塩にぎりで食べ、二杯目、三杯目はその時々のご飯の友で食べるの習慣だ。昔はよく一汁一菜といったものだが、この新米に、汁物、お野菜に漬けもんがあれば、一日の疲れがふきとび、幸せな気分にしてくれる。そして、食べ終わると「ごちそうさまでした。今日もご飯が食べられました。ありがとうございました。」と自然と手を合わすのがうちの習慣だ。日々生活する中では浮き沈みがつきもので、ひどくめげている日もあるが、なんだかんだ言うても平和にご飯を食べて生きていられるのはとても幸せなことだと思うし、米と味噌は心と体の栄養源だとも思う。
今にもまして貧乏だった学生の頃、私はご飯と塩、醤油、かつおぶしで生きていた。一日二合炊き、朝に一膳、昼はおにぎり、夜は少々のかつおぶしを加えた水でのばして雑炊にと、ご飯三昧である。特に雑炊は茶碗一膳にもならないご飯が大きくふくらんでくれるので得したような気分になるし、一緒に入れたかつおぶしはいったん取り出し、醤油をかけて、熱々ごはんの上にのせると立派なおかずにもなってうれしかった。かつおぶしがなくなったら、塩か醤油をかけて食べていた。あるとき、実家から大量に葱を送ってもらったので、試しにと、葱をみじん切りにし、かつおぶしと醤油であえ、炊き立てのご飯にのせて食べてみた。これが本当においしく、ついつい食べ過ぎてしまうほどだ。手巻き寿司ふうに、海苔でまいて食べるのも絶品で、知り合いの間では手巻き寿司ではなく「手抜き寿司」として広まっている。
ご飯の友として他におすすめなのは納豆や絹ごし豆腐だ。納豆は常温でしばらく置いた後、まず右に五十回すばやくかき回し、次に左に五十回かき回す。そして、辛子と醤油少々を入れて、さらに五十回かきまわすと、卵なしでもふわふわで舌触りのよい納豆になる。これを少しずつ熱々のご飯の上に乗せて食べると、満足で思わず目を細めてしまう。絹ごし豆腐は水切りせず小鍋に入れてかるくつぶす。中まで火がとおったら、上からだし汁をかけて煮立て、片栗粉でとろみをつける。仕上げに刻み葱をちらし、炊き立てのご飯の上にのせてどんぶり風にする。体が温まり、おろし生姜も入れれば風邪のひき始めにはうってつけだ。ちなみにこれは冷蔵庫に豆腐と葱と調味料しかなかったときに思いついた。
たとえ、冷蔵庫にほんの限られた食材しかなくても、炊き立てのご飯さえあれば、その限られた食材を最大限に使って生きることができる。お腹を満たせば、眠くなり、そして明日への力がつく。力がついたら働けるし、知り合いも増える。そうすると、ご飯が食べられるし、知り合いのどなたかがおいしいもんをおすそわけしてくれるかもしれない。まずはご飯をお腹に入れること。それが全てのきっかけだと思うのは、食い意地がはっている証拠だろうか。
筆者紹介:今井うさ
1979年生まれ。衣笠山のふもとで過ごした学生時代から、始末の精神と清貧生活にめざめる。
現在も京都のかたすみで、下駄をつっかけ、自転車をのりまわしながら、つつましく生息中。
過去のおぞよもん
第一回
はじめに
第二回
はねもん。
第三回
お芋さんのつる。
第四回
芋するめ。
第五回
ひきだし。
第六回
底冷えと暮らす。
第七回
想いのある部屋。
第八回
うち旅。
第九回
初めての袴。
第一〇回
心のポケット。
第一一回
水回りの話。トイレ編。
第一二回
水まわりの話。お風呂編。
第一三回
水まわりの話。洗濯編。
第一四回
『料る。』
第一五回
「カゴの中身と幸せの種」
第一六回
食い意地。
第一七回
「品」のある人。
第一八回
ご飯と生きる。
第一九回
海辺の特等席
今井うさ おぞよもん暮らし 耐乏PressJapan.
発行:全日本貧乏協議会
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