おぞよもん暮らし
 仕事柄、電話を受けることが多い私。「書類の手続きがわからへん」「生活費があらへん」「介護保険ってなんや」「知人が行方不明ねん、どないしたらええやろか」・・・等など、とにかく多種多様である。忙しいとつい、早口で事務的な口調になってしまい、役所でもないのに"お役所的"になっていそうでヒヤリとする。

 そんなある日、職場の私あてに一通の葉書が届いた。青の万年筆書きでなかなかの達筆である。
「前略 電話でお願いしました用紙と手引をお送り頂き有難うございました。まずはお礼まで。」
しばらく文面を見つめて、あぁそういえば送ったなぁと思い出した。職場はよろづ相談屋みたいなもんで、情報提供は常日頃のこと。提供すれば電話口でお礼を言われるくらいで、ましてや、わざわざ手紙でお礼をいただくことなんて、まずないので驚いた。
 葉書に使われている青インクの万年筆の書き味を見ると、かなり年季が入っておられ、筆マメであることが伺える。疲れでささくれだっていた気持ちがじんわりとぬくたくなったと同時に、葉書を頂戴するほどの対応が出来ていただろうか…と思ったのだった。

 「ありがとう」。これは私にとって、日本語の中でいちばん素敵だと思う言葉であり、だいすきな言葉である。しかし最近は何かをしてもらっても、お礼は電話やメールで済ませてしまうことが多い。また、言おうと思っていても、用事にかまけて伸ばしのばしになってしまっている事もある。筆記具はそこらへんで拾ったボールペンだし、はずかしながら葉書も便箋も持っていない。この間などはめずらしく置手紙を書いたのだが、手元にある紙の中で裏が白いのは「健康診断のお知らせ」しかなかったので、そこに用件をしたためたところ「おまえ、この紙はないやろう(笑)」とつっこまれたばかりである。

 たとえ持ち物は「貧」でも、心は「貧」ではなく「品」を持っていたいもの。「ありがとう」に限らず、言葉そのものの持つ「おもみ」を大事に、そして丁寧に表現するのは、そのひとの心の持ちようだ。長くなくてもよい、伝えたい気持ちを新鮮な状態で、ぬくもりを持って伝えられる人になりたい。一通の葉書には、その人の心の奥ゆきが表れているようで、またひとつ、私のあこがれが増えたのだった。

筆者紹介:今井うさ
1979年生まれ。衣笠山のふもとで過ごした学生時代から、始末の精神と清貧生活にめざめる。
現在も京都のかたすみで、下駄をつっかけ、自転車をのりまわしながら、つつましく生息中。

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今井うさ おぞよもん暮らし 耐乏PressJapan.
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