第一六回
食い意地。
平成一九年九月一〇日
無類の食いしん坊である。といってもグルメには程遠く、食べ物への執着が人一倍強いといったほうがいいかもしれない。人が何かを食べていると途端に気になるし、「これ食べて」という言葉には非常に弱い。そして、食べ物はとことんまで食べつくさない気が済まない。
野菜を刻んでいると、おっちょこちょいな私の性格が災いし、かけらが流しに落ちてしまうことがある。排水溝に落ちてしまったらあきらめるが、流し部分であれば拾い、さっと洗って食べてしまう。もし私がその落ちたかけらだったとしたら、切ないだろうなと思うからだ。本来なら食べられるはずなのに、私のせいで、それだけが流しで朽ち果てるのは哀しい。
母親がよく言っていた。「落ちたもんを拾って食べたらあかんよ!」しかし、私の胃腸はもうある程度免疫がついているせいか、明らかに腐っているもの以外は大丈夫なようだ。
小学生の頃の話だ。当時、私は両親と団地に住んでいた。習い事に行く途中、踊り場の階段の手すりに、大きな、見るからに甘そうなみかんが乗っているのを見つけた。手にとり、誰が落としたのかと考えをめぐらす。落ちた物を拾って食べてはいけないという母の言葉を思い出し、いったん戻して階段を降りたものの、やっぱりあきらめきれない。私は戻り、みかんをかばんに入れ、習い事に行く道すがら食べてしまった。とても甘くておいしかったが、心の中でちょっとどこか苦い味がしたのを覚えている。
帰ると、母親に「ねぇ、手すりに大きなみかんがあったでしょ?」と聞かれた。階段に落ちていたので踊り場の手すりに置いたと言う。かなりどぎまぎしながら、なかば必死に「ううん、そんなん知らん!」と言い通したが、母親は私が食べたことをお見通しだったにちがいない。家族を窓から見送るのが習慣の母親は、私が階下に降りてくるのが遅いことに、そしてその理由に気がついていたはずだからだ。
ちなみに両親の名誉のために言えば、私は両親と一緒に暮らしている間、食べ物に困った事は一度もない。それどころか一人っ子の私は、かなり手をかけて育ててもらった。母親の作る何種類ものおかずが好きで、ご飯はあまり好きではないという、いけすかない軟弱物であり、手作りのアップルパイやみかんの寒天、スイートポテトといったおやつも、独り占めできる身分であった。にもかかわらず、落し物のみかんを食べてしまったのは、私が単純に食い意地がはっていただけにすぎない。
三つ子の魂、百まで。最近、私の基盤は「食い意地」なんだと開き直ることにしている。
幸運なことに、人に何かをご馳走してもらう機会に恵まれる事がある。そういう時は相手の方にあまり負担をかけず、かつ、そこそこ満足感も得られる「無難」な線でいく。例えば、麺の出前をご馳走されるとしたら、卵とじうどん。かけうどんでもなく、鍋焼きうどんでもない。本当は具だくさんの鍋焼きを頼みたいし、鍋焼きでなければ、ご飯ものがほしいが、それを言うのはあつかましい。落ち着いてお品書きを見ながらも、食い意地をめまぐるしく働かせているのである。しかし、相手の方も心得ておられるのか、以下のように言って下さるのである。
「まぁ、そんなもん頼まんと、もっとええのん頼みよし」
「いえいえ、十分です、お気持ちありがとうございます」
「もっと食べられるやろし、栄養つけなあかんえ、ご飯もんもどうえ?」
「いやぁ、そんなん恐縮ですわ〜。」
「ええよ、ええよ、ほな、親子どんぶりとおうどんのセットにしよし、食べられるやろ?」
「はい、ほな、お言葉に甘えさせてもらいます、ありがとうございます」
心のどこかでこんなやりとりを期待していた自分のあさましさにあきれたりもするのだが、注文の電話でうれしそうに「親子どんぶりのセットをお願いします!」と言ってしまっているのである。が、世の中はそんなに甘くはない。「ウチでは、ご飯ものの出前はしてへんのですわ」という店員の言葉に撃墜し、「では…卵とじで…」と尻すぼみのように電話を切ったこともある。
先日、職場の人からたくさんのジャガイモ、また別の人からはパンを頂戴した。「うささんなら食べてくれると思って」とおっしゃる。実家の母からは野菜を始めとした食糧が送られてくる。食い意地も迷惑にならない程度に、明るく発揮するのはいいかもしれない。
以前、職場のえらいさんにご馳走になったとき、こんなことを言われた。
「今井さんは、何でも本当においしそうに食べるねぇ。」
食べ物は端の端までおいしく食べきること、くださった人においしかったと心からお礼を言うことも食い意地の中には入っていると思うのだ。
筆者紹介:今井うさ
1979年生まれ。衣笠山のふもとで過ごした学生時代から、始末の精神と清貧生活にめざめる。
現在も京都のかたすみで、下駄をつっかけ、自転車をのりまわしながら、つつましく生息中。
過去のおぞよもん
第一回
はじめに
第二回
はねもん。
第三回
お芋さんのつる。
第四回
芋するめ。
第五回
ひきだし。
第六回
底冷えと暮らす。
第七回
想いのある部屋。
第八回
うち旅。
第九回
初めての袴。
第一〇回
心のポケット。
第一一回
水回りの話。トイレ編。
第一二回
水まわりの話。お風呂編。
第一三回
水まわりの話。洗濯編。
第一四回
『料る。』
第一五回
「カゴの中身と幸せの種」
第一六回
食い意地。
第一七回
「品」のある人。
第一八回
ご飯と生きる。
第一九回
海辺の特等席
第二〇回
深夜のファミレスにて
第二一回
根っこの食べ物。
第二二回
道草。
第二三回
ワンコインの贅沢。
第二四回
真夜中のホットケーキ。
第二五回
癒しの化粧。
第二六回
エンゲル係数。
第二七回
最近の思い。
第二八回
ラジオな日々。
第二九回
夏過ぎて。
第三〇回
小さな暮らし。
第三一回
言葉の架け橋。
第三二回
旅に出てみた。その1
第三三回
旅に出てみた。その2
第三四回
30代自称乙女のお化粧事情。
第三五回
そぞろ歩きへのいざない。
第三六回
祇園祭と夏の訪れ。
第三七回
清貧生活から見えてきたもの。
今井うさ おぞよもん暮らし 耐乏PressJapan.
発行:全日本貧乏協議会
COPYRIGHT © Takuya Kawakami. ALL RIGHTS RESERVED.
掲載されている写真・文章等の無断転載は硬くお断り致します
takuya.kawakami
@gmail.com