第一三回
水まわりの話。洗濯編。
平成一八年五月二一日
普段はシャワーだが、週一・二回の風呂日は洗濯日もかねている。うちには洗濯機がない。風呂で、セレブな気分を味わった後は、残り湯で一週間分の洗濯をする。ついでに自分の髪や身体も洗って、すすぎは洗濯物と一緒に済ます。
以前は、部屋に風呂がなかったので、共同の洗濯機、あるいはコインランドリーを使っていた。しかし、コインランドリーは一回につき百五十円だったので、ちょっとした上着や小物は洗面所や台所で洗っていた。厳冬期は凍てついた水が凍みて、指が切れそうな痛みが走る。たびたび息を吹きかけ、洗濯を済まし、真っ赤になった指を乾いたタオルでくるんだとき、じんわりとした温かさにとてもほっとしたのを覚えている。水ぬるむ頃は、指先でいち早く春の気配を感じてうれしくなったものだ。夏季をのぞき、今は風呂の残り湯で洗濯をしており、手が荒れることもない。当然なのだが、お湯はあったかいなぁとしみじみと思う。
わたしの洗濯にかかせないのが、洗濯板と粉石けんだ。粉石けんはあらかじめ分量の約二倍の熱湯で溶いておき、一晩寝かせると、トロトロのジェル状になる。たらいに残り湯とこのジェル状石けんを入れて泡立たせ、そこに洗濯物を投入し、洗濯板でゴシゴシ洗う。襟口や袖口など、汚れやすいところにはじかに石鹸をつけ、板でこするときれいになる。シーツや毛布などの大物は浴槽につっこんで、一、二、一、二と踏み洗いだ。ストレス解消にもなって結構楽しい。この場合は、ジェル状にした石鹸ではなく、粉石鹸を一つかみ浴槽に入れてよく泡立たせる。
洗濯板は、プラスチックで出来たものもあれば、洗面台に沿うようにふにゃっと曲がる材質のものもある。しかし、やっぱり木の洗濯板が一番だ。畝状になった木がすりへって使えなくなるまで使い、今のは二代目。町の荒物屋で洗濯板を置いているところは数少なくなってきており、今後もちゃんと手に入るのか懸念する今日この頃だ。
荒物屋のおばさんと立ち話をした。「昔はあんた、息子が草野球で靴下もズボンもみぃんな泥だらけにしてきよったさかい、石鹸つけて、洗濯板でゴシゴシこすって洗うたわ。洗剤とか漂白剤とかいっこも使わんかて、きれいになるもんえ。今は洗濯機つこうてますけどな、あれはなんか洗濯した気ぃにはならへんなぁ」
手で洗うから、汚れやすりきれ具合など、衣類の状態がわかるし、自分が身につけているものがどれくらいあるのかも把握できている。そしてひとつひとつ洗う手加減がちがうため、衣類が長持ちする。洗濯板で手洗いしながら、時々、ものを慈しむというのはこういう事なのかもしれないと思ったりするのだ。
筆者紹介:今井うさ
1979年生まれ。衣笠山のふもとで過ごした学生時代から、始末の精神と清貧生活にめざめる。
現在も京都のかたすみで、下駄をつっかけ、自転車をのりまわしながら、つつましく生息中。
過去のおぞよもん
第一回
はじめに
第二回
はねもん。
第三回
お芋さんのつる。
第四回
芋するめ。
第五回
ひきだし。
第六回
底冷えと暮らす。
第七回
想いのある部屋。
第八回
うち旅。
第九回
初めての袴。
第一〇回
心のポケット。
第一一回
水回りの話。トイレ編。
第一二回
水まわりの話。お風呂編。
第一三回
水まわりの話。洗濯編。
第一四回
『料る。』
第一五回
「カゴの中身と幸せの種」
第一六回
食い意地。
第一七回
「品」のある人。
第一八回
ご飯と生きる。
第一九回
海辺の特等席
今井うさ おぞよもん暮らし 耐乏PressJapan.
発行:全日本貧乏協議会
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