おぞよもん暮らし
 「今日あった事で、うれしかった事、楽しかった事を三つ述べよ。」突然、こう聞かれて、すらすらと三つ、答えられる人はどれくらいいはるだろうか。ある日のわたしの場合、その壱、夕暮れ空がきれいだった。その弐、駅でブルートレインと遭遇した。その参、晩酌の焼酎に金柑を入れたらうまかった。等になるのだが、即答できる日もあれば、時間がかかる日もあればで様々だ。

 ちなみにこの問いを出したのは前に勤めていた会社の上司だ。当時わたしは外に出る事もままならないほどつらい時期を過ごしていた。とはいえ、外に出て働かないことには、自分を養う事ができないので、ひたすら食物・居住地確保の一心だけで通勤していた。そんなわたしに、上記の問いを出されても「三つもあらへん」あるいは「そんなん全然あらへん」になるのだが、それでも「何か述べよ!」と言う上司にしぶしぶ答えた。おそらく、電車に間に合ったとか、今日も何とか出社できたとか、そんな事だったと思う。
 その翌日は「昨日言った事以外で、三つ述べよ。」と言われた。昨日でさえ、無理やり答えたのに、それ以外いわれてもあらへんわと思いつつ、うぎゅっと搾り出したのを覚えている。

 わたしが復活し始めたのはそれからだった。うれしかった事や楽しかった事を見つけよう、作ろうと、ほんの少しずつ視野を広げ始めた。例えば、空に一直線の飛行機雲を見つけて、何か良い事がありそうと思えた事、ブロックの陰に一輪のあざやかなタンポポを見つけた事、日焼けするよとバス待ち中に日傘をさしかけてくれはったおばあさんの笑顔など。今までうつむいて、見過ごしてきたものに触れ、心が温かくなる自分がいた。
 上司はこうも言っていた。「うれしかった事、楽しかった事は心のポケットに入れとくねん。それでつらいときにちょこっと出して食べる。そうすると元気が出てくるで。」わたしはなぜかサクマドロップの缶を思い浮かべた。うれしい、楽しい事は、何となく色とりどりの飴さんに似ているような気がした。

 よく晴れた休日は川沿いをそぞろ歩いたり、駅で入線してくる電車を見物していたりする。お気に入りの場所に行くと、日頃のもやもやがなくなり、自分が素に戻れる。特にお気に入りなのは、夕暮れ時の鴨川。ここは京都の中でも空がとても広くきれいに見えて、通りすがる人の顔も和やかだ。暮色に染まる広い空を眺めていると、きらきら光る雲のむこうに、今は亡い逢いたい人がいはって、見てくれたはるような気がする。心がすっとして、笑ってがんばろうと思う。
 ストレスの解消法は人それぞれで、実際のポケットにあるお金を使うことで解消する人も多くいる。しかし、そういう人はお金がないと、どこにも行けない、何も買えないと余計ストレスをためがちだ。わたしは、実際のポケットにお金はないが、心のポケットにお気に入りの場所と、いくつかの飴さんを持っている。めげるときもあるが、あんじょう流しつつ、ぼちらぼちら元気にしたたかに暮らしている。
 ただ、当時の上司いわく、元気になったおかげで「おっさん」化がますます進行しているという事だけが、少々気になる今日この頃である。

鴨川

筆者紹介:今井うさ
1979年生まれ。衣笠山のふもとで過ごした学生時代から、始末の精神と清貧生活にめざめる。
現在も京都のかたすみで、下駄をつっかけ、自転車をのりまわしながら、つつましく生息中。

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今井うさ おぞよもん暮らし 耐乏PressJapan.
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