おぞよもん暮らし
 部屋づくりや、暮らしぶり関連の記事を見るのがすきだ。それぞれ「うちのがいちばん」という見せ場があり、居心地の良さをおすそわけしてもらえるような気がするからだ。見せ場に表れているその人自身の価値観を観察するのも楽しい。わたしは人の内側に入り込まないふりをしつつも実は興味深々なので、記事というオープンソースだと遠慮なく覗き込んでしまう。

 お金はないので、雑誌に載るような部屋を真似するのは不可能だ。とはいえ、うちなんて寝ることさえできれば別にええねんというのもさみしすぎる。そんなわたしの部屋は殺風景だが、数少ないもので自分の気持ちが満たされるようにできている。ものは少なくても、想いがたくさんこもっているからだ。わたしの場合、うちにあるものはほとんど他の人からのもらいもの、あるいは永久的に借りているものだったりする。それをくれはった、あるいは作らはった人の想い、使い込むわたしの想いが一緒になって、居心地のよい部屋を作っているような気がする。

うさぎ  たとえば、写真にある二匹のうさぎ。これは今は亡き祖父が一本の木から彫ったものだ。祖父は工業高校から、聾学校に移り、技術の教師をしていた。当時、聾学校のうさぎを家に連れ帰って飼っていたせいか、本物のうさぎのようだ。お腹に書いてある日付をみると、昭和六十二年一月十五日とあるから、十八年前のものだ。祖父の存命中、一匹はわたしの実家、もう一匹は祖父母の家にあり、あまり見向きしなかったのだが、今は二匹とも手元に取り寄せ、わたしを見守ってもらっている。祖父の足跡をたどる今のわたしなら、もっとたくさん祖父と話が出来たと思う。その話を代わりに聞いてくれているのがこのうさぎたちだ。
マッサージチェアとソファ風お布団  もう一枚の写真の向こう側にあるマッサージチェアは、小学生の頃から実家にあったものだ。昔、ランドセルをおろしてここでしばしうたたねをしていたからか、今も身体をまかせると何となく安心する。十年以上前のものだがまだまだ現役。風呂上り、ここで何か飲みつつ耳掃除をするのが幸せな時間だ。
 手前にあるのはソファではなく、実は布団。たたんだ布団に、母親が作ったカバーとクッションで、昼間はソファらしきものにしている。青い袋に入っているのは湯たんぽ。寒いときは寝るときに限らず暖を取るので、この時期はいつも手元に置いている。この湯たんぽカバーも母親のお手製だ。
 思わずつれづれと書いてしまったが、わたしの部屋にあるものは、もの自身にまつわる想いのほうがとても大きいのではないかと思う。

 部屋を形作るものにしろ、食べ物にしろ、ものには全て気持ちが宿っている。京都では当たり前の考え方だ。大事にしないと冥加に悪い、バチが当たりますえとよく言う。わたしは全てのものと気持ちの交流ができる量を何となしに決めている。それをこえてしまうようだと気持ちがわるい。だから、ちょっと心引かれるものに会ったとしても、自分が今持っているものを思い浮かべ、冥加に悪いことはすまいと打ち切る。自分にとって何をどれだけが、精神的、経済的にええ塩梅となるのかを知っておくと、意外なほどつつましく、気持ち豊かに暮らしていけるもの。実際は何かと忙しくて、心もささくれがちのまま、気がつけばあっという間に時間が立っている。ものがないくせに部屋をすぐ散らかすし、寝るだけの部屋になっている日もある。しかし、たくさんの想いとともに、一日いちにちを丁寧に紡いでいくのがわたしの目標なのだ。

筆者紹介:今井うさ
1979年生まれ。衣笠山のふもとで過ごした学生時代から、始末の精神と清貧生活にめざめる。
現在も京都のかたすみで、下駄をつっかけ、自転車をのりまわしながら、つつましく生息中。

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今井うさ おぞよもん暮らし 耐乏PressJapan.
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